後輩の一言から、久々に我が家に人を呼び鍋を囲むイベントが発生した。
人が来ないとひたすら汚れ続ける我が生活部屋を、2日がかりでくしゃみ鼻詰まりと闘いながら掃除。
たまには来客が必要ですな。。。

今回集まった後輩達6人くらいは、学校卒業してなんやかんや美術表現を続ける粘り屋だ。
振り返れば彼らは学生時代から、チームデザイヤっつってユニットを組んだり、SPIRALっつってグループで企画展示したり活発だったな。

自分は先輩方にしがみついてここまで来たので、常に下っ端世代だと思ってたのに、
気付けばこんなに、もう学生ではない下の世代が揃っていたとは。

しかもこの内何人かは、先日まで韓国やら福岡に行きビエンナーレなど美術漬けになって帰ってきた。
話を聞けば、それぞれの視点でフィーリングを持ち帰って来てるじゃないか。うらやましい。
話の熱気っぷりに、やはり美術は本物を体験してなんぼだよなあ、と思った。

僕も数年前に韓国の光州ビエンナーレで初めて国際美術展なるものを体験した。
作品の質、だけではなく、第一印象のインパクトや、作品のテーマ選び(政治的だったり、ナンセンスだったり、グロだったり)や、作家の出身国の意識など、いろんな要素がごった煮になってせめぎ合ってる会場は独特の臨場感があった。
そんな中に、突然特別ブースのような形でゲルハルト・リヒターの抽象ゾーンと、リチャード・ハミルトンのセルフポートレートゾーンがどどん!!と存在していたり。この大御所の扱いは何なんだ?とも感じた。

今回彼らは光州と釜山の両方のビエンナーレをハシゴして、展示の方向性などの比較もできていた。
光州のカタログに、一人気になる画家がいたなあ、名前メモし忘れた…

後半は酔っぱらって、いつものようにただのウザい人に成り下がってしまった僕であったが、ひとつ悲しいのは、
美術好きの来客を意識して、目立つところに自慢げに置いている本棚の画集コレクション達に、みんな食いついてくれないことである。
まだそんなに量は多くないけど、学生時代からコツコツ集め、制作のヒントをくれた宝物。
それをこんなにオープンにしてるのに何故だいヤングアアチスト達よ!

皆が帰った後、一人酒を飲みながらリチャードハミルトンの画集を涙で濡らした(ウソ)