念のため書き残しておくけど、現政権には不信感を持っている。
国政を我が物と思い込んでるような怖さを堂々と感じるし。
経営者に支持されるような露骨な展開は経済を回そうとしてる点では評価されるのもわからなくはないけど、経済を担保に脅してる感もあるし。
好きじゃない理由を挙げれば、いっぱい。

だからといって、
安倍やめろとか、許さないとか、そういう怒りはわかりつつ、叫んだところであんま意味を感じない。威勢の良い反体制な人たちが、馴れ合いのコミュニティを形成する程度に収まってしまう光景を、2012年くらいから選挙のたびにもう繰り返し繰り返し見てきた。ウンザリとすら思うことがある。
SNS的に見えてくる美術関係者、その感じ多いので、言いづらいんだけど。

選挙のたびに「みんな、選挙に行こう!」と呼びかける人も、実際は「みんな、選挙に行こう!(そして出来るだけ、野党に投票してください)」と言ってるに等しいように思えてならない。選挙に行かない人からすればそれが見え見えでウルサイくらいなんじゃないか。逆効果なのではないのかなあ。

池上彰の選挙番組がここ最近は毎回話題になるけど、その批判のひとつとして、選挙の前にやらないと意味がない!っていうのがある。確かにとも思うし、
でも事前にやれない事情があるからやれてないということもあるんだろうし、
毎回やってて視聴率も良いんだから、各々で前回の振り返りも可能なはずだ。

とにかく、現政権と同じくらい、反体制の自滅行動パターンに絶望感を持ってしまうあの感じって、
僕だけの感覚ではないような気がする。

森友問題で人が亡くなったりすらしてる(!)にも関わらず、
現政権を揺るがすような国民の関心を集められるムーブメントが起こらないのは、
普通に考えて異常だと思うのだが、
問題起きたらとにかく叩かれてすぐ辞任、ていうこれまでのパターンの方に国民が呆れている反映で、現政権の辞めずに開き直る態度を黙認してるとも推測してしまう。
じゃあ一体誰なら信頼できるのか?ていう根本部分も弱いままだ。

嘘でも堂々と言い切って、俺に任せろ感を出してる安倍首相が他よりマシと錯覚してしまう感じも、
わからなくもない。


選挙の時に僕が知りたいことって、例えば

「いついつの国会で、
〇〇党の〜〜議員が働きかけたことで、
△△制度がアップデートされ、
□□が改善された」

というような、
具体的かつポジティブな議員の情報が欲しいのだ。
かなり能動的に探さないと、そういう情報に触れる機会は正直言って少ない。
なんで?結局一番大事なのはそこじゃないのか。
誰々の演説が素晴らしい!っていうのはチラホラ見かけるけど、
演説よりもそれまでのその人の、信じられる実績を知りたい。
反体制を掲げるならば、安倍ヤメろの前に、
この議員のこういうところが信頼できる!と堂々と論理的に言うべきだと思う。
僕は現状、なかなかそういう議員を見つけられないので、
文句の連打を聞かされるならば、代わりに説得力を持った情報を教えて欲しいし、
自分で見つけられたらオフラインの会話で話題に出していきたい。
札幌市長選なんかでは、ハッキリそう思える候補がいたのにな。(前市長、現市長共にそうだった)

言葉が独り歩きしている印象がある「リベラル」の理想を、
自分は「リベラル」だろうと思いたい人
(僕もどっちかと言えばそうだろうと思うんだけども)一人一人が、
仕切り直す必要性を感じるんだよなあ、、、


ウチの選挙区は、大臣級の自民党議員の強いエリアなので、
自民党議員圧勝エリアとわかっていても、
それなりに集めた情報を元に、一番マシな人に入れる。
もし自民党の人が一番マトモな事を言ってると思えば、選択肢にもなり得る。
自分の意思を能動的に示す自覚を持つため、自分のため、国政は政治家のためではなく、自分達のためにあるものと意識するために選挙には行くようにしてる。

無力感があるのは仕方ない。
そもそも、2011年の地震の国民的ショックというのが今も癒えていない、
ケガをすると体が保守的になる、という感じで、
国全体が保守的に傾くのも変えようのない必然なのかも、とも思ってしまう。
そう思わんと不可解なことがたくさんだ。
そういう中で考えて行動する防衛ラインは意識しておきたい。