やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

 100号作品、ジェッソを2回塗った後にメディウムで最初のコーティング。ようやくここまできた。ここから、コーティング→ヤスリ→描写→コーティング→ヤスリ→描写…の繰り返しが始まるのだ。先は長い…6月中には仕上げたいなあ。

 個展まで4ヶ月を切ったくらいか、ややペースが遅い。ちょっとそろそろ焦りださなければならないというところに、7月にまた突発的に何かが起りそうな展開が。詳細はまた決定したら発表することにして、とにかく一気に予定がキチキチになっちゃった!!
 予定としては80日くらいで、100号サイズ2枚、80号サイズ1枚、30号サイズ2枚、チビ作品5枚ほど…ムリだろう!?ひいー

 …1年前、教師をやめて日本旅行に行く前にたまたま近くのショッピングモールで手相占いを安値でやっていて、占いなんて信じないけどこういう今後どうなるかわけわからん状況だし、いいタイミングだぜ一生に一回くらいネタとして占ってもらおう!と占ってもらったことがある。

 すると、想像通りなアヤシイおっさんが占ってくれたのだが2009年と2010年はものすごい運勢の年だと絶賛され、なんでもしっかりやればうまく転がると言われた。夢や目標があるなら、今までの3倍がんばりなさい!と。
 なんだか占いというよりは人生の励ましに近かったが、そういう良い事を言われたものだからまんまと信じる事にして、3倍かどうかはわからないけど、たくさん手を動かしたら本当に2009年はいい感じになった。
 すっかりその気にさせられてる!?そうだよこのままキチキチを貫くしかない。

最近日が昇るのが早くなってきた。ちょっと夜更かししたら寝る頃には明るくなり始めてとっても寝づらい。生活リズム崩壊の危機。飯を食うのがめんどくさい。ネットと絵描きでそれなりに充実中、いかんな。

 風邪もなんとか吹き飛ばし、遅れをとりもどすため必死にパネルの下塗り。アク止めシーラーを塗った後に、ジェッソを塗る。ああ、下ごしらえが長い、長い、長い。
 小作品はどんどん形になってきた。今月中には完成できそうだ。

 夕方から、教育大学生の映像上映会に誘われていたので、狸小路5丁近くにあるATTICというスペースへ見に行く。「オバンデス金曜日」という上映会。なかなかイカしたポスター。会場の広さに対し人の量が多く、しまったギリギリに行ったら立ち見だ!!足が…

 久々に学生の映像作品をまとめて見た。良い意味でも悪い意味でも学生らしい内容なのがなかなか楽しめた。ヘンな勢いに若干ジェネレイションギャップ。
 僕も学生の時に映像を作ったので、自分のあの頃と比較して見たが、まだまだ負けてねぇぞ、うむ。いつかその作品をホームページにアップしたいが、映像はどうやってアップすりゃいいのかまだわからない…

 その後、最近仲良くなった仲間達とバカ飲みした。久々に飲み会ではしゃいだ…若い学生もチラホラおり、負けてられんと調子に乗ったらキャラ崩壊、得意の下ネタを必要以上に炸裂させて自爆。

風邪でダウン。

 オンユアーマークいつーもー
 はーしーりーだせーばー
 ハーヤーリーのー風邪にやぁらぁれぇたー

チャゲ&アスカもいつかそんな事を歌っていた。

熱はもうほとんど引いたけど4日間ほどずっと喉がやたら痛い。
飯を食うのも水を飲むのもツライ。ゴクッとなる部分がゴクッとなるたびに切り裂かれるようだ、なんなのこれ!?周りにも喉がヤラレている人多数。

風邪をひいたときは、普通に健康な時がいかに幸せかがわかるなんてポジティブな考え方もあるが、ホントにもうショッパいラーメンかスープカレーをガツ食いして、さらにコカ・コーラを一気飲みしたい。それが幸せ。

一杯のご飯を口の中で麦芽糖になるまで噛み続け、喉の被害を最小限にとどめる作戦にでた。これはじれったくめんどくさい。いかに普段、よく噛まずにモノを食ってるかがよくわかった。

今日は休養日にして一日中フトンにいたが、さすがにあまりにヒマなので、フトンにノートパソコンを持ってきて(無線だと、こんな行為もラクラク!)、ホームページを更新。

4,5年前の作品の拡大画像を見れるようにした。
写真の画質が悪いのがたくさん…デジカメがショボかったせいもあるが、記録に対する意識が甘すぎる過去の自分、、反省。

しばらくぶりにじっくり自作を振り返ってみると、今の制作内容に繋がる要素があったり、うわあ、ヘタだなあ、わかってねえなあ…と思う部分もあったり(きっと今の作品を数年後に見るとまた同じ事を思うのだろう)、頭の感性トレーニングにちょうどいい。

途中1時間分の作業が操作ミスで全部ぶっ飛ぶ。ぐはあ。
ホームページ作りなんてもう探り探りで、形になっただけでも奇跡。
最初のフォーマットを作る時に背景を何色にしようか迷った。
白い背景の人が多いからちょっとひねくれてみようということと、以前作品を黒壁に展示した時になかなか見栄えがよかったので、黒。

黒って、僕の今の作風でキレイに出すのがとても難しい色でつい使いたくなるのかも。ちなみに月の作品を描いた時に、黒への欲望をぶつけた。
あら、気付けばiPodも黒、Macbookも黒、WIMAXも黒。


とにかく、ホームページはもうこの際カッコ良くなくていいから、シンプルで作品が見やすくて、ヒトひねりある内容にしたいと思ってるけど、そのヒトひねりがなかなか。更新忘れて廃墟のようなページにならないようになんとか工夫したい。
目指すは、ゲームをやり終わったあとに開発者インタビューを読んで、なるほどぉ、じゃあもう一回プレイして確認するか!!
…みたいな、つまり作品を深く知るヒントのような、そして興味がさらに増えるようなものにしたいのです。

さあ、さっさと喉を治して、100号の描写開始だ。もう構想はかたまってるんだーふふふ。失敗したらイヤだな。


 お昼。うれしいことがあったので、近所の菊水のイタリアンレストラン、OSTERIA Trippa (オステリアトリッパ)でお食事。初めて行ったけど、とても料理がおいしーい。地下鉄菊水駅3番出口から徒歩30秒。

 のち、画材を買いに街へ繰り出す。大通り公園のとこに北洋銀行のガラス張りのでっかいビルがいつのまにやらできてて、一階のカフェは人がたくさん。もうすこし札幌駅方面に歩くと、またおっきくて新しい似たようなビルがある。そのすぐ近くも、新しいビルが建ちそうな気配。元々この通りがどんな風景だったかよく思い出せない。

 風景をみながら子供の頃に思い描いていた21世紀の風景とボンヤリ比べた。

 札幌駅東コンコースのART BOXで、高橋喜代史さんことキーボー君の展示を見る。ちょうど一年前は自分が展示していた場所だ。んなもんで搬入のことも想像しながら展示を見ることができた。こりゃしかしインパクトがあるし、ビジュアルの取っつきやすさもあるし、あの難しい箱形展示空間をうまく演出している…やっぱさすがグランプリ。

また、単純にエルズワース・ケリーエド・ルシャのイメージ、それにドラえもんの道具コエカタマリンがなぜか頭の中に連想ゲームのように思い浮かんだ。

 モノとしての完成度を上げるためにかなり面倒な作業をしてるに違いない。すごいな。ディティールを観察するも、あの場所であんまりじろじろウロウロやってると、どうしてもアヤシイ人になっちゃうんで、落ち着いて長時間みるには若干覚悟がいる。
 一歩間違えば普通のディスプレイになってしまうキワドさもあり、街に埋もれるアートについて考えるきっかけになる。

 そんなキーボー君と、同じくART BOXで昨秋展示していた斉藤幹男さんが、Intercross Creative CenterのS-AIR(札幌アーティスト・イン・レジデンス)でレジデンス報告会を行うってんで、参加する。
 キーボー君はニュージーランド、斉藤君は京都府舞鶴の報告。興味深い話。斉藤君は、たった2週間で若干ムチャぶりな展開をよくぞあそこまでもっていったなあ…実行力がありすぎる。

 レジデンスの報告会を見るたびに、よく短期間で何らかの形を残してこれるなあ…とそれだけで感心してしまうのだが、二人とも、レジデンス特有の難しさもしっかり感じながら自分の中に問題点や課題を持ち帰ってきた潔さがあって、その辺も踏まえながら報告後の飲み会でいろいろ話した。
 最近妙に話したがりなので、先輩作家さんにもズケズケ質問攻めで自分は楽しい…。特にキーボー君はモノありきモードになってるのし自分と共通した問題を持ってそうで、でも違って、発表スタイルも空間に柔軟対応できるものだし、最近いろいろ聞き出したい。

 レジデンスか…自分がどっか助成金で外国に行ってなにかプロジェクトやるとしたら…作るものは基本変わらない、絵画を作るのだろうし、それにはいつもの画材が必要だし、ひと作品つくるのにも引きこもってそれなりに時間がかかり…なんとも制作スタイルに拡張性が無い。それで許されるのであれば、興味はあるけどやっぱ難しそうだ。

しかし、あー喉イタイ。風邪か!?

 晴れた午前中にパネルを外に持っていって、キワの仕上げ。オービタルサンダで、枠からすこしだけはみ出たベニヤを削り落とす。加えて、ガンタッカーの針を抜いて若干ボロ付いた表面も整地。木粉も拭いて、これでやっとパネルができた。
 ベニヤの側面は、直接絵具を塗るととってもヤニが出て黄変してしまうのでヤニ止めしなきゃ。シーラーを塗るだけでは防ぎきれないことがあり、この問題は未だに頭を悩ませているのだが、デッサン用のフィキサチーフをかけると効き目があると聞いたので実践中。スプレーは苦手だが、シューっとやる。ゲホゲホ。

 
 ところでmixiとかtwitterって、どちらも結局自分で発信するのを怠ってほとんどただの情報受信ツールになってしまってます。
 twitterとか最近ようやくアカウントとったけど、いろんな人のつぶやきだらだら読んでみるだけでえらい時間が過ぎてしまうので困る。
 

 パネルのボンドが乾いたので、ガンタッカーの針を抜く。クイッと釘抜きで針を浮かせて、ラジオペンチで引っこ抜く。これが200本くらいはあったはずだ。うめき声をあげながら抜き続ける。
 途方もない単純作業に絶望することは度々、いや、たかがこんなもんで途方もないとか思ってんじゃねえよと心の声。そうしたらさっそく手にマメができた。イタイ。なんて貧弱な自分なんだ。
 もっと効率の良いパネル作りはないもんか。抜く作業は1時間程度だったのに、それだけでヘトヘトだ。体力の無さはとっても厄介だなぁ。

外は雨。雨が降ると、エネミーは雨宿りにウチに入ってくる。ほーらゼイゼイしてる僕の横には、まあるいお尻の蜘蛛ちゃんよ。

ちょうど絵にメディウムを塗っているところで、思いついた。絵の表面にトリモチ食らわれる前に、こっちからトリモチを食らわせてやれ。と。
そこで、絵に塗り終わって筆に余ったメディウムをティッシュで拭き取り、そのティッシュを開いてそのまま壁の蜘蛛に、ペタ!生け捕ったり。
そのまま丸めて、処理。
悲しくなるほど残忍な駆除方法だがなかなか捕まえやすいぞ…。
害虫の話ばっかりになってしまう、自粛します。

いつも行くローソンでエヴァ関連商品がワンサカしてる。UCC缶コーヒーのおまけのフィギュアが値段の割になかなか良い出来だなあと横目で見てたが、日に日に数がぐんぐん減っていくので、これはやはり買っておいたほうがいいのでは?という気になって、アスカ購入…なんてミーハーな!!でも世代だからいいんです。
さっそく我が家の中途半端フィギュア&オブジェコーナーに並べた。ウゴウゴルーガのテレビくん、太陽の塔、子牛、デュシャンの大ガラスミニチュア、村上隆のキノコ、そこにアスカ。う〜ん、このなんともこだわりのないバラバラ加減が、自分的にはそれなりに気に入っているからいいんです。

 GW、ここにきてなんとも春らしい暖かさ。気持ちがいい。そしてそんな気分の時は決まってエネミー達も活発。ワラジ虫は防げているものの、ついにアリが一匹家に入ってきた。

 アリくらいなら手でプチッとやれるので速攻成敗。こいつらは油断すると仲間をすぐに呼ぶのでやってられない。。。と思ったらお次ぎはゲジゲジが!!成敗できぬまま隠れられた!勘弁してくれ。
 おかしいぞ、ゲジゲジは毎年秋くらいになって初めてコンニチワしてきたのに、まだ5月…先が思いやられる。しかしこれら駿足野郎たちは家の周りに撒きまくったワラジ虫コロリじゃ全然防げないのな…はあ。
仕方がないので外に、アリの巣コロリをセットした。うわあいろんなアリが家の周りに発生しまくってる。コロリに騙されて全滅しなさい。しかしせっせと一生懸命コロリ剤を持ち帰るアリを眺めていると、それはそれで切ない気持ちにもなる。

さてゲジゲジはどうやって防げばよいのか…。

 さてだいぶ前に作っておいた100号の木枠が未だに木枠のまま。4月には描き始める予定だったのに、逃げで作り始めた小作品がもはや完成に近づいている。さすがに100号を進めなければマズいので、木枠にシナベニヤを貼ってパネルにする。

 さぶろく(1820mm×910mm)サイズを超えるパネルを作るのがとりわけキライ。ベニヤをカッターで切るのがしんどいし、ボンドまみれになるし…。100号だったら、ベニヤが2枚必要で、2枚の境目に段差ができないように、キレイに接合しなければならぬ。

ガンタッカーでバンバン木枠に打ち付けて浮いてこないように固定。特に境目は隙間なく打ちまくる。ああしんどい。今日はここまでで乾燥待ち。乾いてからぜんぶタッカーの針を抜くのがまたしんどい。

そこにアリがまた一匹、貼りたてパネルを登ってきた。成敗!!
外のコロリ剤をさっさと持ち帰れ。本当に迷惑だ。

一番困るのは、乾燥中のジェルメディウムの上にヒョコヒョコ現れてとりもちのようにくっつかれる可能性があることだ。
ジェル塗って寝て、朝起きたらゲジゲジがくっ付いて死んでましたなんて展開は考えたくもない。

 最近は相対性理論のシンクロニシティーンとチャットモンチーの表情ばっか聞き、たまにビートルズのホワイトアルバムを聞き、Youtubeで神聖かまってちゃんを見て、
ズレ気味のロックってやはり良い!といった気分。

音楽に関してはド素人もいいとこで、ミーハー所をとりあえず聞いたり、誰かがおすすめしてくれたものを聞いたり。音楽に詳しくなってみたいと思っても、聞くべき曲があまりにも膨大な量で、途方にくれてしまうんだ。
 幸運にも、周りに音楽に詳しい人が何人かいるので、いろんなタイプの音楽を教えてもらう事ができてラッキーだ。最近知り合えた橋本君は自分でも本気で音楽を作っているかなりな音楽好きで、話が楽しい。最近はFlying LotusやThe Radio Dept.などを教えてもらったが、良いなー。

ひと通り自分なりにいろいろ聞いたところ、けだるい感じのオルタナティブロックやら聞きやすいエレクトロニカやら歌謡曲やら超有名曲やらが、肌に合うようだ。
 カッコ良い曲ばっか沢山知りたいーと思いつつも、それはお前キャラじゃねえだろぅと自分突っ込みが入り、反動で超サワヤカなDEENとか突然聞いたりもする笑 小学生の時に聞いてた印象より、かなりいろんな音を耳が拾うようになったので、ある意味新鮮。

 やはりipodを持ってから、いろんな曲を知りたい!!という強い欲望が芽生えた。とにかくざっくばらんに曲を突っ込んで、一貫性のないむちゃくちゃな中身にしたいのだ。こんな楽しい道具はなかなかない。突っ込んだまま一回も聞いた事ない曲もたくさんあるはずだ!

 ところで、僕は長い間、日本語うた曲の歌詞の意味を、よく把握できてないまま聞いていたということに、数年前に気付いた。
 不思議なことに、カラオケ等で歌う為にしっかり歌詞自体は覚えているのに意味は把握してなかったりするのだ。
 ただの音として覚えてたのか?いやでも外国語うたとも違った印象だ。フレーズフレーズの意味はなんとなく理解してる、はず。歌詞全体が醸し出す世界観とかをすっとばしてたのか。
 だからスピッツとか意味不明な歌詞でフレーズを楽しむ曲とかぴったし!!
まず頭の中で重視しているのは、良いメロディや音の使い方や組み合わせ方らしい。

 なもんで、それはさすがにマズいと自覚してリハビリのように歌詞の意味を踏まえながら曲を聞くようにしている。するともう昔の荒井由実とか良いメロディだけでなくとんでもねえ日本語詩の操り方をしててびっくりした。よくある失恋の内容を言葉のチカラで凄みを加えているではないか。

 似たようなことが絵画鑑賞でも一時期発生していた。見たい絵画が目の前にあったらまずニオイがクンクンできるくらい絵肌に近づいて、絵具の色や盛り具合、どんな風に筆を使って体を動かして描いたのかとかそういうのばっかりみて、後は距離をとってだいたいの全体把握をしてそれでオーケー満足!という。具象的なイメージが描かれた絵を見る場合、重要な要素を見逃してるじゃないか。

 …脳みその作りに問題があるのではないかと自分を疑い、自覚してからはちゃんと描かれたイメージと描かれ方を複合的に見るようにリハビリした。だから、本来一枚の名作絵画を鑑賞するには、かなりの情報量があるため、相応の鑑賞時間が必要なんだと理解した。

 …つまり、ちゃんと聞いたような見たような気分っていうのは実はぜんぜんそんなことはないかもなんだよなあ!ということでまとめ。

 時計台ギャラリーでの廣澤正俊遺作展へ。廣澤先生は、僕が2年間教師をしていた高校の元々の美術の先生で、病気で入院されたため急遽ピンチヒッターで僕が代わりの教師になったのだった。ピンチヒッターながら現場で速攻ピンチになり、ご本人に会っていろいろ話を聞いてもらったりした。3回だけしか話す機会はなく、今から1年半前に亡くなられてしまったのだけど、とてもおもしろい方で、自分も生徒になったような気分で慕っていた。
 オーソドックスな洋画を描く先生なのだが、シリアスな画風の中に実験精神が盛り込まれており、なるほど描写方法フェチな熱気が伝わってきた。きっと支持体に絵具を乗せるのが楽しくて仕方がないタイプだ。そうだ、話した時に美術手帖の大竹伸朗特集に熱くなっていたのが印象的だった。

会場ではお世話になった先生方とも久々に再会することができて懐かしかった。。あ!そしてホワイトヘアーのあの方は我らが山本先生!!てことでちょっとティータイムへ。雰囲気のある喫茶店に入り東京話を聞かせてくれておおいに楽しんだ。


 その後、トオンカフェに向かう。冨田哲司さん個展へ。真砂雅喜さんとのアーティストトークが行われていたので、聞く。同時代の話など共感できる部分あり。
 展示作品は平面作品だったが、描写されているのに絵画的では無い気がしたので絵描き脳な自分としてちょっと話し込んだらおもしろくなってきちゃう。真砂さんも冨田さんも現代アートの文脈を強く意識している作家さんなので、そういう立場から見た絵画ってどう思ってんのかが気になってしまい質問したり。僕はどうも絵画を軸にしなければ美術話をうまく展開できんのだ。つい2時間弱ほど経ってしまい、画材屋さんに行きそびれてしまった…。

ふーむ…しかし現代アートという言葉もなんかすっかり時代にフィットしなくなってきてるような感じもするけど、今日は洋画と現代アートっていう割と対極な美術表現を連発で体感したので、ちょっと頭の中が揺らぎ気味だ。

揺らぎながら考えた。
しっかり美術表現するならば、単純な話じゃないけど、まずは

・「常に今とリンクしながら進む、時代と美術の文脈」

・「絵画なら絵画、彫刻なら彫刻、映像なら映像、インスタレーションならインスタレーション、のメディアそれ自体が持つ不動の構造」

・「自身の超私的テツガク経験論」

といった要素を巧みにクロスオーバーさせる必要があるような。

僕はなぜか道展という洋画だらけの公募展にいて、毎年大量の洋画を見ては違和感を抱くのだけど、洋画は、現在進行形の美術の文脈にあまり関係がない。それに、大半は「絵画というメディア自体の構造」にもそれほどシリアスに向き合っていない、ような気がする。
 じゃあ、現代アートと称して発表されてる威勢の良いヤングな作品は果たしてどうかと言われたら、洋画と対して変わらず、つまりどちらも、「自身の超私的テツガク経験論」が膨れ上がりすぎてどうしよもない独りよがりでつまんない作品になってるじゃないか。

今日見た廣澤先生の作品群は、「自身テツガク」に加え「絵画の構造」に突っ込んでいってたような気がした、ので、現代性は弱いが絵画というものとして迫力があるし、今日見た冨田さんの作品は「自身テツガク」に加え「時代と美術の文脈」に突っ込んでいってたような気がした、ので、作品そのものは絵画としては弱かったけど、考えを示すトークに自体に迫力がある。ような、気がした。(言い切る自信がないので曖昧表現。)

と、生意気な発言をしてみたテメエ自身はどうなんだという話。
僕はかなり長い間、学生時代はほぼ全部、「絵画の構造」のみに夢中になっていて、「時代と美術の文脈」についてはいつも30年遅れだと言われ続けたし、「自身テツガク」もスッカラピンの頭ん中じゃ反映するもクソもない。なのでなんとか知識と経験を増やして作品に迫力を持たせたいと思っているけど、自分に甘いし、なかなかそのクロスオーバーっていってもまたテクニックがいるっていう話だし、苦労はしているつもりですがいかがなもんかなあ…

今自分の作っている絵画作品が斬新で最先端なものだとは思えない。
でも自分は今を生きている。1981年に日本北海道帯広市に生まれて、20歳の時が21世紀元年で、今は無限の情報と幸福なテクノロジーとよくわからん社会に囲まれながら絵を描いている。

「自身テツガク」を充実させるには、なぜどういういきさつでこの地で生まれて、どういう経験をして、何を感じてきたのか、何に出会って何に影響されて何を選択してきたか、そういうことをじっくり考え直して絵画にフィードバックさせていって、今度は逆に絵画から自分の思考にフィードバックさせていくことも大事だ。
 

 繰り返しそういう事を実行していけば、斬新ではなくとも、今の時代の空気を絵画の中に落とすことはできるのではないか。
ってな事を定期的に考えてる。

なにはともあれ、いろいろ活性化!

 ある限定されたコミュニティに知らないうちに所属して、知らないうちにそのコミュニティでの価値観を持って、ある程度共有しながら生きていくのが、人としてフツーのことだ。

 例えば「芸術」というコミュニティ、「会社」というコミュニティ、「同級生」というコミュニティ、自分も知らぬ間に無所属ではいられずに、何らかの価値観におすわりしている。

 世の中には自分に全く関係のないコミュニティがある。自分が所属し得ないようなコミュニティがあって、そこでは全く自分の価値観が通じないような現象も起こる。

 そんな中で、価値観が通じないコミュ二ティが存在するということはとても難しい問題だ。うまく棲み分けができればいいのに、ヘタに相性の悪いコミュニティが接触した場合、憎しみや恨みにも繋がってしまうこともあるみたい。

 そういう時に生じる、モヤのようにつかみどころのない歪みの正体に僕はなんとなく興味をそそられてしまう。
 モヤをぱくっと食べて、自分自身がモヤのようにそのへんを漂っちゃうような感覚でいたいという願望が若干ながら存在する。

 モヤの中には、人が持つあらゆる感情の導火線が潜んでいて、モヤモヤ仙人が、ライターを持ってウロウロしている。そんなイメージ。

 何を言っているのか、伝わらないような気がするけど、こういう漠然としたことを考えるような機会があったということで、さらに漠然とこの文は続いてしまう。
 
 さて、そして改めて、僕はやっぱり本当はあんまり人のことが好きじゃないのかなあ…と考えてみたりしているけど、
 どうやら人のことというか、知らぬ間に負の感情に気持ちが囚われている状態やコミュニティの価値観に囚われている状態の人を感知したときに、どうしよもないやるせなさを感じてしまうのではないだろうか。

 その「やるせなさ」だ!これを、「やるせねえなーぁ」ってため息ついてる前に、キャッチして結晶化させたいのだ。
 どうしよもないこと、抗えないこと、は、人が人である以上(自分も含めて人って本当に欠陥だらけだし←それを否定するつもりはない)、必ず発生する事象なもんで、「それもしょうがねえやぁ、でもやるせねぇやぁ…」って思った中に、モヤが発生するんだ。

モヤを抽出したような要素を、作品の中になんとか込めたいと日頃からボワーッと思っている。
僕はただキレイで明るいユートピア傾向な作品を作るつもりは無くて、人のネガポジを含めてまずはそれを事実として腰を据えるところから始めたい。

 この漠然とした考えをウチに持ち帰って、壁にかけている自分の作品とにらめっこをしてみると、まだうまく形にできてない、モヤ純度を上げるためには足りない要素があるような気がしてならない。

人間なんてラララララ〜!

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