札幌芸術の森に「札幌昭和30年代 なかがわつかさが見た時代」を見に行く。
とても渋くて地味な内容ながら、思いのほか時間をかけてじっくり見る事になった。

こういう切り口でまとめて見せられる「美術」もあるんだなと、率直な感想。

美術史を更新しながら、世界を反映させながら巨大なうねりをあげるアートワールドが、僕の勉強したい、最も興味深い、スリリングなアートだ。ルーブル美術館、メトロポリタン美術館、オルセー美術館、ニューヨーク近代美術館、、、そういうビッグな美術館に収蔵されていくような、アート。

でも今展のテーマは「札幌」というローカルな地域で表現されたローカルな美術表現。その土地の土地性を結晶化させた記録としての美術。もちろん個々の作品は、アートワールドの巨匠の作品の影響をもらっているのは感じたけど、アートワールド自体を作って行くような表現とは少し違うような。

札幌の開発風景や日常や田舎の風景を取り上げた絵画や、公募展の存在感、グループの美術運動。この地で美術を盛り上げる熱気は、今の札幌の美術界より泥臭く活発に見えた。
公募展の存在意義も、今と違って時代背景と合わせてみれば理解できるような。。。そして公募展のあり方にするどい批判を決める、なかがわさんの言葉は今の公募展にもそのまま言うことができそうな内容だった。

当時の札幌の美術表現に感動したなかがわさんは内地から移住してまで評論活動を札幌で行っていたんだって。展示作品の隣になかがわさんの評論記事も一緒に展示されており、かなり辛口!こういう人いっぱいいたら、燃えるなあ笑

展示序盤に上映されていた、HBC制作の昔の札幌の記録ドキュメンタリーもじっくり見てしまった。ナレーションはキートン山田で、よくできたおもしろい映像だった。

展示後半には、岡部昌生さんの20代の作品もあり(ちなみに渋めの絵画でした)、40年後にアートワールドの祭典にヒロシマをテーマにしたフロッタージュ作品を展示してるんだと思うとまた、不思議な感覚に陥る。

美術やらアートやらって、ローカルやらグローバルやら、昭和やら平成やら、ビエンナーレやら公募展やら、いろんなスケールを取り込んでいるな。

展示終盤の今展年表に文化軸の年表も並列されており、今展の時間軸の最後のほうに、ウルトラQ放映開始 という項目があった。ウルトラQって、こないだ見たばっかりのウルトラマンのさらに前身のモノクロ特撮TV番組じゃないか。。。
そうか昭和30代て、そんなに昔で、ポップエンターテイメントの要素が無いのか!
となると展示作品も、渋い内容なのは時代背景から考えればそりゃそうだよな。

いやでもちょっとまて、同時代のアメリカにはロスコの色面絵画はもう完成されていたり、ラウシェンバーグがカッコ良すぎるコンバインを作っているな。。。
いやいや、それは戦後アメリカと戦後日本のさらにローカル地区との文化の作られ方が違うんだし、やっぱしそりゃそうだよな。

と、いうことで、当時の札幌と当時の渋い美術作品はやっぱり関係を感じるんだ。

今の札幌と今の札幌美術に、関係を感じるか!?
そんな事考えながら帰る。