作品ファイルもなんとか見せれるものになったということで、
道立近代美術館の学芸員さんである久米さんの取材をうけてきました。
作家として取材を受けるのは、自分の考えを整理する訓練にもなるので良い機会。
月末あたりに北海道新聞の記事にしてもらえるのです。

久米さんはとても謙虚かつ怒りもしっかり持ってる方だった。
そして答えたくなる質問を投げてくれるので、
少しの質問でも、答えたい事がブワーっと出てきて頭の中がまとまらなかった。
作品についての言葉を生むと、ヒントとしてわかりやすくなるし、伝わりやすくなる。
ただし必ず取りこぼしてしまう要素がでてくる。
作品は常に言葉のさらに前を進んでいるということを自覚しなけりゃならん。

記憶が鮮明な今のうちに、
頭が活性化してる今のうちにここに言葉の材料として色々メモ。

絵画とは何か?という問いから始めて行くと、
どうしても戦後アメリカ絵画がメインになって、
まずどっかでフランクステラが必ず話にでてくる。
実際50歳前後の勢力的な周りの絵描きさん達はかなり影響されているんだなというのが作品を見ればわかる。以前ご一緒させて頂いたPLUS1のメンバーなど。

 ステラがモダニズム、フォーマリズムの流れを熟知した上でミニマル風なブラックペインティング作ったのは60年代初めくらいで、
そっからシェイプトキャンバスになって80年代までどんどん絵画を拡張させていったのはとーっても分かりやすい。

その辺りの時代の美術手帖を見ると、ちょくちょく特集もされている。
さらに日本には川村記念美術館というステラコレクションがやたら充実してる場所があり、
ざっとこれだけ要素をあげるだけで、その影響は当時アグレッシブに絵画について向かっていってた若い人にとってはかなりのものだったはず。

でも今の時代からステラを見ると、拡張してるように見えて実は絵画の袋小路に行ってしまったのでは?と思うフシもある。
もちろん作品はおもしろいけど、
絵画のフォーマットを崩しすぎてどこにいっちゃうのよ〜と。

ステラ絵画としてはまず僕はブラックペインティングが好きだけど、
これはこれでややシンプルすぎる。 ポロックの作品と並べたらやっぱポロックに軍配!てなっちゃう。さらに遡ってピカソのアビニョンの娘たちと並べたら、、、。(とは言っても、極北な時代に生み出した作品の形式自体に価値があるのだから、単純に作品だけで比較するのはナンセンスな気もするが)
あとは中期のカラフルな分度器シリーズも好きだ。ああこちらはおもむろにマティスに繋がっていく。

ステラよりむしろ、絵画のフォーマットをフルに利用して無限にあれこれ組み合わせを変えて検証しながら美しい作品を作り続けるロバートライマンの方に自分は共感を覚える。

 絵画とは?という問いを突き詰めようとすると、いつまでも頭がモダニズムから抜け出せない。
モダニズムはおもしろいからそこにもまだまだ可能性はあるのかもしれないけど、
あくまで一つのムーブメントととらえる。

 僕が多感な20代前半にくらった今のジダイ的、絵画の刺激とは。
 2002年に絵画の勉強をまともに始めたのだけど、
すぐに衝撃を受けたのはリヒターとポルケだった。

どちらも2002年の段階ですでに安定感のある巨匠だった。
絵画が死んだと言われて画家が大変だったのは70年代だったみたいだけれど、
00年代における巨匠にはその70年代もずっと活動してた画家がしっかりエントリーされているじゃないか。(ポルケは一時絵画から離れてるみたいだけど)

 リヒターにおいてはMOMAの立派なカタログのおかげですぐにほぼ全貌を勉強する事ができた。
2005年には日本でも大きめの個展があって本物をまとめて拝むことができ、
ああなんという絵画の殺しっぷりなんだ!と。

絵を描いてるリアリティはあるのに絵を描いてない感じがするという恐ろしさから、
リヒターにはなりたくねえなあ…とヘンに感心した。
絵画が大好きなはずなのにどうしてこんなにつきはなせちゃうのか?
大きな何かを背負おうと決心したのか。これはミニマルな絵よりむしろ絵画の極北?
こんな作品が絵画としてでちゃってるんだから、絵画はゾンビだ笑 
不死身となった絵画界はそこからおもしろくなっていったのでした、なんつって。

 ポルケの方は好きすぎるのでむしろ割愛、
ユーモアや絵画愛に溢れるポルケがリヒターと仲悪い(ように見える)のは納得。

80年代のニューペインティング現象は歴史を振り返ればすぐに出てくる話で、
油断するとただのマッチョなムーブメントで見過ごしてしまいそうなことに注意しなきゃいかん。

前述した作家達は60年代後半から絵画にとっては苦しげな70年代を通って80年代以降に
突入していったわけで、
年代上のフィリップガストンや、
後期モダニズム出のブライスマーデンなどの作風の変化などが面白いのもこの辺の時期とかぶる。

それにこの辺からショーンスカリー、テリーウィンタースから、
皿の作風を脱した中期シュナーベルなど前時代からの流れを引き継いでいるように
思える、おもしろい作家がたくさんいる。
最低限この辺を抑えておかないと、話が進まない。

60年代後半を超えて、
01年にベネチアビエンナーレで金獅子とったトゥオンブリーも超巨匠だけど
ネオダダと同世代とは思えないほど古さが見えない。
ドローイングのペインティング化、画面内での行為の自由の獲得、
詩的な抽象表現等、難しい時代に芯を貫いた姿勢で
新しい絵画の発明をしたわけで、今こそ最も尊敬されている画家の1人だと思う。
時代的な背景もあってイタリアに移ったのかもしれないな。

90年代後半からじわりじわりと具象絵画の復権とか言って、
ピータードイグやリュックタイマンス、エリザベスペイトン、
マルレーネデュマスその他大勢が取り上げられて大物になっていったりもした00年代。 

さらに村上隆や奈良美智がリアルタイムで世界進出していく00年代。
どちらも絵画を軸にしている作家じゃないか。

僕は村上さんの絵画が好きです。
あのキャラクターデザインはどうしてもなじめないところもあるけど、
2002年付近に奇跡的に北海道でも本物の絵画作品が見れたのです。
小樽のヒーロー&ヒロイン展というやつと、旭川でドラえもん展にもありました。
あれで、ヤラレた。
本物の絵画ってやつの強力さを思い知らされた。
ゲロタンっていう巨大な作品とニルバーナっていう長い作品は
実物まだ観てないけど、実見した作品から想像するとマジですごいと思う。

振り返ればすごいじゃあないか。
こりゃ絵画に対する希望が持てる00年代。
絵描きを目指すワカモノとしては、ラッキーだったと思える動きです。
絵画の極北に向かっていた60年代のおもしろさと、
絵画がずいぶん盛り上がってる00年代のおもしろさは、ずいぶんと違ってくる。

現代美術というジャンルの中に絵画というジャンルが妙な勢いで存在しているという現状も、
なんだかおもしろい。

 非常に軽く浅い言い方をしますが、
絵画にほいほい何でも放り投げちゃてそのもの自体が時代性を引っ張って来る上にカッコ良いものが出来上がるという天才ラウシェンバーグがモダニズムの最中にドーンと現れたのは事件じゃないか。
そしてフォーマリズムの手法構造を受け継いで、
絵画の極北には向かわず絵画らしさを保ちつづけた天才トゥオンブリも事件。

 今の絵画を考えると、まずフォーマリズムの流れは絵画を描く上でのあくまで基本的構造となっていて、それを土台とした絵画らしさ、を守った多様性って実はラウシェンバーグやトゥオンブリに近いのかも?

  さて、勢いがダレてきた…はあはあ。だんだん整合性もなくなっていきますが、
「ポップアートについてはどうですか?」という質問にうまく答えられた自信がない。

とりあえずウォーホル、好き。あんなクールで知的なのに色がとてもキレイなところが。
ポップアートというかポップはすでに自分の中に当然のこととして存在しすぎてます。

物心ついた頃の幼児な僕に与えられた、5人戦隊ヒーロー、スーパーマリオ、ビックリマン、ドラえもん、etc。この時点での世界の半分くらいはポップ、もう半分はこども哲学。 ポップは慣れ親しんだ日常で、そんな同世代はとっても多いはず。
サイケと紙一重で誕生したポップワールドが、
いつのまにやら豊かな日本を覆ってフワフワリン!て感じ?

なので自分の作風にポップ要素が入るのはおそらく必然、
でもポップアートのポップさとは、ちょっと違う、気がする。

マティスのポップじゃないポップさが…理想←意味不明?

あとは…もう疲れて来たので
なぜ丸を描くとか、透明不透明とか、側面とか、時代とか、公募展とか…は、また今度にしよう…。