中学と高校が一緒だった腐れ縁の友人から連絡、久々に話してたら最近お前は友人を大事にしていないと説教をされる(ちなみに去年もされた気がする)。

どうやら連休に地元に帰らずにバイトしてたり、たまに連絡しても個展のお知らせだけだったり、
地元に帰っても地元友達に連絡もせず気付いたら札幌に戻っているみたいな忙しい展開が続いていたので、信頼を失いつつあるらしい笑
男のわりに友情に対してネチッこいとはどうこっちゃ!?といささか違和感を抱きつつも、少し反省。

僕の友達に対する適当さは今に始まったことでもなく、日頃連絡もしないし、かといって、さよなら友よ!!というわけでもない。
ただいちいち会う約束をとったりするのがメンドクサイだけかも…っていうより何も考えていないという。それってダメか。
ツイッターとかミクシーとかで言葉を吐いてりゃとりあえず最低限のつながりはあるとか思って油断してしまうよな。

でもこんな風に人生テキトーにやってる自分に定期的に連絡をしてくれる友人達がいることは有り難いと思ってるんです。
そういうバランスで関係が成り立ってるんだったらいいんじゃないかとか思ったりと自分でそーゆーこと言ってはイケナイですよね、
ええ結局あなたたちには全力で甘えさせていただいておりますごめんなさい!!

とりわけその腐れ縁の友人Mは、現在中学校の英語教師をやってるのだが、中学時代から花がある男で、
笑いも取れるし空気も読めるしスポーツ万能、愛読書は矢沢永吉の「成り上がり」、自信家であるしなによりたいへんな努力家である。

とりあえずスポーツとか僕の苦手分野は置いといて、人として特異でなんかスゴみがあってユーモアがある存在を発見すると、
どうしても僕は、どこかでは負けたくないという謎の闘争心が発生するのだ。そしてそういう人のことが好きなのである。
ただし僕の方はコンプレックスの固まりのくせに何かこっそりやらかしたいみたいなヤツだったので、
結果芸術の道に迷い込んでしまったけれど!

お互いたまに状況を確認しながら自分の道でがんばってればそれであとは流れるままに…
とか言って友人の存在は忘れる、非情な人間なんでしょうか僕は。

美術やってたら結局美術仲間と主にツルむようになっていき、
その周辺での交遊がメインとなっていくのは自然の流れであって、
ちゃんと働いてる立派な社会人とかパパになった友人と会って、
芸術家はよくわからんけどスゴいみたいな反応をされちゃうのは結構切ないものでもある。

何が切ないかって、皆が働いてるのと同じようにやるべきことを選択してやってるだけっつーかむしろ、
制作以外ではだらしのないグダグダなゴミでごめんなさい人間でいつまでもオトナになれないし、
芸術やってるからギリギリ皮1枚で生きていられるレベルでそれこそ友達とかに連絡1つもできないような!
そのくせそういう自分が嫌いなわけでもないっていうメンドくせえ生き物なわけですよ。

もちろん芸術に携わってここまでなんとかやってきていることに誇りも持っているけれど、
しっかりやってる人の前だと、そういうなんとなくな違和感があるのだよ。ねえそんなもんでしょう。

この出生率は下がったジパングで、放射能がナンタラカンタラだしもうよくわからん!みたいな状況な中で、
しっかり働いて家庭を持って子供作って親として教育者になり明るい未来を創造するなんて真っ当な選択してる人に何を言えるのか。
そういう選択を本来みんながしなきゃ日本無くなるじゃないか!
(とか言ってるのは最近結婚したり子供が生まれたりしている友人が輝いているからです)

それに対して等価になり得るような芸術家(つーか社会人ていうの?)になるには少なくとも、
遊んで飲んでダラダラして、さらに例えばパチンコ行って合コン行ってキャバクラ行ってなんてやっていられないでしょう!
アホほど良い作品作るようにストイックに過ごして、やっと人間一歩手前まで行けるんだから。

つってグダグダ考えながら、今度飲み会の約束をした笑。
三十路のそれぞれの人生哲学や、昔話に花を咲かせてやろーじゃないか。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

KOHBUNDO ART CASE #05
山本雄基 個展『グレーゾーンが踊っている』

2011年5月21日(土)〜6月19日(日)
10:30〜18:30
毎週水曜定休
最終日は16:00で閉廊
初日/最終日は作家在廊

KOHBUNDO ART CASE
北海道帯広市西2条南9丁目6 六花亭3階
(当画廊へはエレベーターをお使いください)