やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

11月2~4日に、相模原市で毎年開催されているスーパーオープンスタジオ(以下SOS)に、

http://superopenstudio.net

なえぼのアートスタジオとして運営5名で参加してきました。

参加スタジオのひとつであるスタジオ牛小屋さんで交流展示形式でメンバーの小作品も展示してもらった上に、
バスツアー参加、シンポジウム登壇、懇親会、牛小屋メンバーでペインターの大槻さん家連泊し朝まで会話、造形大訪問、、、
リアルタイム投稿する間が全くないほど、寝てる時間以外は常に色んな方と密に交流し続けてました。得るもの多し。

僕たちのなえぼのアートスタジオは、改めてなかなかデカいスタジオなんだなとも実感。

感覚的にはSOSの参加スタジオ4つ分くらいの人数と部屋数があり、自前でオープンスタジオやイベントをやってるので、 SOSの縮小版のような集まりとも言えます。
なので、個別のスタジオとの比較はもちろんのこと、 SOS実行委員会やディレクターの動きも含めた運動全体のコントロールにも関心を持てました。
 

なえぼのにはアーティスト以外にS-AIRやコジカのビューイングルームなど入居しているなどの特徴がありますが、
1番違う点はなえぼのは公的機関や公的資金とは関係のない運営形態ですが、
SOSは、本拠地である橋本エリアが、3つの美大が近隣にあること、リニアの発着駅が作られること、米軍基地関連による再開発計画があること、ゆえの特異な現象として、あれだけの数のアーティスト(参加スタジオは20超え、飲み会だけで40人くらい参加、全体では100人超えとのこと)と行政が協力関係となっているところ。
これは良い意味で、異様な光景でした。
そしてアーティスト側と行政側両者の架け橋になるアートラボはしもと学芸員、加藤さんの存在の大きさや、
特に議題や問題意識を引っ張る役を引き受けている山根くん(今回直接やりとりしてくれたディレクター)や
千葉さんや井出さん始め、運営に関わるアーティスト達の大人なコミュニケーションの態度には実践を踏んできた貫禄があり、感銘を受けました。
中でも前乗りして参加したSOS夜会は、僕が聞いてきた検閲の議論で最も真っ当な内容のひとつに思えました。
同世代のアーティストと学芸員がテンポラリーな問題意識と知識を共有し真摯に共闘する姿は、極めて健全で理想的な状況でしたし、
またアーティストの群れとのやりとりで蓄積された行政側の対応体験のトラブルシューティングは、
近未来の全国の芸術文化行政の貴重なマニュアルになるんじゃないか?とも思えました。

僕らが参加することで与えられた命題は、
「アーティストが作品制作以外のこと(この場合共同スタジオを運営すること)をやる意義」と「他地域の美術コミュニティと連携することで何ができるか」の2点が大きかったのだと思っています。僕が登壇したシンポジウムではうまく答えられなかったかもしれませんが、、、
前者においては、立ち上げて3年経った実感から、
・メンバーの知り合いがそれぞれ訪問することや、札幌を訪れた関係者がアートスポットとして訪ねてくるようになり、スタジオビジットが格段に増えた。
・美術に対して真摯に向き合っているメンバーが持つ違った技術や考え方が、それぞれを助けるケースが増えた。
・近くに異なる技術・知識を持った作家がいることで、よりよい作品制作のアイデアに幅が出せるようになること。
・大きな共有スペースなどもシェアできるようになり、周りがアーティストばかりなので精神的にものつくりに向かいやすい場になっている。
、、、といった具体的なメリットが浮かびます。
作品を作る、作品を見せる、作品について話す、興味関心を共有する、、、ひいては美術の事を考えるための場、
アーティストが集まったならではの場として機能していることが、意義と言えます。
札幌では、行政主導の国際芸術祭や新しくできたアートセンターの市民交流プラザが、広く市民に現代美術を親しんでもらうプログラムを先導してくれていたり、芸術祭から派生してできた天神山アートスタジオが外部のアーティストを受け入れる機能をもつことで世界中国内中アーティスト同士の交流が生まれてます。
そのぶん僕らは少数で、わかりづらい、オタク的なオルタナアプローチを大事に、ここに来ればエッジの効いた地元作家の美術観が確保されている、という棲み分けができつつあるのかな(まだまだやるべき実践は山ほどありますが)、と思います。
ただ、元々は物件情報がたまたま降ってきて、見に行ったらその空間に、皆がすっかり心が奪われてしまったから引き受けた面もあるし、意義以前のきっかけがスタートです。
運営で制作の時間が取られるという点に関しては、制作と同じくやりたくてやっている行為なので自身のためになっていますが、制作と運営の比重のバランスは常に考える必要があり、運営が無理の出ない範囲で収まるように気をつけています。

後者においては、
今回ずいぶん近い距離で、違う地域の方々と、作品作る人、観客との間をつなぐ人、ごちゃまぜになって直接密な交流をすることができ、それぞれの状況、問題意識を共有しました。例えば高知県美の塚本さんともたくさん話せて(翌日橋本からあざみ野の「しかくのなかのリアリティ展」クロージングに乱入した組)、高知への精神的距離が縮まったり、今度行ってみようかな、という候補になるだけで視界範囲が拡がります。どのエリアの人からも、ウチは閉塞感があるからそっちは羨ましい、とよく聞きます。隣の芝は青い、札幌も高知も、名古屋や京都や福岡も、僕らからは首都圏に見える相模原ですら、なんだなあと。
全国それぞれのエリアに、なんか面白いヤツらがいるらしい、と認識し合って適度に行き来することは、全てのエリアにとって健全なことであるはず。移動や異文化に触れること自体が、新しいアイデアへの刺激のひとつ。LCCで全国の移動もしやすくて、ネットで自分たちの活動を発信しやすい今らしい動き方を意識的にしていきたいです。
また、今回なえぼのは人だけでなく作品も送って展示してもらえたので、輸送や経費の問題はあれど、作品を含めた相互交流は大きな意味を持ちます。
嬉しかったことのひとつに、絵画教室に通っている小さなお子さんが、僕の絵を鉛筆で模写して「カラシャ」と愛称をつけた作品を見せてくれたことがありました。
「なんでカラシャなの?」「カラフルでシャボン玉みたいだから!」良い、そして地と図のニュアンスが理解できてる!
以前から知ってくれているお客さんも見に来てくれていたみたいで、嬉しいです。

言うまでもなく、沢山のアーティストの作品を一気に見ることができたので、刺激をもらうこともできました。
まずはSOSの皆さんの作品と人をなえぼので招聘し、相互交流が実現できるよう計画します。

僕らなえぼの運営メンバーもそれぞれ持ち帰ったことは様々だと思うので、そのうち改めてなえぼののウェブサイトに、 SOSレポートできればと思います。
連携を実現していただいたSOSの皆様、本当にありがとうございました!!!!!!

アート台北2019に、 Admira Galleryより出展します。
ブースNo. N08です。

ART TAIPEI 2019

Date
2019/10/18 14:00-19:00
2019/10/19 - 20 11:00-19:00
2019/10/21 11:00-18:00

SVIP Preview
2019/10/17 12:00-15:00

VIP Preview
2019/10/17 15:00-21:00
2019/10/18 11:00-14:00

Venue
Taipei World Trade Center Exhibition Hall 1

https://2019.art-taipei.com/taipei/en/

An alle deutschen Freunde, bitte!


ドイツの美術雑誌 art-Das Kunstmagazinの40周年企画、artShirts / アーティストTシャツのラインナップに入れていただきました。


https://www.art-magazin.de/19-rtkl-edition-artshirts-kunst-kaufen-gutes-tun?fbclid=IwAR2rkdWMUlIcwcqftL-8zRGDBB07bCyQp-pXmgSKysrZmiQjIEJtBfC6JIk


Kunst kaufen, Gutes tun!


僕のは今月から登場で、アーティストラインナップの中にはRobert LongoやSarah MorrisやJorinde Voigtとかも入っててWowな感じです。売り上げの一部は、Artist At Riskという、活動拠点で危険に晒されるようなアーティストを支援する団体に寄付されます。詳細はシェア先のウェブサイトをごらんください。

環境に影響が少ない特殊インクの3版3色のシルク手刷り仕様。3版3色で、いつもの絵画作品の透明要素なしで、Tシャツ向けのマルチプルとしてどこまで自作のビジョンを作れるか、元データ作るのに結構試行錯誤しました。2016年に作った作品をベースにして、アレンジをしました。刷りは向こうにお任せしましたが、意図を汲んでくれて良い感じに出来上がってよかったです。

話を進めてくれたのはもちろん、ハンブルグでバリバリのMikiko Sato さん、頼もしいギャラリストです。


僕はあいトリ見に行かないというのもあり、一連の話題にはSNS等では触れないつもりだったが、
さすがにこれは大きな問題ので、酷いと言っておかないと。

でもまず、すみません!大きく出てた署名サイトで、署名してない!!

今の流れではなかなか言いづらいのだけど、
署名ページのトップに出てくる「文化庁は文化を殺すな」の文言表現に渋ってしまった。
オマージュとして岡本太郎やダダカンから引っ張ってるのだろうが(ベトナム戦争のときに「殺すな」のスローガンで抵抗の意思を表現した)、そのグルーヴに気持ちがうまく乗れない。
「殺すな」だけのフレーズの抽象性に比べずいぶん文章になっちゃって具体的だし、、、
とか、それはさておき。


署名しました!と共にその文言がズラっと並ぶTwとかFbのタイムラインの全体感に、
タタリ神的な何かを感じてしまうので、
仮に他人のタイムラインに自分も同じ文面を放り投げるのもちょっと抵抗あり。
だからと言って、それをやるな!とも思わなくて、多くの署名が集まることは良いとも思ってる。

なので、署名をしてないのに署名の数は増えるべきと、、、
我ながら居心地の悪いアンビバレンツ。


別の方法なら、文化庁の問い合わせフォームに、できるだけ理屈の通った意見を送る。
それと自分の意思を、SNSのタイムラインの中よりも、
誰かが能動的に読みに来るかもしれないここに書き残しとくことが、僕のできる範囲かなあ。


今回の文化庁のやり方、クールじゃないよなあ。「クールジャパン」、どうした。
1.公費でキワドイこともたまにやる
2.公費で生真面目で当たり障りのない、道徳的なことだけやる
3.政権に都合の悪い(一部の大きな声を出す国民が不快がる)公費の使われ方は、それらしい理由を付けて規制される。

と並べば、そりゃあもちろん、1COOLでしょ、クールにいこうぜ!!
と、あくまで僕は思います。(因みに先の署名文言もクールじゃないが、、)
一般的に望まれる公費の文化への使われ方っていうのは、2、くらいが妥当、なのかなあ。
でも今回の話は3だ。3が当たり前になる状態でいいのか。

 

ちなみにまず僕個人の話を言えば、文化庁の助成金って申請しても落ちてばっかりですよ。
だから結果的には公的助成にほぼ頼らずに制作活動続けてきた。公費は元々そんなに当てにしないし、勝手にやってやらぁ、という気持ちでやっており、その上でほとんど個人のお客さんが作品を購入してくれるおかげで活動できている状態。なのでまず自分ごととしての表現は自由。

唯一、札幌市からだけは1度助成もらったことある。恩がある。
だから札幌の文化行政に何かあったら、何か言おうって思ってる。
まあ札幌で抽象画描いてても、公的な芸術祭に呼ばれる可能性は低めだし、
いやいや今抽象画に取り組むこと自体も、表現することはある意味政治的ですよと言ってみても空振り、
カラフルで楽しそうで売れてていいね〜っということはたくさん言われ、
それでもいいんだけど、それだけ、ではやはりなんだかなあとボヤきながら渋く渋くやり続けるしかない。
そんなわけで、自身の活動だけでみれば短期的に影響はないので、
切実にタブーの境界で表現をする作家や、助成金の力を借りる必然性を持った作家に比べれば、
今回の問題のリアリティは薄いと思っている。


ただ、そんな個人の問題を大きく超える話だ。
小さな話では済まない影響がこれから来る気がしてならない。
今回の不交付の決め手は、
運営を脅かす可能性のある要素(あいトリ内の一部企画「表現の不自由展・その後」)を認識してたのに事前に申告してない、ということと、
実現可能な内容か、及び、事業の継続が見込まれるかの2点において、適正審査を行えなかった、
からだそうだ。

うーん。申告の具体性の部分は見えないのでわからない、ここに本当に説得力や明確さがあるならば、不交付でも仕方ない、と一見思わせる。
しかし今現在、あいトリ全体としては事業継続できてるし、入場者数もいつも以上のようだ。

展示閉鎖はあるものの一部のみみたいだし、札幌からわざわざ見に行ってる知人友人何人もいる。
いろんな場所で議論が巻き起こってて注目されてる。
という現状から見るに、いささか不交付の決定が早すぎるのではないか。

文化庁側がもっと細かく細かく調査指摘してから判断することも可能なはず。
額も額、減額ならまだしも、およそ7800万の全額不交付は、あまりにも強気に出すぎてる感じ。
官房長官は「内容は関係がない」と強調して言ってるが、胡散臭く見えてしまうのは僕の色眼鏡だろうか。
これは今後、美術に限らない文化庁助成のイベントで、変なことやったら同じことするぞっていう、見せしめにも思える。
元々は、主に「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やした作品」が出展されているという情報に対し理不尽で脅迫的なクレーム電話(電凸)が殺到したせいで、
役所の電話窓口がパンクして、一部の展示を閉鎖せざるを得なくなったはず。

本当に「内容は関係ない」んだったら、理不尽なクレーム行為の側に、結果的に文化庁が肩入れしてることになってないか。電凸した人たちに喜びを与えて、自分たちがやった行為の効力を感じてしまうと思うよ。


そうだ、だったら逆に、例えば署名してる人全員が、文化庁に問い合わせ電話するとどうなるだろう。
8万件(これ書いてる段階でそのくらいだった)の電凸になるよなあ。
文化庁お墨付きの電話クレーム攻撃で文化庁の機能がパンクしたら、大臣の責任は重大だよなあ。
そうしたら不交付決定の撤回を後からすることになり得るんじゃないかなあ。
、、、などと妄想だけしてみる。そんな野蛮で幼稚な話はくだらんけれど、それ許容したの文化庁じゃん、と言えちゃうよ。


あいトリ問題の全てを擁護する気にはならんし、内部で起こってる動きに賛同しきれない思いもあるけど、現地に行かずに聞こえてくる話だけでは、それ以上のことは言えん。
作品の質も見てないからわからないけど、
少なくとも「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やしたと捉えられる作品」を公費で展示しても、
展示したこと自体に僕はそこまで不快ではない。好奇心で捉えた上で、内容や作品の質や展示構成などについては良し悪し意見を持つだろう(情報見る限りたぶん批判的な意見をもちそうではある)。
不快になる人たちの、その強い感情の根拠に対しては、人に予めプログラムされている憎しみのメカニズムって一体なんなんだろうと思いつつ。
「私たちの税金、不快なものに使うな!!」と言うのは自由、しかしそういった、感情だけの大声に力を持たせすぎるのは危険、と思います。

(どういう立場にせよ何かしら怨念が溜まってる方は、この検証委員会の中間報告を読むと少し冷静になれるのでは。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/256626_865255_misc.pdf)


これだけ多くの人がバラバラな思いで共有できる問題を表面化させて、
各々が考えたり行動できる機会を持った展覧会って、文化的な豊かさを持っているのでは。
公的な美術館、教育機関、イベントも、そういう豊かさを提供する側になることって大事じゃありませんか。


僕が芸術を専門に選んで良かったと思える原点ってそういう部分にある。
まともに芸術に触れるようになったのは成人してからで、最初はさっぱりわからんかった。
芸術を勉強するようになってから、そのつかみきれない謎とか、ストレンジな様態を知って、好奇心が爆発して人生楽しくなった。

高圧的なルールがあって、それをみんなで守ることが道徳的、、、ではなく、皆でルールを熟議しながら決められる態度が道徳だ、とか思えるようになった。
「わからん」「不快」そういうものに出会ってしまう(今もそういうのたくさんある)ことで、能動的な思考力を持つ可能性だったり、ルーティーン化する日常を、普遍を見つめ直す可能性がある、と思えるようになった。

用意された答え、これがキレイ、これが正しさ、、、そんな予定調和をほぐす効果が芸術にはあるし、
僕の屁理屈思考をめちゃくちゃ受け入れてくれるどころか、理屈を挑発してくれる芸術の器のでかさに救われる。それでいて人の創造性の美しさにも感動できる。
同じような体験が、もう少し広まってもいいのにとは常々思っているけれど、そういう機会を文化庁が奪う可能性が増えて、当たり障りのない感動やエンタメの押し付けばかり提供されるのなら、文化の豊かさを自ら後退させる要因となり得る。


ところでやっぱり、文化庁で助成金貰ってきた作家が文化庁に物申してる姿は、信用できる。

少なくとも申請とか報告とかドマニとかで、中の人と関係も持ってて、文化庁の力を借りて実力を伸ばした作家が意見を伝えるのは、野良の叫びと比べれば全く効きも違うと思う。ああいう方たちを援助してきた文化庁の側面こそ、信用したいものだ。彼らの声を受け止める、そういう良心が残っている方々が文化庁内にもいらっしゃると信じたい。勝手な話、もし上からの強制的な決断で、納得できない内容なのであれば、ストライキでも内部告発でも、内部の方々が何らかの意思表明をやって欲しいと願う。


それとちょっと脱線するかもだけど、
電凸って、クレームにも丁寧に対応しないとならないコールセンター文化があるから成り立つのでは。
他の国の事情知らないけど、これを機に、大きな自治体は、クールな対応もできるコールセンターの仕組みを考えてはどうか。この客ダメだって思ったら電話切っちゃえばいいじゃん。反論してもいいじゃん。
過剰な接客サービスは、少なくない人をダメにするだろうに。
、、、できないんだよな〜、きっと。そのできなさも、文化なのかな。
ついでに言えば、スーパーのレジの立ち作業も労力のムダにしか見えないので、
早く座りレジにしてくれる大企業がでてきて欲しいよ。これはできるでしょ!?


脱線した。

最後に、僕もここ数年、世論や政治に疑問を持つことが増えたし、理不尽な圧に対して物申す、それぞれが態度を表明する、みたいな流れが界隈で確実に増えている感じ、それはそれで面白くなってきたじゃないか、と思ってる。 しかし、美術関係者ばかりが感情的に声をあげても、世論と照らすと、いつものアイツラまた騒いでる、ウザい、狂った人たち、、、、と、逆効果に陥りそうな空気、たびたび悲しくなるあの感じ。立場のとり方次第で、小さく小さくでも変えられるだろうか。たびたび考えていること。



さあ連日タイムラインばっかり見てないで、制作しないと。。。

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撮影:我妻直樹

naebono art studio 1F フリースペースで開催した、
Grafting接ぎ木 展 会期終了しました。
ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

自分らのスタジオでこういう質でちゃんとした展覧会ができて嬉しい。
渋いラインでpaintingという可能性を考察できる、良いセッションになっていたと思ってます。
企画の鈴木雅明くん、お疲れ様でした!

後日naebonoのウェブサイトで、初日のトーク含めた展示アーカイブを掲載予定です。

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撮影:我妻直樹


展示終了、ご来場いただいた皆様ありがとうございました。
僕よりだいぶ若いながら、センスと思考力が爆発している浦川くんと並んで展示ができて、
いろいろ勉強になりました。
初日のトークの文字起こしをして、どこかで公開する予定です。 

よろしくおねがいします!

その1
山本雄基・浦川大志 展

『Flatten Image』
2019年8月17日-9月1日
11:00-19:00(8月19,26日 休)
8月17日17時~アーティストトーク
19時- オープニングパーティ

 山本雄基は札幌を拠点とし、重層的な透明層の中に様々な円を交錯させた作品を制作している。層の厚みによる空間と錯視的な空間の混合、色彩の円とくり抜かれた円の交わりなどの要素から、位置と関係について、絵画を通して思考している。
また平滑な表面と奥行きは、デスクトップの発光する画面の中で何層にも積層していく情報と画像のレイヤー構造を、現実化させたようにも思わせる。
 浦川大志は福岡を中心に活動しており、SNSやネットから流れてくるイメージ、ゲーム的なものを組み合わせ、タッチパネルの操作を想起させるように絵画として描きおこし、現実と仮想が入り混じる風景を創り出す。ネットやデジタルデバイス等の影響のもとで変容する現代ならではの知覚のあり方を反映した作品は、絵画に新たなイメージを与えている。
 二人の絵画は、共に物事のあいだの領域や、曖昧なグラデーションを重要な要素としている。
画面のイメージとそれに結びつく実在が、入れ子のように往来する様を、見てみたい。
ギャラリー門馬 大井恵子

詳細はウェブサイトにて
http://www.g-monma.com/exhibition


その2
『Grafting 接ぎ木』

出展作家:
加藤巧、鈴木雅明、鈴木悠哉、山本雄基

企画:
鈴木雅明

会期:
8月24日(土)−9月16日(月)
金土日のみオープン。最終日のみ月曜オープン
13:00- 19:00
naebono art studio 1F フリースペース
060-0032 北海道札幌市中央区北2条東15丁目26-28

トークイベント:
8月24日(土) 17:00-
出展作家+拝戸雅彦(愛知県美術館 企画業務課長)

お問い合わせ:
naebonoyamamoto@gmail.com

協力:
naebono art studio

Grafting 接ぎ木展は2019.2.9-3.31の会期で、
愛知県瀬戸市のArt Space & Cafe Barrack+タネリスタジオ1Fにて開催された展覧会です。
(企画 / 鈴木雅明)
この度、出品作家の山本雄基の提案により札幌に巡回します。

展覧会ステートメント:
最近趣味で植物を育てるようになりました。専門的な知識を持たない私の目を引いたのは店先に並ぶ接ぎ木のサボテンでした。接ぎ木とは2個以上の植物体を人為的に作った切断面で接着して1つの個体とする栽培技術です。その見た目のインパクトだけでなく、1つに結合しながらもそれぞれの存在を保持し、共生していることに驚きました。

この企画もまた私の個人的な牽引によって組み立てられたものです。地域的な背景や特定の動向に根差すような共同体ではなく、接ぎ木のようにそれぞれが独立した存在のまま展覧会は成り立っています。私はこの一時的な接続のもとに各々の地点から見える/見えないものを観察してみたいのです。

私の作品制作は日常の中で時々感じる錯覚が起点となっています。知覚の間違いであり、修正されるべき体験をそのまま受け入れるとしたらこの世界はどう見えるのでしょうか。そこには漠然としたわからなさが残るだけなのかもしれません。私の作品はそのわからなさに絵画という手段で向かい、日々の繰り返しの中に置いてみることです。わからなさと絵はせめぎ合い、揺れながらも接ぎ木のように互いの存在を保ち続けていくのです。

鈴木 雅明 Masaaki Suzuki

詳細はウェブサイトにて

https://www.naebono.com/archives/882 

Art Central HongKong 2019


achk2019yy

VIPプレビュー326

パブリックオープン27-31

ブースE20Admira Galleryより新作出品します。


• Date

26 - 31 March


Vip Preview

03.26 - 12:30 ~ 21:00


Public Open

03.27 - 11:00 ~ 17:00

03.28 - 12:00 ~ 21:00

03.29 - 12:00 ~ 21:00

03.30 - 11:00 ~ 19:00

03.31 - 11:00 ~ 17:00


• Venue

Central Harbourfront Event Space

9 Lung Wo Road, Central

香港中環龍和道9


• Booth

E20


• Gallery

Admire Gallery


• Exhibiting Artists

塚本智也 Tomoya Tsukamoto

山本雄基 Yuki Yamamoto

谷口顕一郎 Ken'ichiro Taniguchi

權能 Kwon Neung


http://artcentralhongkong.com

アートフェア東京2019

ブースNo.G125、ギャラリー門馬より出展します。


《招待日》

 3月 7日(木) 

《一般会期》

8日(金) 11:00 ~ 20:00
9日(土) 11:00 ~ 20:00
10日(日) 11:00 ~ 17:00


※入場受付は各日終了30分前まで
東京国際フォーラム ガラス棟B2FホールE・B1Fロビーギャラリー 

詳細はウェブサイトにて。
https://artfairtokyo.com


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念のため書き残しておくけど、現政権には不信感を持っている。
国政を我が物と思い込んでるような怖さを堂々と感じるし。
経営者に支持されるような露骨な展開は経済を回そうとしてる点では評価されるのもわからなくはないけど、経済を担保に脅してる感もあるし。
好きじゃない理由を挙げれば、いっぱい。

だからといって、
安倍やめろとか、許さないとか、そういう怒りはわかりつつ、叫んだところであんま意味を感じない。威勢の良い反体制な人たちが、馴れ合いのコミュニティを形成する程度に収まってしまう光景を、2012年くらいから選挙のたびにもう繰り返し繰り返し見てきた。ウンザリとすら思うことがある。
SNS的に見えてくる美術関係者、その感じ多いので、言いづらいんだけど。

選挙のたびに「みんな、選挙に行こう!」と呼びかける人も、実際は「みんな、選挙に行こう!(そして出来るだけ、野党に投票してください)」と言ってるに等しいように思えてならない。選挙に行かない人からすればそれが見え見えでウルサイくらいなんじゃないか。逆効果なのではないのかなあ。

池上彰の選挙番組がここ最近は毎回話題になるけど、その批判のひとつとして、選挙の前にやらないと意味がない!っていうのがある。確かにとも思うし、
でも事前にやれない事情があるからやれてないということもあるんだろうし、
毎回やってて視聴率も良いんだから、各々で前回の振り返りも可能なはずだ。

とにかく、現政権と同じくらい、反体制の自滅行動パターンに絶望感を持ってしまうあの感じって、
僕だけの感覚ではないような気がする。

森友問題で人が亡くなったりすらしてる(!)にも関わらず、
現政権を揺るがすような国民の関心を集められるムーブメントが起こらないのは、
普通に考えて異常だと思うのだが、
問題起きたらとにかく叩かれてすぐ辞任、ていうこれまでのパターンの方に国民が呆れている反映で、現政権の辞めずに開き直る態度を黙認してるとも推測してしまう。
じゃあ一体誰なら信頼できるのか?ていう根本部分も弱いままだ。

嘘でも堂々と言い切って、俺に任せろ感を出してる安倍首相が他よりマシと錯覚してしまう感じも、
わからなくもない。


選挙の時に僕が知りたいことって、例えば

「いついつの国会で、
〇〇党の〜〜議員が働きかけたことで、
△△制度がアップデートされ、
□□が改善された」

というような、
具体的かつポジティブな議員の情報が欲しいのだ。
かなり能動的に探さないと、そういう情報に触れる機会は正直言って少ない。
なんで?結局一番大事なのはそこじゃないのか。
誰々の演説が素晴らしい!っていうのはチラホラ見かけるけど、
演説よりもそれまでのその人の、信じられる実績を知りたい。
反体制を掲げるならば、安倍ヤメろの前に、
この議員のこういうところが信頼できる!と堂々と論理的に言うべきだと思う。
僕は現状、なかなかそういう議員を見つけられないので、
文句の連打を聞かされるならば、代わりに説得力を持った情報を教えて欲しいし、
自分で見つけられたらオフラインの会話で話題に出していきたい。
札幌市長選なんかでは、ハッキリそう思える候補がいたのにな。(前市長、現市長共にそうだった)

言葉が独り歩きしている印象がある「リベラル」の理想を、
自分は「リベラル」だろうと思いたい人
(僕もどっちかと言えばそうだろうと思うんだけども)一人一人が、
仕切り直す必要性を感じるんだよなあ、、、


ウチの選挙区は、大臣級の自民党議員の強いエリアなので、
自民党議員圧勝エリアとわかっていても、
それなりに集めた情報を元に、一番マシな人に入れる。
もし自民党の人が一番マトモな事を言ってると思えば、選択肢にもなり得る。
自分の意思を能動的に示す自覚を持つため、自分のため、国政は政治家のためではなく、自分達のためにあるものと意識するために選挙には行くようにしてる。

無力感があるのは仕方ない。
そもそも、2011年の地震の国民的ショックというのが今も癒えていない、
ケガをすると体が保守的になる、という感じで、
国全体が保守的に傾くのも変えようのない必然なのかも、とも思ってしまう。
そう思わんと不可解なことがたくさんだ。
そういう中で考えて行動する防衛ラインは意識しておきたい。

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