やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

2017年04月

ゼルダの伝説時のオカリナ以来、実に約18年ぶりくらいにシリーズ新作、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドをクリアした。ここ最近は制作スケジュールがタイトすぎて、ゲームを買ってもつまみ食い程度にしかやる余裕が無くて泣く泣く趣味としての優先順位を下げざるをえなかったのだが、この作品に関しては時間が無くても止められず、どうにか時間を削りながら125時間ほど費やすことになった。驚き。実は発売前はやる気があまりなかった。その気持ちを変えたのは発売直前の3rdトレーラーおよび、ゲームセンターDXの濱口さんのプレイ動画による。



ゲームそのものからの気迫というか、傑作の予感がビシビシ。
予感は当たったどころか大幅に超えてきた!ので、感想というかレビューというか。

ゲーム史のとても大きなポイントに触れた感覚。 
映像作品と違って、このようなゲーム作品は時空間に対して能動的、とりわけ今作は場の設定が広く自由度が高い。ゼルダは特にシステムありきで人物設定やストーリーが組み立てられているので、まず場づくり自体への創造性を確認することに意識が向く。
天気や温度、昼夜の環境変化の中でシームレスな世界中を探索して回ること。
物理法則を操る謎解きというかもっと自由度の高い遊びの感覚、ものをどこまでも持って行ったり遠くに弾いたり正攻法以外の遊びに溢れている素晴らしさも相まって、とにかく空間全体が今までで一番生きている感じ、空気や生命に満ちている感じがする。
重力は現実世界よりもちょっと軽めに感じたけれど、それは移動のストレスを感じさせないいいバランス。 
しかも今作の世界観は写実方向ではなく、過去シリーズでも何度か採用されたデフォルメ絵の世界がベースになっているので、絵の抽象性が常に用意されてるんだよな。それは容量とかグラフィック性能の限界からという理由もあるんだろうけど、グレーを混ぜた発色のマットな質感のペイント調の色彩設計によるトゥーン調のベタ塗り世界(にも関わらず空間感のある独特さ)の良さは色々な問題解決に役立っているんだろう。
3D空間のゲームって基本的には彫刻的で、絵の抽象性が減ってしまうことがずっと気になっていた。特にマリオなんかは3Dモデルにしてから失ったものも多い。それは最近の3Dモデルで作ってた2Dマリオに顕著で、3Dモデルで作っていることで世界が狭く感じるんだよな。(解像度高めの3D世界で同様の抽象性を発生させるには、ズートピアみたいに一度では見きれない過剰な情報量を作り込む方向になるのでは)
今作は絵の世界がベースなおかげでどこをデフォルメして、どこをリアルに設定するかのシステムバランスも、その抽象性を利用することで破綻なく成立しやすいのかも。つか、その辺のデフォルメの調整がうますぎるんだろうな。例えば木を切ってすぐ薪になる、ケモノを倒してすぐ肉になる、鍋に素材突っ込んですぐ料理になる、みたいな要素はリアル空間では違和感になるはずだ。

それに、例えば「君の名は。」の背景にグッと感じるような、日光の色調が強くて眩しい美的という今風の色調で世界が描かれていたり、王道の冒険活劇や古代文明との関わりという点では「天空の城ラピュタ」的なイメージを明らかに踏襲していて、主要キャラクターのキャラ設定など、そういう点でも実写映画からではなくアニメ世界からのゲーム派生というしっくり感がある。かと言ってアニメアニメしすぎてないところがまたいい塩梅なんだよね。

そういった特色のある広〜い場が用意され、プレイヤーがどう振る舞うか、何が起こると面白さになるかが予測された上で仕掛けが用意されている。ウロウロしたりキョロキョロしてたら何かしら怪しい場所に当たり、行動を起こすと自分にご褒美(体力、お金、装備、など)が与えられる。このテンポの良さが絶妙で、適度な頭の体操をしながらパズルを解ける。ご褒美が増えることによってリンクが強化され探索がしやすくなって、もっと行きづらいエリアにも挑戦しやすくなる。

体力ゲージがもつ限り壁にも登れるので、チュートリアルが終わった段階で実際どこにでも行けるけど(チュートリアルがある意味一番難しくて、何度もゲームオーバーになることに対する慣れも学習できる)、はじまりの大地から解放されて世界が開かれた時の心細さときたら、素晴らしいよ。
エリアごとの難易度設定が精神的な意味で壁になっとる。山がやたら高いとか、気候が厳しいとか、強い敵が配置されているとか。僕はビビりなので、遠くに一体はぐれガーディアンやライネルなど強そうなのが見えたら、自分がかなり強くなるまでその周辺に近づかないようにしていた。
テクニックでもアイデアでも正攻法でリンクを強くしてでもエリア探索に挑戦できて、それぞれにやりがいが与えられている。
謎解きと戦闘がほぼ分離されているなど、理不尽要素がかなり少ないので今までよりも簡単に感じるのだが、それもストレスにはならずむしろ世界の体感の持続を邪魔しないための適度なバランスに思えた。
最終的にフル装備・能力解放になった時点での難易度を低めに設定して、どこまで自身の強化をしてからどこに行くか、そのプロセスはかなり好き放題、ここのさじ加減もゲームの面白さとして大きな柱を設定してるのよね。 
ストーリーの進行すら探索に委ねていて、忘れた記憶の断片を各地で回収することで物語による世界観の厚みを実感させていくという構造からは、感情が場に記憶されているという体感までもたらす。単なる機械的なフィールドではないのだ。

まあとにかくその探索が止められない。僕はしばらくは敵を避けながら高いところに登って、双眼鏡で360度景色を見渡して、怪しいところへ向かってご褒美を得る、の繰り返しというプレイスタイルだったんだけど、そのバリエーションが飽きない。山を登る楽しさをゲームで感じたことなんてあっただろうか。探索に特化した大地のデザインにまんまとヤラれた感。
僕は「パイロットウィングス」シリーズが好きで、SFC,64,3DSとプレイしてきた。今回のメインアクションとなるパラセールによる高所からの滑空の素晴らしさは、あのゲーム独特の空中感覚にも近い。世界を俯瞰移動できる良さ。右スティックでカメラを動かせば滑空中にも美しい空気の層を含んだ風景も堪能。
あああなんなんだ、このゲームの「体感」の感触は。 
 

また音楽の扱われ方もとても良い。草原や戦闘シーンは70年代のアンビエントやミニマル風でゲーム内の環境音に馴染むしちゃんと聞いてるとカッコ良く、決めの場面ではフルオーケストラまで幅も広く格調高い感じ。そして移動や時間による音楽の切り替わりの滑らかさが世界観と一致していた。

お話の中心はゼルダ姫の成長物語で、実質主役っていうところも良い。姫の設定が考古学オタクというところも良い。姫だけでなく、英傑やカッシーワなど、キャラデザインもなんというか媚びてない感じがいい。狂信組織っぽい(描かれ方はコミカルな)イーガ団の存在や、女性のみのゲルドの街のゲルド族は世界に散らばって婚活もしているなどの設定も含め、いつも通り独特の個性を持っており、敵を遠くから双眼鏡で観察していても、多彩な行動パターンが覗ける。こういうところも世界が生き生きしている要因。
時オカ以降の、人物に話しかけるとうめき声みたいなのが出る仕組みもそのままなのがいい。フルボイスよりも面白みがある気がする。リンク自身はしゃべらないが、テキストの選択肢が微妙なラインでユーモアを含む(風よりカネだ、とか)あの独特な遊び心で、無個性ってわけでもないんだよな。


いやあまだまだ書ききれないほどの魅力。。。
子供の頃にスーパーマリオブラザーズに心奪われた感覚を、
ゲームによって再び思い出した。 今までのゲーム体験で確実にベスト3に入る。
つかゲーム体験というか、これは優れた美術作品や映画の鑑賞、読書などと同じレベルで(最後までやるには100時間以上かかるのが難点といえば難点だが)、ここまでの衝撃は他メディアでもなかなかないよ。
今の子供達は子供の頃からこんな豪華でリッチな体感がゲームでできるんだなあ。。。 
つか、面白すぎて、
久々に絵を創造する面白さに対してほんの一瞬だが大きな敗北感を感じてしまい困惑したので、
こうしてこれまた久々にブログをまとめて数記事書いて落ち着かなければという状況に陥ったのだった。 

一つだけ、料理がゲームとしては微妙だったな。レシピも記録されないし、ミニチャレンジで要求される内容も見返りも大した嬉しさがないんだよな。しかしそのため逆にレシピにこだわらずテキトーに必要な効果の料理を作れるので問題はない。
俺にとっては、現実世界でもゼルダ世界でも料理は面倒だったということか。 


この記事で今作に対し「可能性空間」という表現を当てていたけど、なんて良いニュアンスだろう。
「情報を自分の身体で咀嚼する」物作りの話も納得。↓
【ゼルダ新作は2D、3D…に続く第三の波をゲーム史にもたらすか?ゲームデザインの徹底分析で浮かぶ任天堂の"新境地"】
http://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/zelda-okamoto



ちなみに任天堂の絵のクオリティやアニメーションとの接点の元々の話は公式のこれが面白い。↓
【社長が訊く『ニンテンドーDSi』小田部洋一さんと『うごくメモ帳』篇】


(写真は近所を歩いてて、コ、コログが。。。とつい思ってしまった場所)
ファイル 2017-04-24 18 15 49

(2017.10追記)
ブレワイ関係の記事はどれも読み応えあるものが多い。
これとか。
http://www.4gamer.net/games/341/G034168/20170901120/
これも。
http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/zelda 

いつのまにやら複数のギャラリーなどと一緒に仕事するようになって、
以前はこのブログなんかでも身の回りの画家生活をダダ漏らし書きしてたのに、
なんでもダダ漏らすと自分ごとだけじゃ無くなってくるのでイカンし、
自分ごとの部分だけを抽出して書かねばと思い始めると、
ん〜、、書くスピードが低下する、ひいてはストップ、
みたいになっちゃうのを、どうにかしておきたいものだ。 

高校の頃、爆笑オンエアバトルという番組が流行していて、
流行に反発して出来るだけ見ないようにしていた。
決してお笑いが嫌いなわけではないが、
コミュニケーションのすべてがお笑いの影響下になるのが嫌だったのかもしれない。 
ボケかツッコミに役割を集約されて、そのルール上で生きなければならないことはなかなか辛いものがある。どっちでもないですわ!!っていう僕のような人はどうすりゃいいのよ。
どうするわけでもなく、「シュール」というその他意味不明な人、 あるいは「下ネタ」な人、「いじられキャラ」、などにカテゴライズされる。
それすら疑問で、なんとなくそういうすべてのレッテルに属したくないような位置取りをしていた気がする。ふと。

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