その2

ドイツ後半

◯ミュンスター彫刻プロジェクト
初ミュンスター。自転車レンタルしての彫刻巡り、レーンがきちんと整備されているので25kmくらい回って楽しい。けどさすがにくたくた。
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ピエールユイグはもちろんロマンティックで多様な仕掛けで謎もたくさんでとっても良かったけど、ゾーニングの曖昧さの観点で見ると今回はがっしり建物で囲っているぶん、前回のドクメンタの方がより良かったな。光の当て方とかも今回はややキザ過ぎるし。しかし今回の参加作家の中で1人だけ飛び抜けてスケールがデカいよなあ。何かわからんマシンが置いてあったので係の人に聞いたら、キャンサーを測定するとかなんとか。キャンサーって癌だよね?英語力不足もあり、どういうことかわからんまま。。。癌の測定が作品全体の循環構造に関わってるなら、ゾーニングの考えも変わってきそうだぞ。
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旧作品の中では特に、港千尋さんの「ヴォイドへの旅」で読んでからずっと体感してみたかったブルースナウマンはやっぱりすごかった。
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作品に入っていくことで感じるスケールの歪みはモエレ沼公園にも近い。構造がこれだけシンプルでも感動できるのは、作品の大きさ、コンクリの白や、凹みの深さ、斜面の角度、直線の幅、などが緻密に人の体および知覚から逆算されているからだろう。

旧作も新作も落書きだらけの作品がけっこうあり、ある程度補修の跡もあったりなかったり、結局はそのまま受け入れちゃってる感じがこれぞ公共だよね〜って、とてもしっくり来てしまった。
全部見るのは断念して2日目は街の中心部を徒歩で回る。ヒトスタヤルが圧倒的に良かった。
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テクノロジーの扱い方が。なんというかこの作家を説明するのは難しいのだが、少し前にブログでゼルダの新作を絶賛しショック受けたことを書いたのだけど、このようなバーチャル世界での体感の進化を感じられる時代の作家を象徴してる気がするのだよな。それだけでなく、大きな世界問題も引き受ける器もあり。。。なんなんだ。
あとBarthollもなかなか良い。3つともよかったが火の熱で電気を作る構造がシンプルでチープだけど、造形としてしっかりしてるので説得力がある。
ちなみに、シュナイダーを2時間待つほどのガッツは無かった。
油断してたがLWL美術館の常設展も何気にいい作品がある。特に、、、
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素晴らしいポルケを発見した時の嬉しさよ。

街には中心に大きな教会があったり、大きな美術館博物館があったりと、そんなに大きな街じゃないのに、そもそも文化レベルが高いように感じた。
彫刻プロジェクトの始まりは、ムーアの彫刻の設置に批判があって中止になったことに対するアクションと聞き(しかも今回はそれを題材にした作品もあった)、確かに当時は現代美術に対して保守的な面もあったのかもしれないが、街並みを見る限りやはり、日本、、、というと範囲が大きすぎるので自分の活動周囲における公共性や美術周りの考え方とは、比較にならないような文化ベースが存在している。もちろん彫刻プロジェクトの継続による成果もあるのだと思うけど、おじいちゃんおばあちゃんまでが一緒に自転車に乗って、熱心に作品について議論してるのだ。作品選定に市民も関わると聞いたことあるが。普通市民が選定に関わったら、害のない、いいひとな作家、かわいくて、個性を尊重した、オブジェらしき凡庸な作品が選ばれそう。だからそこはきっと先導役がいて、予めリストと説明がありそこを支点に熟議するのかな。

さて比較して日本の文化レベルを愚痴っていては仕方がないし、国と文化の関係など成り立ち自体が違うので歴史から紐解かなければ意味がない。しかしそこを考えだすと話が止まらなくなるし最後は途方に暮れる。では自分のできる範囲でどう動けばよいのか、を考えた方が生産的だよな。ひとまずものすごく短くまとめておくと、大前提としてどこで活動しようと自分自身がイケてる美術家になること、その他、美術と自己表現のちがいについて謙虚に伝えられるようになることや、さらにまずは自分も含め最低限大人が大人の品格を身につけることだと思う笑
 

◯カッセル
ドクメンタ14。会場毎にいくつか。
評判通りフリデリチアヌムは全体のラインナップを振り返ると見るとムムムな不満足感で、面白かったのはハンスフーケのドクメンタ2の記録写真
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とか数点、あくまでギリシア現代美術館の常設をそのまま持って来たという行為ありきの存在だった。

全体のコンセプト(移民難民、障がい者、グローバル資本主義の限界、などに特にフォーカスしながらなんとか多様性を考えなおしてみたけど結局まとまんないし、ここはアテネに学んでみよう?)を鑑賞者として忠実に追おうとしても、結局それでもヨーロッパ中心視点なのは当然だ。国際ニュースで見る大きなサイズ的世界問題の大きな欧州としての当事者視点による構成なので、どこかよそよそしさを持って鑑賞することになっちゃうし、目立って日本に関わる作品といえば佐川一政という狂気だし(作品自体はおもしろかったが)。
前回のドクメンタもそのへんはあんまり変わらないのだけど、個々作品のクオリティが高かったことに加え、作家とキュレーターの信頼関係、作品同士のゆるやかな関連が直に見えるような全体の包容力や希望にとても感動した記憶がある。
今回は、もっとなんというかバラバラしてる。ゆるやかにテーマに連動していく構造はあっても、並ぶ作品のクオリティも作家選定のエリアのおそらく意図的にかなりバラバラ。
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例えばドクメンタハレの広いホールにこんな素朴な刺繍作品があったり。雑貨風味ながら描かれているのは戦争を含む生活史。

いや、そのバラバラが挑戦的で面白くもあり、むしろ前回にも増した多様性、ローカルの提示として開き直るならばこっちも自身の表現に合った個別の作品を追えば自分の現代美術表現者としての現在位置を確認しやすいんじゃないかと思って見ることにした。コンセプトの読み解きを楽しむだけでなく、そういう見方を許容してくれる展示の方向性ではあったのでは。
ドクメンタハレのStanley Whitney
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順序のニュアンスの多さ、それをわざとらしく見せつけない軽さは、実物を見ることで理解できた。良い画家だ。
細部
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しかしこんないかにもドクメンタに似合わない、ギャラリーのような展示をなぜここで今さら?グリッドは古代建築からのアイデア何々の書いてあったけど。70代黒人画家というのも選ばれた要素の1つなのかな。

自然史博物館のRosalind Nashashibi
(とガラスパビリオンのVivian SuterとノイエのElisabeth Wildもセットで)
ビビアンの庭、という映像作品をすぐに見て、
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(あっ、魔女の宅急便を視聴してるシーンが。。。)

各シーンの美しさに感激、調べてみたら映像内の母娘(どちらもアーティスト)両者の作品とナシャシビ自分の絵画作品もあるとのことで確認したらどれもこれまた美しい。
別会場のNashasibiの絵画、
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サラッと薄塗りの中に、読めないが具体的なイメージを感じる作品群。

離れたガラスパビリオンに展示されているSuterの作品は、雑味がいい。
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粗悪に見える支持体の布は、タヒチ時代のゴーギャンの荒いキャンバスを思い起こすし、塗られたベッドを取り囲むように垂れ下がったたくさんの絵画は一枚一枚を見せることではなく連続したインスタレーションとして、絵画的な魅力を放ったまま別の切り口での純粋さを生んでいた。

ノイエギャラリーのWildの作品もまた、小さくて渋いながら実直なコラージュ作品で、21686248_1574981295895696_5389837844115052006_n
3者とも具体性を帯びた抽象表現をしており、
かつ離れた会場同士の作家を映像で結びつけている構成が良かったなあ。 
 

…これらは、どうしても僕が絵描きだから反応するに決まってるのだ笑。ドクメンタ鑑賞における絵画好きのための救済措置的存在。というか自分のやってることの立ち位置にシンクロできそうな存在。
きっと、Vivian親子が森に住んで制作する背景など深掘りすれば、さらに全体テーマと共鳴するおもしろさがあるのだろうけど。

今回daybookは買わなかったが、そうだあれは展示を回りながら列に並んでる時や作品見てる時、昼飯の時、次の日の鑑賞に備えて寝る前、、、などにリアルタイムで読んで背景に納得するためのものだった。
 

その他、埋葬博物館のTerre Thaemlitz
『愛の爆弾』という映像、少し古めの作品のようだけど強烈に見入ってしまった。
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映像に日本語訳がついているので言ってることが直接わかるせいもあるかも。調べたら10年以上日本在住の作家なので、説明抜きでの共感レベルが他作品と全然違う気もする。そこを抜いても各シーケンスのリズム感の良さと読みきれない心地よい謎、音のセンスも素晴らしいし、アトムへの言及もあり。懐かしのマックOS9の画面で始まり画面で終わる。

ノイエギャラリー
えらい行列が出来ていた。新旧入り混じりモノ系作品が多い。いかにも複雑そうな読み解きはここでも放棄してしまったが、先日見たばかりの映画『残像』の主人公であった画家ストゥシェミンスキの作品が見ることができて感激。背景を映画で予習したので、ここに作品がある重みも違う。
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一回書きの線のバリエーション。囲むか開けるか、んー渋い検証!
 

その他気になった作家メモ
パライス
Roee Rosen
ノイエノイエ
Maret Anne Sara
Arin Rungjang
Andreas Ragnar Kassapis
Ross Birrel
カッセル大学
Angela Melitopoulos
など。
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キリがないのでこの辺で。

今回は展示会場が中心部にまとまってたので非常に回りやすかった。それに各会場とリンクした作品選定にさすがと思う。
途中、札幌の芸術祭のとある問題の渦中だった作家Hくんと合流して当事者としての話を聞きながら意見交換したり(よりによって国際展の本場で)、
ハンブルグチームとディナーで合流、美味しいステーキを食べながら綿引さんの誕生日を祝ったり。
それにしても、ミュンスターもカッセルもめちゃくちゃ日本人多くて驚いた。ここまで来ちゃうくらいの現代美術好きって、たくさんいるんだなあ。

続く