「札幌には美術批評が無い」とは定期的にどこからともなく聞こえて来る定型文だ。
久々にこの定型文が聞こえてきたので少し追ってみたら、得るものはなかった。 

そもそもだ、
もし「札幌には美術批評が無い」と言っているのが例えば美術家及び企画者や学芸員やギャラリストだとしたら、
おいおい何言ってんの!!てことを書いておきたい。
特に現代美術家の場合、作品には何かしらの批評要素が入っているはずであり、
企画展や企画ギャラリーは展示コンセプトや作家のセレクトがそのままある意味批評となる。
この辺が起点となって初めて批評は連鎖していくのだと思うんだけど。
批評家の不在を嘆く前に、まず自分らの主体性だろう。

そしてだ、
僕も札幌で美術家をやってます。
これでも学生の頃から今に至るまで、述べたように批評精神を持って活動してきたつもりなので、
批評が無いと言われるのはちょっと心外である。 
僕が学生の頃2000代前半は、オルタナティブスペースの動きが盛んで、若手がユニットを組んで現代美術らしい活動も盛んに見えた。ホワイトキューブから出ないとイカンとも言われた。
ゆえに絵画は相対的に相手にされづらいメディアであった。
そういううねりの中で絵画を続けて来たことも、団体公募展に出してた頃はいかに規定と保守性を破壊すべきかばかり考えた絵画作品を提出していたことも、このブログでもたまに、批評を含めてきたたつもりなんだけどなあ。

今現在僕は、札幌市内で個展をやる際、企画ギャラリーだったらギャラリー門馬さんだけと決めている。
自分との相性や、作家選定のセンスなど総合的に考えて、ドイツからの帰国後にお世話になっている。
これも(札幌においてのみ)批評の態度だと思ってます。
未だに、年に何度か市内の複数の企画ギャラリーで個展を開催する美術家が多いように思うのだけど、
それだとどのギャラリーも差異がなくなるし、作家のポリシーもよくわからんのよね。
 
ちなみにギャラリー門馬からは2冊のカタログも作って頂いてる。
必ず日英でテキストを付けており、自作の実物を見た上で評価していただいた方に無理やりお願いして、
このテキスト内容も美術批評として成立しているはず。
というわけなので、無くは、ない!!!

いや僕だけでなく、少なくとも周りの美術家数人は明確にそういう意識を持ってやっているはずだ。
みんなとても勉強家で、たびたび国内外どこにでも出かけて良質な展示を見て互いに意見交換してる。
お金も時間も無かろうが、やってるのだ。