3月29日にもともと行く予定だった栃木の大黒屋さんへ。福島空港経由だったのでギリギリまで行こうか悩んだけれど、
最終的には行った方がいいはずだと自分に言い聞かせ、まずは急ピッチで作品を完成させる。
千歳から福島行きの飛行機には満席の乗客。途中飛行機の窓からは被災地の津波の跡がまだ残ってるのがハッキリ見えた。空気が澄んでいたら、着陸寸前に原発も見えたはず。空港は原発から50km弱離れている。空港にいた半分くらいの人達はマスクをしていたけれど全体的なムードは落ち着いている様子だった。
そこから郡山に移動、5分くらいで乗り継いだので駅前風景しか見ていないけれど街は普通に動いていた。山の向こうでは大変なことになっているなんて信じがたいけれど、何かそわそわする。
在来線が止まっているのでバスとタクシーで大黒屋さんまで。
今年のコンペの入選者さんは、やっぱり半数くらいしか来れていなかったけれど、作品展はおもしろかったし各作家さんと話して現状どんなこと考えてるのかも聞けて良かった。
社長の室井さんともお話。知識が豊富で自身の哲学をしっかり持っている方なので、勇気づけられた。審査員さんは天野さんは多忙で来られなかったけど、菅さんと小山さんにはお会いすることができた。小作品を館内に飾って頂いているので、今年も実物を見てもらう事ができた。小山さんには今後この方向で進む上での問題点を鋭く指摘された。貴重だ。さらにカメラマンの鈴木さんと前回に続いて深夜の飲み会。よく来たなと言われたので、迷ったけど勘で来ましたっつったら、「若いときは、迷ったら、GO!だよ」説得力ある!
面白い人が集まっているこの宿屋さんに一日いるだけで頭の回転がハンパ無い。思考が少しだけ前に進んだ気がする。
みんなやっぱり震災について考えてるし、各々の現実問題も沢山あるはず。連日の衝撃的映像と情報を浴びて平気でいられるわけがない。札幌では被害はほとんど無かったけど、直接強い揺れを体感した人もいる。精神的なショックは何倍もあっただろう。
それでも芯からくるようなエネルギーを感じた。状況はシビアでも精神的にタフなのは重要だな。
美術作家や美術に関わっていく人の強みってそういうところかもしれない。
そういやここ最近札幌ではいくつかのアートチャリティの話が持ち上がっていたけど、断ってしまった。
美術って今回のような災害に対する即効性は本来あまり持ち合わせていないような気がするし、
義援金のために誰かに自作を買ってもらうってなんとなく自分の考えと照らし合わせると違和感が残ってしまう。
そこは人によっていろんな考え方があると思うけど、
僕は美術のことは個人的に行って、震災については人としてできることをやろうと決めた。
美術ができる一番のことは、物事を繊細に捉えてしっかり作品に変換させていくことだろう。
それが意味のあることなのかどうかは人によって違うはず。良い作品作らなきゃほんと社会的に無意味だし。
でも、戦時中にクレーは殺されるかもしれないのに隠れて作品を作ってたし、マティスは妻子が捕虜になっても制作を続けていた。
そんな風に生まれた名品を美術館で見て、感動できるということは、やっぱり何かがある。
少し時間はかかるかもしれないけれど、今回体験したことは、なにかしらのかたちで今後の作品に必ず反映する。
それは震災をテーマにするとかそういうことではなくて、時代そのものを取り込んでしまうのが美術作品だと思うし、
実際フォーマリズムって言われる抽象表現主義の作品だって実は戦後の空気が色濃く反映されてる結果のシリアス具合でもある。
今回のことは、戦争ではないけれど、天災と人災が連鎖して問題も複雑化している。
今偶然と必然が垂直に交わってる状況で作家はさらにそれら必然と捉えて作品をつくることも可能なのではないかみたいな話を菅さんがしてて、
難しい言い回しもたくさんあったんだけど、内臓にくる話だった。
んな事を温泉に浸かってリラックスしながらいろいろ考えた。
30日、昨夜の皆さんと話してる時は夢中でまたしても写真を撮り忘れるというミス。
早朝の大黒屋さんロビー。入選作品が並んでいる。
今年10月の個展のため、壁の大きさなどを再チェック。
菅さんの作品が一望できる倉庫美術館。一度に一人のこれだけの量の作品を見られるおもしろさ。やっぱり数多く作品体験することで、なんとなくだけれど作品の共通性とかその作家がやりたいことの根本を感じられるんだなあと思う。
帰りは金沢組と小野塚さんと関東平野一望&那須の有名カフェSHOZOに。
那須高原から見た関東平野は、壮大。
日本を回ったとき、この国はほとんど山で、少ない平野地帯に人間文化が集中してる実感をした。地震国であることとその裏返しでこんな深みのある自然環境、なるほどそういう地形と日本人は共生してきたんだと考えると、今問題が起きてしまった原発の存在はなんとなくのうちに土地との対話を忘れてしまった象徴のようにも思えてくる。六ヶ所村の横を通った時も、あのあたりの土地はやっぱり独特の怖い存在感を持ってたな。
爆発すると怖いけど、もうあるんだから仕方ないしまさかそんな大事故にならんだろう、でも怖いよねえやっぱり、って程度の認識の人も沢山いたんではないか。自分はそうだった。そういう意識が国全体でくつがえってしまった。一体どうなってしまうのかわからないけど、何かが劇的に変わっていくまっただ中にいるんだよな。
最後は福島空港まで送っていただいた。途中の道路がボコボコしてたり、屋根の瓦が破損してる家があったり地震の揺れがいかにひどかったかが想像できる。
空港で冊子のデザイン構成をやる。今回の展示は喫茶空間なので、テーブル毎に展覧会説明の小冊子を置くのがいいと提案したものの、
思った以上にこれも時間がかかって参った。
帰って来てからそのまま夜勤。
最終的には行った方がいいはずだと自分に言い聞かせ、まずは急ピッチで作品を完成させる。
千歳から福島行きの飛行機には満席の乗客。途中飛行機の窓からは被災地の津波の跡がまだ残ってるのがハッキリ見えた。空気が澄んでいたら、着陸寸前に原発も見えたはず。空港は原発から50km弱離れている。空港にいた半分くらいの人達はマスクをしていたけれど全体的なムードは落ち着いている様子だった。
そこから郡山に移動、5分くらいで乗り継いだので駅前風景しか見ていないけれど街は普通に動いていた。山の向こうでは大変なことになっているなんて信じがたいけれど、何かそわそわする。
在来線が止まっているのでバスとタクシーで大黒屋さんまで。
今年のコンペの入選者さんは、やっぱり半数くらいしか来れていなかったけれど、作品展はおもしろかったし各作家さんと話して現状どんなこと考えてるのかも聞けて良かった。
社長の室井さんともお話。知識が豊富で自身の哲学をしっかり持っている方なので、勇気づけられた。審査員さんは天野さんは多忙で来られなかったけど、菅さんと小山さんにはお会いすることができた。小作品を館内に飾って頂いているので、今年も実物を見てもらう事ができた。小山さんには今後この方向で進む上での問題点を鋭く指摘された。貴重だ。さらにカメラマンの鈴木さんと前回に続いて深夜の飲み会。よく来たなと言われたので、迷ったけど勘で来ましたっつったら、「若いときは、迷ったら、GO!だよ」説得力ある!
面白い人が集まっているこの宿屋さんに一日いるだけで頭の回転がハンパ無い。思考が少しだけ前に進んだ気がする。
みんなやっぱり震災について考えてるし、各々の現実問題も沢山あるはず。連日の衝撃的映像と情報を浴びて平気でいられるわけがない。札幌では被害はほとんど無かったけど、直接強い揺れを体感した人もいる。精神的なショックは何倍もあっただろう。
それでも芯からくるようなエネルギーを感じた。状況はシビアでも精神的にタフなのは重要だな。
美術作家や美術に関わっていく人の強みってそういうところかもしれない。
そういやここ最近札幌ではいくつかのアートチャリティの話が持ち上がっていたけど、断ってしまった。
美術って今回のような災害に対する即効性は本来あまり持ち合わせていないような気がするし、
義援金のために誰かに自作を買ってもらうってなんとなく自分の考えと照らし合わせると違和感が残ってしまう。
そこは人によっていろんな考え方があると思うけど、
僕は美術のことは個人的に行って、震災については人としてできることをやろうと決めた。
美術ができる一番のことは、物事を繊細に捉えてしっかり作品に変換させていくことだろう。
それが意味のあることなのかどうかは人によって違うはず。良い作品作らなきゃほんと社会的に無意味だし。
でも、戦時中にクレーは殺されるかもしれないのに隠れて作品を作ってたし、マティスは妻子が捕虜になっても制作を続けていた。
そんな風に生まれた名品を美術館で見て、感動できるということは、やっぱり何かがある。
少し時間はかかるかもしれないけれど、今回体験したことは、なにかしらのかたちで今後の作品に必ず反映する。
それは震災をテーマにするとかそういうことではなくて、時代そのものを取り込んでしまうのが美術作品だと思うし、
実際フォーマリズムって言われる抽象表現主義の作品だって実は戦後の空気が色濃く反映されてる結果のシリアス具合でもある。
今回のことは、戦争ではないけれど、天災と人災が連鎖して問題も複雑化している。
今偶然と必然が垂直に交わってる状況で作家はさらにそれら必然と捉えて作品をつくることも可能なのではないかみたいな話を菅さんがしてて、
難しい言い回しもたくさんあったんだけど、内臓にくる話だった。
んな事を温泉に浸かってリラックスしながらいろいろ考えた。
30日、昨夜の皆さんと話してる時は夢中でまたしても写真を撮り忘れるというミス。
早朝の大黒屋さんロビー。入選作品が並んでいる。
今年10月の個展のため、壁の大きさなどを再チェック。
菅さんの作品が一望できる倉庫美術館。一度に一人のこれだけの量の作品を見られるおもしろさ。やっぱり数多く作品体験することで、なんとなくだけれど作品の共通性とかその作家がやりたいことの根本を感じられるんだなあと思う。
帰りは金沢組と小野塚さんと関東平野一望&那須の有名カフェSHOZOに。
那須高原から見た関東平野は、壮大。
日本を回ったとき、この国はほとんど山で、少ない平野地帯に人間文化が集中してる実感をした。地震国であることとその裏返しでこんな深みのある自然環境、なるほどそういう地形と日本人は共生してきたんだと考えると、今問題が起きてしまった原発の存在はなんとなくのうちに土地との対話を忘れてしまった象徴のようにも思えてくる。六ヶ所村の横を通った時も、あのあたりの土地はやっぱり独特の怖い存在感を持ってたな。
爆発すると怖いけど、もうあるんだから仕方ないしまさかそんな大事故にならんだろう、でも怖いよねえやっぱり、って程度の認識の人も沢山いたんではないか。自分はそうだった。そういう意識が国全体でくつがえってしまった。一体どうなってしまうのかわからないけど、何かが劇的に変わっていくまっただ中にいるんだよな。
最後は福島空港まで送っていただいた。途中の道路がボコボコしてたり、屋根の瓦が破損してる家があったり地震の揺れがいかにひどかったかが想像できる。
空港で冊子のデザイン構成をやる。今回の展示は喫茶空間なので、テーブル毎に展覧会説明の小冊子を置くのがいいと提案したものの、
思った以上にこれも時間がかかって参った。
帰って来てからそのまま夜勤。