母方の祖父の23回忌で帯広へ。
久々に親族が集まる。
子供の頃盆正月のたびに遊んでいた従兄弟たちもすっかり大人だ。
2歳になった甥っ子は、お坊さんや法事のヘンテコさを満喫しているようだった。

祖父は樺太の落合の生まれだった。
さらに、ひいじいちゃんの遺影は立派な制服なので、
どんな仕事をしていたのか聞いたら落合で消防団の団長をやっていたのだとか。
若い時に亡くなったらしい。へえ。
祖父は戦後樺太から函館へ、仕事探しにさらに岩手の花巻へ、そこから北海道に戻り、
そこからまた二転三転…と大変な人生が次々ばあちゃんの口からでてくるわ、
昔の人は兄弟姉妹も多いから誰と誰がどう繋がり誰に呼ばれてここに移動して、
などなど、簡単に聞いていてはとても把握しきれない。
芦別の明治鉱業という炭坑で11年働いている時に、僕の母が生まれたのだとか。 

父方の祖父母も同じ市内に住んでいる。
会って少し人生を聞けば、
そちらはそちらで色々と濃いエピソードが出てくる。

先祖話は、たかだか2代遡っただけでも
バラバラの地域関係と壮絶な人生観が顔を見せる。
母曰く、色んな話がちぐはぐになっちゃってる部分もあるようで、
どこまでホントなのかわからんらしい。

法事の前日、札幌国際芸術祭のイベントで中谷芙二子さんのトークを聞いた。
その人生にはまた全然別の壮絶な過酷さがあり。
中谷さんは実は祖父母に近い世代なんだと気付く。


うちの両親は昭和中期生まれ
バブル崩壊やらやはりいろいろ大変だったのだろうが、
具体的な人生話は今までそんなに沢山聞いてこなかった。
ちゃんとしたサラリーマンで、地方生活。1つの幸福の形。

さらに1代後の僕は、
親世代が必死に築いた平和平凡を、よく知らんまま当たり前の生活基準として育ち、
呑気な気分のまま勝手無邪気に退屈を感じ、結果、芸術方面をめざして今に至るのだと思うと、
その自由は2世代かかって作られたタイヘンな自由なのだ。
生き抜く感覚が祖父母、父母、僕では、全くちがう。
北海道における、近代から現代への意識、家族編。。。。

美術畑に浸かる僕の現在の日常、特に震災後は、
入ってくる情報もシリアスな事柄が多くを占めるようになった。
全体的にカリカリしている。
でも地元に帰ると色々とズレを感じる。
都市と地方、日常と非日常。
どちらが正しくどちらが優れているという話ではない。
しかしこのズレは大事な思考のきっかけだと思う。 

人生のいろいろを聞いてるうちに、僕の凡庸さがある種の時代性と思うと同時に、
その感覚をどうやって意識の中にうまく取り込む事ができるのか、考える。
1つだけ意識しときたいのは、
いま芸術を行いながら生きるのならば、
1、2世代前に笑われないくらいの何かしらの大きな負荷を自らかけにゃ、
笑われるわってこと。