休日。昼過ぎにチマチマ進めていた小作品が完成。この小作品はいつもよりちょっとだけ強めに実験気味。

 基本的にいつもの作風は画面を均等に同じようなイメージが覆う、要するにオールオーバーなのだけど、いつも心のどこかに、「オールオーバーばっかじゃそのうち苦しくなってくるんじゃないの、キミ?」とささやく悪魔がいるのだ。

 オールオーバーというのはもう…ちょっと油断すると、すぐ凡庸極まり無い作品になってしまう危険な様式だ!だから、オールオーバーで、かつプラスαを試行錯誤しなきゃやってられない。

 この世の中に、一体何百万人の売れない画家が、抽象的かつオールオーバーな絵を描いては消えていったのか、と想像するだけでゾッとする。

 しっかり構図を構築して画面はキメキメだぜ!という絵画に比べれば、一見オールオーバーだと、オレでもできんじゃねえの…?という思いに駆り立てられるんじゃないか。無論、そんな甘くはない。

 このように、オレでもできんじゃねーの?と思わせながら実はそんなことは全くない表現様式っていうのはいろんなジャンルに存在してて、それってすごい偉大な発明だよなあと思いながらも、やっぱ危険。大量に低レベルな勘違い表現者が発生しちゃいそうだから。

 そんな表現者だけにはなりたくない。なりたくなくていろいろ考えるけど、みんな同じだろうそれは。
 「なりたくなくても知らないうちになっちゃってるってのが、自分が見えてないアワレなエゴイストってことだよ、おニイさん。」と再びささやく心の悪魔。ああ恐ろしい!

んなわけで、たまに脱オールオーバーを試みてはヘンテコな失敗作が出来上がっているわけなのだけど、今回の小作品は、もしかするとおもしろい展開になれそうかも?
 「オールオーバーの端っこのもうちょい向こうにある何か」という雰囲気を意識してみた。こんな感じでもう何作品か試してみよう。

 ああそうだ、オールオーバーと言えば、以前ポロックの作品をニューヨークで見た。MOMAにある「No.1」という有名な作品、想像より巨大ではなかったのが意外だった。絵具のバラまき方を間近でみると、ものすごーくドラマティック。ドラマって、つまり、こう、シュってバラまいて支持体に乗っかった絵具が、支持体に吸収されることなく、ホントそのまんま固まったような状態になってて、どう見ても普通じゃない。絵具と支持体とバラまき方を研究したに違いないと感じる軌跡がドラマ。

 そんな軌跡がとにかく複雑に、変な方向に動線を作りながら重なっており、舐めるように表面を追っていくだけで感動した。追っていくうちに、画面情報の中に感覚が巻き込まれ、ノイズの多い繊細系トランス状態(←あくまでニュアンス)になった。

 それと、バラマキが画面に収まっていた。画面の中央にバラマキが集まり気味で、上部は若干イメージのくぼみすらあった。これまた意外、星雲のよう。ポロックって、オールオーバー、ってわけでも、ない!?と思った。強い。

こうマチスの絵なんかは、しっかり画面を構築しつつも、ブワーって画面の外側に広がってくスケールがあるけど、ポロックのあの絵は画面の中で永久運動だ。

たまに突然、あの絵を思い出す。また見に行きたいなあ〜。

話がダレました、つまり抽象でオールオーバーも、なかなかラクじゃないということで…。

小作品完成記念に、メンズデーということもあり、第9地区って映画を見に行った。あら、思ったより大味な内容!?もっともっと地味で斬新かと思いきや。前半はそんな感じを漂わせてたんだけどな、いやでもまあ面白かった。