やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

僕が今の絵のシリーズでやっている作業は、面倒くさいが単純だ。

とにかく、丸を描く。色のある丸と色のない丸をランダムに描く。あいだに透明層を挟む。
それだけといえば、それだけ。あとは重ね方を大いに遊ぶ。

やってておもしろいのは、一層重ねる度に、絵の雰囲気や空間が予測不可能にガラリと変わること。

7層目あたりから、重なり方が複雑になっていくので、自分の目でも今まで描いてきた丸を追えなくなってくる。意思をはみ出しちゃって勝手に複雑になっちゃった感じが、心地よいというかワクワクするというか。

色のある丸は、自分の色を各自主張する。下の層にある色の丸は、曇った色になる。強い色も弱い色も、面積の大きい色も小さい色も、等価に画面を作る一要素。
色のある丸は、色のない丸にくり貫かれることがある。

色のない丸は、空間をくり貫くことで存在感を主張する。
強い丸と弱い丸がいて、強い丸は、何層にも渡ってくり貫き力を持続させるし、弱い丸は一層くり貫いたら上の層に被せられていく。
色のない丸をわかりやすく見えるようにするために、色のフィルターをかけたりもする。フィルターを不透明にすると、図と地が反転した形がハッキリと画面の要素に加わる。半透明にすると、もやがかかったように前の層の影響を残しつつ、色のない丸を可視化させる。

出来上がった絵を簡単に言うと、アリジゴク的水玉模様だ。

水玉模様ってだれが発明したのか、いたる所で見かける。おかげで、一見僕の絵は水玉模様として認知されてトッツキやすさをかもし出す。そこから、1つ1つの丸を追うと、画面の揺らぎに迷い混んでいく…はず?

迷い混みの感覚は、例えばなんか無駄なことをいろいろ考えてて、それが頭の中でスケールがでかくなりすぎて、収拾つかなくなって、愕然としたあと、さあ明日も頑張ろう、と我にかえるアノ感じに似せたいと思っている。

だからできるだけ、鑑賞者には長時間絵と向き合って、丸を追ってほしいなー。
どんな絵でも、一枚を鑑賞するのはなかなか時間がかかる。

丸を重ねる研究にワクワクさせられてるうちはまだまだこのシリーズ続きそうだ。試したい重ねアイデアが貯まって、制作スピードが全然追い付いてない。

2週間くらい前だったか、歩いてたら突然地球儀のことが気になりだした。

以来、仕事してる間すら地球儀になんとなく思いを馳せている。なぜ、今部屋に地球儀がないんだ?といった具合に。

先日アリオの丸善に行ったら、あらなんとタイムリー、地球儀コーナーがあったので、鼻息がやや荒くなった。

手に取ってサワサワしてみる。そしてクルクルしてみる。
う〜んなんてすばらしいオブジェクトだ!
全体の形が、いい。台座に支えられた球の感じ。
球の傾きがまた、たまらない!なんでこんな絶妙な角度に傾いてんの地球。いや、逆か。もともとこの角度に傾いている星に生まれたから、この角度が絶妙だと思うのはアタリマエなのか。

地球を模したこの物体を、なぜ、カッコ良いと思ってしまうんだろか。
この、いかにも地球儀らしい原型は、やはり地球が浮いてて傾いてて回ってるという要素を、できるだけ詰め込んだ結果から生まれた型なんだろな。いいなぁ。

丸ばっか描いてる身ですが、なんたってまず宇宙に浮かぶ星が丸いってこと、が、いいですよねぇ。少年ロマン。もう僕の年齢は少年ではなく男の人だけども、少年ロマンは男の人になっても大切。ちなみに僕の少年ロマンは小さな頃に地元帯広近辺のさらに田舎に住んでて、星がキレイに見えていた環境によって育まれたような気がする。

子供の頃には小さな学習地球儀が家にあった。南アメリカ大陸が人の顔に見えてしまったり、どこかの地名の響きがなんか嫌な感じで、無意味にちょっとした嫌悪感というか怖さがあった。それでもたまにクルクルしたり、しげしげ眺めたり大事にしてたが、ある時表面がベロっ!と剥がれてしまったんだよな。

ああ、地球儀が欲しい。欲しい。結構高くて買えない。だからブームが過ぎるのをじっと待つのです。

おぉ、すっかり我が家の前の道も久々にアスファルトな肌を見せているぞ、暖かーい!いい気分。いい気分すぎて奥芝商店までスープカレーを食べにいった。

春を思わせる2月下旬。
しかしこれはきっとフェイントで、あと一回は寒い時期と大雪の時期があるはずだ。

こんなに早く春が来ても困るのだ。春は虫たちのテンションも上がるから。

スキマだらけの築45年木造アトリエ兼生活スペースの我が借家。敵はアリ、ワラジムシ、カツオブシムシ、ゲジゲジ、カマドウマ。そしてそいつらをかくまう雑草。考えただけで頭が痛い。ファーブル一族にはなれぬ。頼むから3月終わりまでは眠っていてほしい。

敵のことは忘れることにして、気持ちが良いと制作もはかどる。

ようやく、30号大のにぶめな黄色い作品の完成が見えてきた。
なんと一年以上もダラダラと進めてきた難産な一枚。普段は大きな絵でも2ヵ月くらいで終わらせるので、この展開はめずらしい。

ちょっと描いては止めて、しばらく経ってまたちょっと描いては止め…。慣れない色を投入してみたりで、気持ちがうまくノってこなかったのか。

しかもアクリル絵具の黄色は全体的に透明度が高めなので、ベタっとムラなく丸を塗るのはなかなか面倒なのだ。

今何層目なのかもよくわからなくなってしまった。9層目くらいかなあ… とにかくあと1、2層で形になりそうだ。凡作な予感がするも、変な愛着はあるな。

いろんな黄色と白と黒を混ぜ混ぜして、
おぉこの色はなんかとてもイイ感じのするニブイ黄色だ!
と画面に置いてみたら、グッとシマリが出た気がする。

塗り終わって改めてその色を眺めていたら、なんかこの色は馴染みがある感じが…。

答えはすぐにわかった、昨日着てたお気に入りの黄色いTシャツの色とよく似た色だ!
なんか安直すぎてガクッときた。
無意識で色チャートとして頭ん中に刷り込まれてんのかな、
こういう気付きは度々あるなぁ。

休日。さくっと札幌駅近辺に出向き、紀伊國屋ギャラリーで3年生の3人展を見る。精力的な森本さん、今度は落花生かー、場所により表現方法を多様に変えてくるハイブリッドさ(?)は、基本絵画しか作れない自分からすれば、コンセプトありき現代美術らしさをきちんと技にできてるのが羨ましいな。

本屋で油断するとあっというまに時間を奪われる。ついこのあいだ長時間ウロウロしたばかりなので、今日はサラリと見て終わり。いつの間にか駅にできてた無印良品でジーパンを買おうか迷いつつ、結局帰る。久々に何もない休日は長時間絵を描くのだ。

最近はずっと小さめの絵を5点同時制作中。なかなか終わりが見えない。玄関で電動ヤスリをブィーン!昼間からナウシカのようなマスクをかけてボロ家の玄関で騒音をたててる謎の男。

電動ヤスリは削り粉がでるから外でやんなきゃヤバい。音のせいで日中しかかけれない。この制約はなかなか困ったもんです。なんでこんな作風を選択してしまったのだろう。

そして電動ヤスリ使い始めの昔々はマスクすらロクにしてなかったので、肺がヤバいと思う。なんかたまに痛いし…じん肺が怖い!なんでこんな作風を…。
音が小さくて粉を吸い込む電動ヤスリと、粉を完全に防ぐマスクが欲しい。誰かオススメを教えてください…

透明の層を厚塗りしたら丸1日乾かないのも困った制約。だから時間差を作りながら何枚か同時に作るのです。


金曜日に偶然一瞬テレビつけたら、あっまたナウシカ!

改めて見たら、音楽がやたらカッコよくて感動した。

ちなみに松本隆細野晴臣コンビが手掛けて安田成美のヤバい声、本編に採用されなかった『風の谷のナウシカ』も名曲すぎ。この曲、編曲も細野さんがやってんだろか。

この時期にナウシカなのは、さては日テレがアバターに対して、オラアっ!てぶつけてやったに違いないと勝手に思いながら風呂に入った。

いつも思うのは、ナウシカとか、火の鳥とかを、若い多感な時期に読んだ影響ってものすごいと思う。あ、奇生獣もそう!

10代後半とかで、まずこの3作品読めば、その人の世界はぐるんと変わるだろうなー。こういう恵まれた作品に育てられた日本人らしさって、あると思う!
アニメのナウシカなんて、これだけテレビでやってて視聴率もとるらしいし、ある世代以下になれば、もはや共通言語みたいなもんじゃないか。

あ、僕は火の鳥も奇生獣も20代で食らいました。
ちなみに15歳、高校一年生の時に、もののけ姫とエヴァ劇場版を食らった。これはこれでとんでもねえ。

昨日帰る前に本屋をウロついて、またしても売れ筋コーナー平積みでこんなタイトルの本を手にとった。『知らないと恥をかく世界の大問題』。

ああ…まただよ悪いクセ。
あらこれは池上彰さんの本じゃないかー。

高校時代の担任の清原センセイに教えてもらった、池上さんの『そうだったのか!』シリーズは、全く世間知らずの僕に、うわあオレ世界を何も知らねえ〜!って思わせてくれた教科書だ笑。

あ、清原センセイ元気かな、去年なぜか一緒に演劇を見に行ったり、日ハムを見に行ったり、絵を買ってくれたり(!)した。ありがたい恩師。
しかし、オゴってください!オーラを出しすぎたのか、今年は相手にしてくれてない…。それは置いといて。

さらに日本辺境論がおもしろかった内田樹さんの『邪悪なものの鎮め方』が目に留まる。うーんタイトルが気になる本は強い。
単純に、どうしよもない殺人のニュースをみた時の悶々とした思いなどにいいヒントをくれるようなタイトルだなあとヤられてしまった。
最近は古谷実も殺人鬼のマンガ描いてるし、ちょっと興味深い方向です。

あと、この間の久米さんとお話した時に一瞬名前がでた、ソクラテス。最近妙に何ヵ所かでこの名前とすれ違い、なんか気になった。ソクラテスといえば無知の知の超巨匠、くらいしか知らない…今更それは美術をやる人としてどうなんだ自分!ということで
有名な『ソクラテスの弁明』と、薄いからなんとか読める気がした『メノン』を手にとる。

美術をやってると、哲学者の名前がバンバン出てくるので、なんとか学ぶべきと思えど、難しすぎていつも挫折。

鬱々とした気持ちを哲学の本読んで救われてるとか言ってた友人もいて、信じられないと同時にちょっと焦る。

よしギリシャ哲学に挑もう、「ソクラテスは、ロックでした!」なんて頭悪そうな感想で終わらないようにしっかり読もう…。

というわけでいろいろ購入。読めるのか?とりあえずソクラテスから読み始めたが、いきなり文体がツラい。



 昨夜、浪人時代からの友人で、大学も一緒で、現在は職業がお坊様の友人が泊まりにきた。いろんな職業の友達がいておもしろいですね。
 なんでもえらく厳しい修行を終えてきたらしく、声がガラガラ。超一級エンタメのマリオWiiをやらせてみたがあまりおきに召さず、疲れているのか速攻で寝てしまった。。まあ彼はいつもネタを持ってこないしいつも早く寝るからいいが…彼のいびきをBGMに絵を描いた。

 彼を引き連れて出身校の教育大の卒業制作展を見に行った。一応北海道ではブランド力のある美大といっても良い存在(のはずだ)。今回は校舎が札幌から岩見沢に移動して初めての卒業生ってことだ。

 簡単な感想を言えば、ファインアートの印象が弱すぎた。彫刻は悲惨な感じ、絵画も弱い。それは今年に限らずここ数年同じ印象だけど。。。ハイブリッドなゲンダイ(←若干意味不明)に呼応するようなおもしろさが無かった。
全体で良かった作品は太田という入学当初から異彩を放ってた子のでかい作品。「スキンシッパー」というカタカナタイトルがいいですね。顔はあった方がいいのだろうか?
なんかこの作品は、ちょっとハイブリッド(←やはり若干意味不明か)な感じがした!

 お坊さんと心斎橋ラーメン(たかじんプロデュース)を食べお別れ。僕は卒展の別会場、札幌資料館へ。空間造形研究室の展示なので、一人一部屋与えられていたのがいい。部屋自体はクセのある形をしていたので、生かしきれているかは疑問だった。良くも悪くも今の20代前半らしい作品だった。

 数年ぶりに訪れたこの資料館ってのが意外におもしろくて、奥に、おおば比呂司さん(漫画家・画家と紹介されていたがイラストレーターだと思った)の常設展示室があって、これが妙に良かった。カワイイ描写の中に描き込まれた飛行機や船がなんともいえないバランスで入ってくる感じがイイ。
イラストレーション風絵画(しかもそれを絵画だと思い込んでる風に描かれているどうしよもないもの)はキライですが、上質なイラストレーションは好きです。
 札幌の歴史展示室はショボイけど写真とかイイ感じでした。係のおばさんとヒマそうなおっさんの談笑空間になっていたことは否めないが…それになぜか昔の法廷再現空間とかあった。

 さらに移動して今度はギャラリー門馬へ。中国現代美術展 上海摩登を見る。正直好きだと思える作品は無かったけど、中国のリアルタイムでの国力増加中って勢いがサッポロアートにまで及んだのか〜という気分がフワリ。ちっちゃい映像の作品の展示のされ方がおもしろかった。ギャラリーの大井さんにコーヒーをいただきお話。
 ギャラリー門馬には僕のキューブ作品がある。4年前、生前の門馬さんが買ってくれたのだった。初めて万単位のお値段で自分の作品が売れた驚きを覚えている。その時の話なんかもして、ほっこり。

 さらにさらに移動して、カフェエスキスへ。中嶋幸治展 0m/s。
中嶋君の作品って、ああ、いいなあって思います。本人には一度テンポラリースペースで一瞬お会いしたことがある。芯がありそうな方だった。このようなすげえ作家さんが同じ札幌にいるのだなと思うと、胸が熱くなるのだ。
 展示も繊細で、今回は作品がアクリルケースに入っており、詩的なオブジェだ。ひゃー。

ただ一つ、エスキスはカフェ空間と展示空間が一緒なので、なんとなく、こう鑑賞するとソワソワしてしまい、作品と一対一になれない…。

帰りに本屋に寄って帰宅。日が暮れとるじゃねえか。
展覧会は基本バイトが休みの日に見に行かなければならないけれど、ホントは休みの日こそ一日中絵が描ける喜ばしい労働日なはずなんだよな。ジレンマ!!

 札幌は本日もたくさん雪が降った。慢性的な運動不足でさらにものぐさでさらに寒さが苦手な自分にとって、雪かきという作業は非常にしんどい。しんどいけれども、やるしかない。やらなきゃ我が家が埋まって家から出られなくなるから。すでにプロパンガスのボンベは埋まり、危険だ。

 まずは重装備からだ。マフラーと耳掛けを仕込み、昔大学で拾ったダウンジャケット、昔サッポロ雪祭りの国際雪像コンクール出場時にもらったアルミウェアのズボンを履き、長靴に被せて、軍手は2枚重ねで完璧!!

 そうすると寒さは消える。そして雪かきというのは不思議なもので、やってるうちに意外に特殊な心地よさを感じ始めるのだ。

雪が積もると空気の質があからさまに変わる。音の響きが鈍くなる感じ。それがなんだかいい気分。

 引っ越しするとき、モノがなんもない部屋にはスカスカ音が響くけど、家具を設置し終わると部屋の空間が安定する感じってあるじゃないですか。あれに近い感じ。

 そして、ちょっと疲れたら、そのまま積もった雪にバタッと飛び込んでいける。これがまたいい気分。10分くらい寝転がってボーッとするのが乙。ただしご近所さんに見られないようにしなければやや恥ずかしい。

 我が家の隣の空き地には、すっかり立派な雪山ができた。雪山に登ると、いつもの町内をやや俯瞰できる。これもいいなあ。

 なんだかそんなことだけで自分の中に眠る感覚が少しは研ぎすまされるのではないかなあ?と大きな気になって、すっかりしんどさなんて忘れちゃうんだよな。


 秋の終わりに大雪が降れば、たった一日で劇的に世界の色が変わる。世界のフォルムがちょっと丸みを帯びる。空気の響きが変わる。この感動を毎年味わえるのはラッキーだ。

 層を重ねる絵を描くようになって、雪が降るということは、雪というベールが世界を覆ってるわけだなあというあたりまえの事を大事に考えるようになった気がするな。そもそも知らず知らずのうちに雪が降るっていう現象が絵の構造に影響を与えているのかもしれないなー。

 が、しかし、なんとか雪かきが終わって家に入ると、頭やマフラーや軍手に残る雪がみるみるベシャベシャになって、やっぱりまた、うげぇめんどくせえってなる。次の日には体も痛くなり、だるーくなって、もう雪は降らないでくれと思っちゃう。
 雪かきをしてるあの瞬間は、あの瞬間だけの、スペシャルな時間なのでした。

昨日、とある後輩に ブログ読んでますと言われて、

こんなの自分以外誰も読んでねぇんじゃないかと思ってたけど、
自分の為に書いてるから人に読まれるも読まれないも関係ないと思いたいけど、

やっぱり読んでくれた方が楽しいなーと思いつつ、

あんま文ばかり書いて絵を描く時間を減らしても意味がないので、

サクッと続けようかなといったところです。

そのとある後輩は、写真や絵画やドローイングをやり、今や立派な社会人でもある女の子、なので読んでる前提で素朴なギモンを書いてみる。

色がキレイ という要素は作品を仕上げる上で 結構かなり大事です。僕の数多くの失敗作はだいたい色が汚い。

で、色がキタねえなあ〜と思う絵っていっぱいあるが、写真って、色がキタねえなあって感じることが少なくないですか?なぜ?

だいたい適当にそのヘンの風景撮っても、キレイに映るかはわからないが汚くは映らないでしょう。
このギモンに鮮やかな解答がでれば、絵にその解答を生かして少しは失敗作を減らせるはずだと考えるのですが安直すぎか。

原色が滅多に映らないとか、マチエールがないからとか、色数がハンパなく多いからとか、無数のグラデーションが映るからとか?パッと思い付くのはそんなとこ…

てことは、原色を滅多に使わないで、マチエールをなくして、色数をハンパなく使って、無数のグラデーションを使えばとりあえずキレイな絵は出来るのか?んなこたなさそう!

光という強烈なルールがあるから、汚くならないのか?

それとも絵と写真の色の話を一緒に考えるのがマズイのか?

今のシリーズは、割とどんな色を取り入れても成立する絵なので、漠然とこういったこともよく考えてます。

絵は基本的に壁に飾るもんだし、装飾的な要素は、あって損はない。もちろんそれだけだったらマズイけど!

装飾的=色がキレイ
というわけでもないですが、
いつも頭を悩ませる要因のひとつです。
今も、『なぜオレはこんなに色が汚いんだぁ早くなんとかしろー』と訴えてくる制作中の絵が一枚…あんまりうるさいようなら、しばらく裏返しておこうと思います。

最近買って読んでいる本が、『日本辺境論』と『世界を知る力』。どちらも本屋の売れ筋の平積コーナーにあった。

いかにもな売れ筋にあっさり心を動かされて買っちゃった自分の普通さにややウンザリするも、興味が沸いたんだから仕方ねえじゃん!と割りきる。

自分がどういう状況のなかで今いる場所に立っていて、どういう流れに人生を置いているんだろうという疑問は常に消えないので、少しでも解ろうともがいてたら、浮遊感満載の絵画が出来上がっていた笑。
この浮遊をどこかに着地させようか、浮遊をそのままカッチリさせようか、考えているところ。
ヒントになりそうな本や情報は、とにかく取り入れてみるのだ。

しかしこのようなタイトルの本が売れているということは、単純に、多くの人が世界をよくわからん対象と踏まえて、知りたい!と思ってたり、日本は世界の中でも所詮辺境の国だったのでは!?と思ってたりするからなんだろうなー。
それってなかなかおもしろい。
多くの人が、なんとなく思っていること にはとても興味があります。


さて、いつ読み終われるやら。昔より読書は好きになったけど、基本的に読書する能力が低い僕。
やたら時間がかかるし、読んでもすぐ内容を忘れるし…


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