NO NUKE2012を少しだけ見る。

YMOの演奏になんだか感動。
ONGAKUをこの企画に当てたのがなんだか希望があったので。
↓映像付きは消されてしまったが。。。


表現の力の底力なのかも。
9.11テロの時の坂本さんの非戦運動にはちょっと引いてたけど
今回は音楽に動かされたのだった。


ベルリンにいても、
ネットが繋がっていれば当然日本にいる時と同じ情報が
情報としてだけ入ってくる。


そうだ官邸前のデモに人がごっそり集まっているその光景に、

これが日本なのか、と心にくるものがあった。

同時に、なんとなく怖さが拭えぬ気もした。

大飯のデモ映像、こっちはまた雰囲気が違う。

Facebookなどで回って来た、

お巡りさんに傘をさしてるとか、子供を抱えている画像。

個人的には、これちょっと怖いなという画像だった。

ただこれもトリミングされた情報に過ぎないので
行って確かめないかぎり、ホントはどんな雰囲気なのかわからない。

 

原発、

子供の頃からシムシティってゲームやってりゃアブねえなってわかってるし

僕が持ってた地図帳の原発マークはトゲトゲしてて黒くて物々しさ全開だったし、

日本一周した時も原発地域付近は異様な感じだったし、

いつか本当に爆発すんじゃないか、爆発したら怖いなと思いながら、

それ以上はぼんやりしていたってのが実感として考えられるところだ。


が、いまさら反対と思う時には同時に、

違和感を感じる部分は、気付いていないことは、

見失ってる大事な事はないんだろうか。
 

そういう自分の立ち位置のバランスを
いちいち忘れずに気をつけていたいなあと…
せめて信じられる人の発言に耳を傾けて、同意したり
疑問を持ったりしつつ。
 

そんなトロトロ半端に考えてても意味ないだろうか。

声高に、「私はこういうイズムだ!」て言えないのは、

「この時代ハッキリ自分の意思を公開主張しなきゃ人間じゃねえだろ」

という脅迫的な感じが小さくてもどこかで発生してるような気がするからだ。
 

そんなに強いひとばかりでもない。

僕含め、悶々な人達が未だに一番多いんじゃないのかなあ。

勉強する余裕ないほど働いてる人もいるだろう。 

それにどんな選択しても何らかのリスクがあるし、
わからないことが多すぎるから

感情やハンパな知識だけで確かな判断は本当はできないのだと思う。

そしてそれを肩身が狭いと思って悶々と…。
自分なんかは特に守る子供もいないわけだし。

あと、いくらなんでももともとの首相の再稼働の説明が

あまりにも説明になっていなかったのはやはり大きな問題だよなあ。

あれではいくらなんでも巨大な反感を買うだろう。

タブーがあるのか?にしても、

ほんの少しくらいでも納得できるような言い方は無いもんなのか。
だれかプロの言葉作りの人くらい雇えば良いのに… 

再稼働のほんとうの理由が見えなさすぎて、
裏があるにしろないにしろ感情の逆撫でにしかならん。 

こうやってこっそり記しておいて、
2年後、5年後、10年後もその時点での時勢と照らし合わせながら
どう思っていたかを覚えておきたいものだ。


画家は何を表現するか。
ものすごく極端な話、
例えば日本が沈没して家族友達が消えてしまっても、
もう仕方ねえよっつって、後ろめたさを感じながら亡命して、
時代の傍観者のまま あいつは責任を捨てたとか言われながら
そんな中で自分の信じた絵を描き続けるのも、
1つの選択かもしれないよなあ。
亡命のハードル、絵を描くための場所や材料確保のハードル、
生活のハードルなどがどんどん襲ってくるわけで、
何があろうと描き続ける選択を死ぬまでし続ける。
きっとその中で色んな感情が沸き出してくるだろうし、
それはそれで人間の証として強さになる。
(それでヘボい作品描いてたら意味ないが)

ずっと前にマティスを勉強してた時に知った事。
WW1時に国に兵士志願したけど、すでに45歳だったし、
あなたは絵を描いて下さいって言われて、
そこから生み出した作品は傑作が多い。1914~1918年期。
WW2の時も、「夢」などの希望が感じられる作品を作っている。
奥さんと娘がレジスタンス活動で一時捕虜になったけど、
それでも制作を続けた。
エマージェンシーでも、絵描きとして生きる姿に感動したものだ。

そこまで強い心と能力を持つ事はできるのか。