カッセル最終日4日目。
見逃した作品映像やもう一回見たい作品をじっくり。

写真はコチラ
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O嬢は朝一で日本へ帰って行った。
300回くらいドイツに来て良かったと言っていた笑 
良かった良かった。
ベルリンに来た時は大丈夫かと思っていたが、
カッセルでは逆に助けられたなー
サバイバル能力があるんだな。


なのでこの日は1人で鑑賞。
英語だらけの作品が残ってませんように。


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駅でO嬢の特急を見送りながら待っていたSusan Philipzの作品は、
30分に一回の音の作品。

ホームの端までいくと、遠くにある駅のスピーカー十数台から、
バイオリンの音が聞こえてくる。
このロケーションと、
1人になった若干の孤独感すら勝手に相まって、
すげードラマティック気分に浸ってしまう。


朝は雷雨だったが、日中は晴れて来たので少し離れた場所で見送っていた
古い地下空間の展示の方にも行く。
作品というよりヘルメットまで装着して
展示を見に行くっていうシチュエーションに関心してしまった。

 
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 もう一回、Tino Sehgalの作品を見に行く。
この暗い部屋だ。この作品、昨夜気になってカタログを見たら、
作家名と展示場所以外作品情報が一切載っていないことに気付いた。
紹介されているはずのページが無くなっていて、
一瞬落丁かと思ったが、違うようだ。 
パフォーマンスの流れをもっと見るためにしばらく中にいたのだけど、
たまに電気がついて中の様子が一瞬見えたりもした。
その時に写真撮ろうとしたら、パフォーマーが踊りながらさりげなく
カメラのスイッチを切って来た!笑
やっぱり、記録を残したくない作家なんだ。 

昨日のお客さんは割と静かだったけど、
この日は修学旅行のようなヤング学生団体が中にいて、
ガヤガヤしていたが、それも作品に取り込まれてる。

暗闇の中でのパフォーマーのハイレベルな声のセッションは
やはりこれも鑑賞者と作品の境界を曖昧にしてしまうようだった。
ずっと暗闇にいると、目が慣れて来て中の動きが見えてくる。
10人くらいのパフォーマーは、観客に当たらないように踊りながら移動して、
入って来たばかりの観客は、何も見えないので恐る恐る入って来るのがわかる。

歌の区切りがついたら自然に拍手がなる事もあったし、
パフォーマーの1人が学生団体に話しかけ、
「私が学生の頃は、とてもシャイだった」といったような語りを始めたりもしていた。

常に流動的な創造が生み出されていて、すっかり取り込まれてしまう感覚に
味わったことのない感動をした。暗闇を出たあとに、またよくわからんが涙ぐんでしまう。
パフォーマンスとか結構苦手だったのだけどな〜これは相当すごいな。 


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オランジェリー館は科学博物館のような場所で、
常設の中に望遠鏡が並んでいるのだけど、この一部を覗くと
公園のアンリサラの時計が見える。
これに気付いたときこの作品の良さがブワーって入ってきた。

すぐ横の展示室が時計の歴史展示室で、古い時計がたくさんある。
そことの関係性が生まれて、時間空間距離の感覚がぶっ飛んでしまった。
時計のふもとには小さく人が歩いている様子も映り、
別の望遠鏡では時計が逆さにみえる。この場所ならではのアプローチ。


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終盤で、駅の映画館で作品上映してるのを見落としてることに気付き、
見てみたらイギリスの作家The Otolish Groupの福島の原発ドキュメント作品だった。 
劇中、港千尋さんがインタビュー受けてたりした。
福島第一完成直後に、初めて原子炉が臨界に達する時の映像と、
現状の映像を連続して映すシーンは重く、
当時の技術者の誇りを感じる眼差しや、
その映像から感じられる希望に満ちた感じが辛かった。
これをカッセルで美術展の中で見ることになるとは。


まとめ

初ドクメンタ。めちゃくちゃ良かった…!
ちょっと信じられないレベルだった。
これが世界最大レベルの展覧会なのか。
 

こんないい後味が残る展示はなかなか無いかもしれない。
帰りの電車を待つ間、駅の下品なバーガーキングにいてもなお
ずーっとジーンとしていた。
 

3泊4日とって、なんとかほぼ全ての作品を見て回れたけど、

とにかく毎日とんでもない人の数で至る所に入場行列ができていた。
老若男女、赤ちゃん連れも。

こっちでのこういう大きな美術展の存在って、
実際のところはまだまだわからんけど、
やはり身近で、かつ大切にされてるように見えるし
大人のアミューズメントパークって感じなのかな。

多くの人が辞書のようなガイドブックを持ちながら読みながら、
作品を鑑賞する光景が見られた。


美術を通して世界を見るきっかけとしてのプロセス、

美術は深い部分で大きな世界社会と繋がっている、と思わせてくる。
そこに知的興奮の快感も加わり、
ハイレベルなエンターテイメントってそういうことなのかな。


これだけいろいろなことに対し真摯な向き合い方をしている美術展に、
大量の人が足を運び、あーだこーだ考えるきっかけになってることに、
美術に対する希望を持ててその点でも非常に感動した。 


人類史や近現代の情勢、美術史がわかっていればいるだけ楽しめる
インテリチック内容だと思うのだけれど、
僕は残念ながら全然インテリでないので、

このジーンときた感覚は
どうもそれだけではなさそうだ。


こないだのベルリンビエンナーレのように政治や社会情勢をテーマにしている作品でも、
そのテーマをを媒体にしながら、人間そのもののことを言ってるような印象。


展示の組み合わせや作品アプローチが全体的にドラマチックで独特の気品がある。

企画全体でとても大きな詩のようだ。


世界のアンバランスさ、どうしよもないひっかかる背景を、
人の想像力から網羅するような。

ああ〜ここまでのスケール感を、
美術で引き受けようとすることができるんだな。泣けてくるわー。

やっぱり美術作品って基本的に個からの感覚がベースになってるわけで、

人間に対するものだしヒューマンスケールが前提だから
詩的なゆとりが無理なく創造性を深めてくれるという感じ。


今回のドクメンタのような感動は、
例えば名画1枚と向き合って深く感動するという体験と
根っこの部分では同じだけど、

1つのモノとしての美術作品という在り方もあれば、
そういうモノ(あるいはモノではない「作品」今回は音の作品も多かったし)を媒体にして世界を見る仕組みを作り出す、

あるいはその仕組みや場所を媒体にして、作品ができあがる、
という企画展示としての美術の在り方がある、
って当り前のことを、大きな実感を持って確認した。
もちろん意味不明とかどう見てもグッとこない微妙な作品もあったけど、
いくつものすばらしい作品と、総体としてのドクメンタっていう企画に
心の底から感激しました。

なかなか思えないけど、美術ってすごい。