今週はすっかり「やまゆうウィーク」でした。後楽園ホテルで山本先生の退官記念パーティ。参加総人数は220人以上!久々の同期や先輩方を始め、意外な札幌現代美術ワールドの顔ぶれ、高校時代お世話になった先生、教育実習でお世話になった先生、自分が先生として教えてたら自分の後輩になった生徒までごっちゃり一緒の場所にいるんだから、脳が処理落ちしちゃいます!
27歳の時からうちの大学の油研で教鞭をとってたんだって、スゲー。僕は受付係だったので先生のスピーチを聞けなかったけど、後で内容を聞くとアツいことを言っていたそうな。やまゆう美術研究会の設立記念日ですね。
余興のスピーチの一人に任命されていたので、どのエピソードを話そうかとワクワクしてたものの、さすが余興。最初の人のスピーチ誰も聞いてないのでは…という展開に。
長話しても聞かれないと思って尺を短めにしてみたら、もっと話せと後でいわれて後悔。
ああいっぱいエピソードあったのにね。
やまもとゆうきなんていう名前が似てるヤツがある日油研に入ってきて、先生はどう思っただろう。
ゴミのような作品を作り続けては作業部屋を汚してた油研生時代初期、「作品つまらん!わからん!」とあしらわれていた。
ある時「お前のやってることはわけわからんから、150号2枚描いてオレを驚かす作品を提出してみろ!」と言われたので、当時画集を読みたてだったチャッククロースをパクりたい思いで、先生のデカイ顔を画面一杯に描いた。すると「なんだこれは!オレはフセインじゃねえんだ、この絵を描き続けたら破門だ!」とケンカになった(笑)。絵もお蔵入りだ。先輩が仲裁してくれたが、今やその頃の話は先生と飲んだら必ず先生から話してくる話題だ。
ある日曜日には、映像の課題で石膏像が踊るコマ撮りアニメを撮る為に、先生の休日を見計らって学校の石膏像20体をベランダに引っ張りだしてカチカチ撮ってたら、なんというタイミングの悪さ。先生がその日に限ってやってきた。見つかって激怒された。未完の作品が出来上がった。
けっこうケンカしてたんだよなあ。よくある若気のいたりです。団体系公募展を面と向かって否定してケンカになったこともあります。
院に残りたいっていっても、なかなかOKを出してくれずに、ゲンダイビジュツやりたいんだったらもっと外へ出て行けとか言われたもんだ。
これはスピーチでも話したけど、そんな流れでちっとも先生には褒められたことなかったのですが、あるとき焼き肉を一緒に食べながら、ふいに「お前の3年の時に出展した研究室展の作品、あれは展示作品のなかで一番良かった、良い作品だ」と言われたんです。
その時失恋やらなにやらで、精神ヘロッヘロになってたのですが、その一言がうれしくてうれしくて、思わず泣いてしまいまして。人生初の嬉し泣き、大学合格でもそんなことにはならなかったのに!そんなうれしいと思ってる自分にびっくりした。絵で褒められんのこんなにウレシイのね!と自覚したし、けっこう制作本気でやってるのかも?と思い始めた。
泣き落としで大学院に合格してからは笑、ずいぶんとよく飲みに連れて行ってもらいました。会に参加した220人の中で、一番ご飯を奢ってもらった生徒なのではないかと自負しております。いつの間にか、仲良くさせてもらっちゃって。絵の話もたくさんしたし、アホな高校男子のような話で盛りあがったり。
オレは「西洋画」を描くんだ、と言いながら、アレックスカッツのでかい画集を見せてきたり。生徒よりも早く新刊の美術手帳やArt inAmericaをチェックしては、きになった作家のページをデジカメでパシャリ。一緒に歩いててもパシャリパシャリで一向に前に進まない。
僕はやっぱりあの特異なオトナ「やまゆう」が好きなのです。ユーモアがあるっていいですよね。退官されて、ますます自由の羽が生えて巻き込まれるのではないかとヒヤヒヤしていますが笑、どうなっていくんでしょうねー。
絵だって、個展をみてたらどんどん作風が重厚ポップになってるし、恐ろしい西洋画家です。
2次会は、なつかしいメンツだらけで、チョロチョロしてる間にあっと言う間に終わっちゃった。3倍くらい時間が欲しかったな。
27歳の時からうちの大学の油研で教鞭をとってたんだって、スゲー。僕は受付係だったので先生のスピーチを聞けなかったけど、後で内容を聞くとアツいことを言っていたそうな。やまゆう美術研究会の設立記念日ですね。
余興のスピーチの一人に任命されていたので、どのエピソードを話そうかとワクワクしてたものの、さすが余興。最初の人のスピーチ誰も聞いてないのでは…という展開に。
長話しても聞かれないと思って尺を短めにしてみたら、もっと話せと後でいわれて後悔。
ああいっぱいエピソードあったのにね。
やまもとゆうきなんていう名前が似てるヤツがある日油研に入ってきて、先生はどう思っただろう。
ゴミのような作品を作り続けては作業部屋を汚してた油研生時代初期、「作品つまらん!わからん!」とあしらわれていた。
ある時「お前のやってることはわけわからんから、150号2枚描いてオレを驚かす作品を提出してみろ!」と言われたので、当時画集を読みたてだったチャッククロースをパクりたい思いで、先生のデカイ顔を画面一杯に描いた。すると「なんだこれは!オレはフセインじゃねえんだ、この絵を描き続けたら破門だ!」とケンカになった(笑)。絵もお蔵入りだ。先輩が仲裁してくれたが、今やその頃の話は先生と飲んだら必ず先生から話してくる話題だ。
ある日曜日には、映像の課題で石膏像が踊るコマ撮りアニメを撮る為に、先生の休日を見計らって学校の石膏像20体をベランダに引っ張りだしてカチカチ撮ってたら、なんというタイミングの悪さ。先生がその日に限ってやってきた。見つかって激怒された。未完の作品が出来上がった。
けっこうケンカしてたんだよなあ。よくある若気のいたりです。団体系公募展を面と向かって否定してケンカになったこともあります。
院に残りたいっていっても、なかなかOKを出してくれずに、ゲンダイビジュツやりたいんだったらもっと外へ出て行けとか言われたもんだ。
これはスピーチでも話したけど、そんな流れでちっとも先生には褒められたことなかったのですが、あるとき焼き肉を一緒に食べながら、ふいに「お前の3年の時に出展した研究室展の作品、あれは展示作品のなかで一番良かった、良い作品だ」と言われたんです。
その時失恋やらなにやらで、精神ヘロッヘロになってたのですが、その一言がうれしくてうれしくて、思わず泣いてしまいまして。人生初の嬉し泣き、大学合格でもそんなことにはならなかったのに!そんなうれしいと思ってる自分にびっくりした。絵で褒められんのこんなにウレシイのね!と自覚したし、けっこう制作本気でやってるのかも?と思い始めた。
泣き落としで大学院に合格してからは笑、ずいぶんとよく飲みに連れて行ってもらいました。会に参加した220人の中で、一番ご飯を奢ってもらった生徒なのではないかと自負しております。いつの間にか、仲良くさせてもらっちゃって。絵の話もたくさんしたし、アホな高校男子のような話で盛りあがったり。
オレは「西洋画」を描くんだ、と言いながら、アレックスカッツのでかい画集を見せてきたり。生徒よりも早く新刊の美術手帳やArt inAmericaをチェックしては、きになった作家のページをデジカメでパシャリ。一緒に歩いててもパシャリパシャリで一向に前に進まない。
僕はやっぱりあの特異なオトナ「やまゆう」が好きなのです。ユーモアがあるっていいですよね。退官されて、ますます自由の羽が生えて巻き込まれるのではないかとヒヤヒヤしていますが笑、どうなっていくんでしょうねー。
絵だって、個展をみてたらどんどん作風が重厚ポップになってるし、恐ろしい西洋画家です。
2次会は、なつかしいメンツだらけで、チョロチョロしてる間にあっと言う間に終わっちゃった。3倍くらい時間が欲しかったな。
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