僕はあいトリ見に行かないというのもあり、
一連の話題にはSNS等では触れないつもりだったが、
さすがにこれは大きな問題ので、酷いと言っておかないと。
でもまず、すみません!大きく出てた署名サイトで、署名してない!!
今の流れではなかなか言いづらいのだけど、
署名ページのトップに出てくる「文化庁は文化を殺すな」の文言表現に渋ってしまった。
オマージュとして岡本太郎やダダカンから引っ張ってるのだろうが(ベトナム戦争のときに「殺すな」のスローガンで抵抗の意思を表現した)、そのグルーヴに気持ちがうまく乗れない。
「殺すな」だけのフレーズの抽象性に比べずいぶん文章になっちゃって具体的だし、、、
とか、それはさておき。
署名しました!と共にその文言がズラっと並ぶTwとかFbのタイムラインの全体感に、
タタリ神的な何かを感じてしまうので、
仮に他人のタイムラインに自分も同じ文面を放り投げるのもちょっと抵抗あり。
だからと言って、それをやるな!とも思わなくて、
多くの署名が集まることは良いとも思ってる。
なので、署名をしてないのに署名の数は増えるべきと、、、
我ながら居心地の悪いアンビバレンツ。
別の方法、文化庁の問い合わせフォームに、できるだけ理屈の通った意見を送る。
それと自分の意思を、SNSのタイムラインの中よりも、
誰かが能動的に読みに来るかもしれないここに書き残しとくことが、僕のできる範囲かなあ。
今回の文化庁のやり方、クールじゃないよなあ。「クールジャパン」、どうした。
1.公費でキワドイこともたまにやる
2.公費で生真面目で当たり障りのない、道徳的なことだけやる
3.政権に都合の悪い一部の大きな声を出す国民が不快がる公費の使われ方は、それらしい理由を付けて規制される。
と並べば、そりゃあもちろん、1がCOOLでしょ、クールにいこうぜ!!
と、あくまで僕は思います。(因みに先の署名文言もクールじゃないが、、)
一般的に望まれる公費の文化への使われ方っていうのは、2、くらいが妥当、なのかなあ。
でも今回の話は3だ。3が当たり前になる状態でいいのか。
ちなみにまず僕個人の話を言えば、文化庁の助成金って申請しても落ちてばっかりですよ。
だから結果的には公的助成にほぼ頼らずに制作活動続けてきた。
公費は元々そんなに当てにしないし、
勝手にやってやらぁ、という気持ちでやっており、
その上でほとんど個人のお客さんが作品を購入してくれるおかげで活動できている状態。
なのでまず自分ごととしての表現は自由
(自由ったって、金銭的状況や社会状況、使う道具など何かしらに縛られてるのだから、
完全な自由などない)。
唯一、札幌市からだけは1度助成もらったことある。恩がある。
だから札幌の文化行政に何かあったら、何か言おうって思ってる。
まあ札幌で抽象画描いてても、公的な芸術祭に呼ばれる可能性は低めだし、
一連の話題にはSNS等では触れないつもりだったが、
さすがにこれは大きな問題ので、酷いと言っておかないと。
でもまず、すみません!大きく出てた署名サイトで、署名してない!!
今の流れではなかなか言いづらいのだけど、
署名ページのトップに出てくる「文化庁は文化を殺すな」の文言表現に渋ってしまった。
オマージュとして岡本太郎やダダカンから引っ張ってるのだろうが(ベトナム戦争のときに「殺すな」のスローガンで抵抗の意思を表現した)、そのグルーヴに気持ちがうまく乗れない。
「殺すな」だけのフレーズの抽象性に比べずいぶん文章になっちゃって具体的だし、、、
とか、それはさておき。
署名しました!と共にその文言がズラっと並ぶTwとかFbのタイムラインの全体感に、
タタリ神的な何かを感じてしまうので、
仮に他人のタイムラインに自分も同じ文面を放り投げるのもちょっと抵抗あり。
だからと言って、それをやるな!とも思わなくて、
多くの署名が集まることは良いとも思ってる。
なので、署名をしてないのに署名の数は増えるべきと、、、
我ながら居心地の悪いアンビバレンツ。
別の方法、文化庁の問い合わせフォームに、できるだけ理屈の通った意見を送る。
それと自分の意思を、SNSのタイムラインの中よりも、
誰かが能動的に読みに来るかもしれないここに書き残しとくことが、僕のできる範囲かなあ。
今回の文化庁のやり方、クールじゃないよなあ。「クールジャパン」、どうした。
1.公費でキワドイこともたまにやる
2.公費で生真面目で当たり障りのない、道徳的なことだけやる
3.政権に都合の悪い一部の大きな声を出す国民が不快がる公費の使われ方は、それらしい理由を付けて規制される。
と並べば、そりゃあもちろん、1がCOOLでしょ、クールにいこうぜ!!
と、あくまで僕は思います。(因みに先の署名文言もクールじゃないが、、)
一般的に望まれる公費の文化への使われ方っていうのは、2、くらいが妥当、なのかなあ。
でも今回の話は3だ。3が当たり前になる状態でいいのか。
ちなみにまず僕個人の話を言えば、文化庁の助成金って申請しても落ちてばっかりですよ。
だから結果的には公的助成にほぼ頼らずに制作活動続けてきた。
公費は元々そんなに当てにしないし、
勝手にやってやらぁ、という気持ちでやっており、
その上でほとんど個人のお客さんが作品を購入してくれるおかげで活動できている状態。
なのでまず自分ごととしての表現は自由
(自由ったって、金銭的状況や社会状況、使う道具など何かしらに縛られてるのだから、
完全な自由などない)。
唯一、札幌市からだけは1度助成もらったことある。恩がある。
だから札幌の文化行政に何かあったら、何か言おうって思ってる。
まあ札幌で抽象画描いてても、公的な芸術祭に呼ばれる可能性は低めだし、
いやいや今抽象画に取り組むこと自体も、
表現することはある意味政治的ですよと言ってみても空振り、
カラフルで楽しそうで売れてていいね〜っということはたくさん言われ、
それでもいいんだけど、それだけ、ではやはりなんだかなあ、
とボヤきながら渋く渋くやり続けるしかない。
そんなわけで、自身の活動だけでみれば短期的に影響はないので、
切実にタブーの境界で表現をする作家や、助成金の力を借りる必然性を持った作家に比べれば、
今回の問題のリアリティは薄い。ただ、そんな個人の問題を大きく超える話。
小さな話では済まない影響がこれから来る気がしてならない。
今回の不交付の決め手は、
運営を脅かす可能性のある要素(あいトリ内の一部企画「表現の不自由展・その後」を認識してたのに事前に申告してない、ということと、
実現可能な内容か、及び、事業の継続が見込まれるかの2点において、適正審査を行えなかった、
からだそうだ。
うーん。申告の具体性の部分は見えないのでわからない、
ここに本当に説得力や明確さがあるならば、不交付でも仕方ない、と一見思わせる。
しかし今現在、あいトリ全体としては事業継続できてるし、入場者数もいつも以上のようだ。
展示閉鎖はあるものの一部のみみたいだし、札幌からわざわざ見に行ってる知人友人何人もいる。
いろんな場所で議論が巻き起こってて注目されてる。
という現状から見るに、いささか不交付の決定が早すぎるのではないか。
文化庁側がもっと細かく細かく調査指摘してから判断することも可能なはず。
額も額、減額ならまだしも、およそ7800万の全額不交付は、あまりにも強気に出すぎてる感じ。
官房長官は「内容は関係がない」と強調して言ってるが、胡散臭く見えてしまうのは僕の色眼鏡だろうか。
これは今後、美術に限らない文化庁助成のイベントで、
変なことやったら同じことするぞっていう、見せしめにも思える。
元々は、主に「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やした作品」が出展されているという情報に対し理不尽で脅迫的なクレーム電話(電凸)が殺到したせいで、
役所の電話窓口がパンクして、一部の展示を閉鎖せざるを得なくなったはず。
本当に「内容は関係ない」んだったら、理不尽なクレーム行為の側に、結果的に文化庁が肩入れしてることになってないか。
電凸した人たちに喜びを与えて、自分たちがやった行為の効力を感じてしまうと思うよ。
そうだ、だったら逆に、例えば署名してる人全員が、文化庁に問い合わせ電話するとどうなるだろう。
8万件(これ書いてる段階でそのくらいだった)の電凸になるよなあ。
文化庁お墨付きの電話クレーム攻撃で文化庁の機能がパンクしたら、大臣の責任は重大だよなあ。
そうしたら不交付決定の撤回を後からすることになり得るんじゃないかなあ。
、、、などと妄想だけしてみる。
そんな野蛮で幼稚な話はくだらんけれど、それ許容したの文化庁じゃん、と言えちゃうよ。
あいトリ問題の全てを擁護する気にはならんし、内部で起こってる動きに賛同しきれない思いもあるけど、現地に行かずに聞こえてくる話だけでは、それ以上のことは言えん。
作品の質も見てないからわからないけど、
少なくとも「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やしたと捉えられる作品」を公費で展示しても、
展示したこと自体に僕はそこまで不快ではない。好奇心で捉えた上で、内容や作品の質や展示構成などについては良し悪し意見を持つだろう(情報見る限りたぶん批判的な意見をもちそうではある)。
不快になる人たちの、その強い感情の根拠に対しては、人に予めプログラムされている憎しみのメカニズムって一体なんなんだろうと思いつつ。
「私たちの税金、不快なものに使うな!!」と言うのは自由、しかしそういった、感情だけの大声に力を持たせすぎるのは危険、と思います。
(どういう立場にせよ何かしら怨念が溜まってる方は、この検証委員会の中間報告を読むと少し冷静になれるのでは。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/256626_865255_misc.pdf)
これだけ多くの人がバラバラな思いで共有できる問題を表面化させて、
各々が考えたり行動できる機会を持った展覧会って、文化的な豊かさを持っているのでは。
公的な美術館、教育機関、イベントも、そういう豊かさを提供する側になることって大事じゃありませんか。 僕が芸術を専門に選んで良かったと思える原点ってそういう部分にある。
まともに芸術に触れるようになったのは成人してからで、最初はさっぱりわからんかった。
芸術を勉強するようになってから、そのつかみきれない謎とか、ストレンジな様態を知って、好奇心が爆発して人生楽しくなった。高圧的なルールがあって、それをみんなで守ることが道徳的、、、ではなく、皆でルールを熟議しながら決められる態度が道徳だ、とか思えるようになった。
「わからん」「不快」そういうものに出会ってしまう(今もそういうのたくさんある)ことで、能動的な思考力を持つ可能性だったり、ルーティーン化する日常を、普遍を見つめ直す可能性がある、と思えるようになった。用意された答え、これがキレイ、これが正しさ、、、そんな予定調和をほぐす効果が芸術にはあるし、
僕の屁理屈思考をめちゃくちゃ受け入れてくれるどころか、理屈を挑発してくれる芸術の器のでかさに救われる。それでいて人の創造性の美しさにも感動できる。
同じような体験が、もう少し広まってもいいのにとは常々思っているけれど、そういう機会を文化庁が奪う可能性が増えて、当たり障りのない感動やエンタメの押し付けばかり提供されるのなら、文化の豊かさを自ら後退させる要因となり得る。ところでやっぱり、文化庁で助成金貰ってきた作家が文化庁に物申してる姿は、信用できる。少なくとも申請とか報告とかドマニとかで、中の人と関係も持ってて、文化庁の力を借りて実力を伸ばした作家が意見を伝えるのは、野良の叫びと比べれば全く効きも違うと思う。ああいう方たちを援助してきた文化庁の側面こそ、信用したいものだ。彼らの声を受け止める、そういう良心が残っている方々が文化庁内にもいらっしゃると信じたい。勝手な話、もし上からの強制的な決断で、納得できない内容なのであれば、ストライキでも内部告発でも、内部の方々が何らかの意思表明をやって欲しいと願う。
それとちょっと脱線するかもだけど、
電凸って、クレームにも丁寧に対応しないとならないコールセンター文化があるから成り立つのでは。
他の国の事情知らないけど、これを機に、大きな自治体は、クールな対応もできるコールセンターの仕組みを考えてはどうか。この客ダメだって思ったら電話切っちゃえばいいじゃん。反論してもいいじゃん。
過剰な接客サービスは、少なくない人をダメにするだろうに。
、、、できないんだよな〜、きっと。そのできなさも、文化なのかな。
ついでに言えば、スーパーのレジの立ち作業も労力のムダにしか見えないので、
早く座りレジにしてくれる大企業がでてきて欲しいよ。これはできるでしょ!?
脱線した。最後に、僕もここ数年、世論や政治に疑問を持つことが増えたし、理不尽な圧に対して物申す、それぞれが態度を表明する、みたいな流れが界隈で確実に増えている感じ、それはそれで面白くなってきたじゃないか、と思ってる。 しかし、美術関係者ばかりが感情的に声をあげても、世論と照らすと、いつものアイツラまた騒いでる、ウザい、狂った人たち、、、、と、逆効果に陥りそうな空気、たびたび悲しくなるあの感じ。立場のとり方次第で、小さく小さくでも変えられるだろうか。たびたび考えていること。さあ連日タイムラインばっかり見てないで、制作しないと。。。
表現することはある意味政治的ですよと言ってみても空振り、
カラフルで楽しそうで売れてていいね〜っということはたくさん言われ、
それでもいいんだけど、それだけ、ではやはりなんだかなあ、
とボヤきながら渋く渋くやり続けるしかない。
そんなわけで、自身の活動だけでみれば短期的に影響はないので、
切実にタブーの境界で表現をする作家や、助成金の力を借りる必然性を持った作家に比べれば、
今回の問題のリアリティは薄い。ただ、そんな個人の問題を大きく超える話。
小さな話では済まない影響がこれから来る気がしてならない。
今回の不交付の決め手は、
運営を脅かす可能性のある要素(あいトリ内の一部企画「表現の不自由展・その後」を認識してたのに事前に申告してない、ということと、
実現可能な内容か、及び、事業の継続が見込まれるかの2点において、適正審査を行えなかった、
からだそうだ。
うーん。申告の具体性の部分は見えないのでわからない、
ここに本当に説得力や明確さがあるならば、不交付でも仕方ない、と一見思わせる。
しかし今現在、あいトリ全体としては事業継続できてるし、入場者数もいつも以上のようだ。
展示閉鎖はあるものの一部のみみたいだし、札幌からわざわざ見に行ってる知人友人何人もいる。
いろんな場所で議論が巻き起こってて注目されてる。
という現状から見るに、いささか不交付の決定が早すぎるのではないか。
文化庁側がもっと細かく細かく調査指摘してから判断することも可能なはず。
額も額、減額ならまだしも、およそ7800万の全額不交付は、あまりにも強気に出すぎてる感じ。
官房長官は「内容は関係がない」と強調して言ってるが、胡散臭く見えてしまうのは僕の色眼鏡だろうか。
これは今後、美術に限らない文化庁助成のイベントで、
変なことやったら同じことするぞっていう、見せしめにも思える。
元々は、主に「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やした作品」が出展されているという情報に対し理不尽で脅迫的なクレーム電話(電凸)が殺到したせいで、
役所の電話窓口がパンクして、一部の展示を閉鎖せざるを得なくなったはず。
本当に「内容は関係ない」んだったら、理不尽なクレーム行為の側に、結果的に文化庁が肩入れしてることになってないか。
電凸した人たちに喜びを与えて、自分たちがやった行為の効力を感じてしまうと思うよ。
そうだ、だったら逆に、例えば署名してる人全員が、文化庁に問い合わせ電話するとどうなるだろう。
8万件(これ書いてる段階でそのくらいだった)の電凸になるよなあ。
文化庁お墨付きの電話クレーム攻撃で文化庁の機能がパンクしたら、大臣の責任は重大だよなあ。
そうしたら不交付決定の撤回を後からすることになり得るんじゃないかなあ。
、、、などと妄想だけしてみる。
そんな野蛮で幼稚な話はくだらんけれど、それ許容したの文化庁じゃん、と言えちゃうよ。
あいトリ問題の全てを擁護する気にはならんし、内部で起こってる動きに賛同しきれない思いもあるけど、現地に行かずに聞こえてくる話だけでは、それ以上のことは言えん。
作品の質も見てないからわからないけど、
少なくとも「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やしたと捉えられる作品」を公費で展示しても、
展示したこと自体に僕はそこまで不快ではない。好奇心で捉えた上で、内容や作品の質や展示構成などについては良し悪し意見を持つだろう(情報見る限りたぶん批判的な意見をもちそうではある)。
不快になる人たちの、その強い感情の根拠に対しては、人に予めプログラムされている憎しみのメカニズムって一体なんなんだろうと思いつつ。
「私たちの税金、不快なものに使うな!!」と言うのは自由、しかしそういった、感情だけの大声に力を持たせすぎるのは危険、と思います。
(どういう立場にせよ何かしら怨念が溜まってる方は、この検証委員会の中間報告を読むと少し冷静になれるのでは。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/256626_865255_misc.pdf)
これだけ多くの人がバラバラな思いで共有できる問題を表面化させて、
各々が考えたり行動できる機会を持った展覧会って、文化的な豊かさを持っているのでは。
公的な美術館、教育機関、イベントも、そういう豊かさを提供する側になることって大事じゃありませんか。 僕が芸術を専門に選んで良かったと思える原点ってそういう部分にある。
まともに芸術に触れるようになったのは成人してからで、最初はさっぱりわからんかった。
芸術を勉強するようになってから、そのつかみきれない謎とか、ストレンジな様態を知って、好奇心が爆発して人生楽しくなった。高圧的なルールがあって、それをみんなで守ることが道徳的、、、ではなく、皆でルールを熟議しながら決められる態度が道徳だ、とか思えるようになった。
「わからん」「不快」そういうものに出会ってしまう(今もそういうのたくさんある)ことで、能動的な思考力を持つ可能性だったり、ルーティーン化する日常を、普遍を見つめ直す可能性がある、と思えるようになった。用意された答え、これがキレイ、これが正しさ、、、そんな予定調和をほぐす効果が芸術にはあるし、
僕の屁理屈思考をめちゃくちゃ受け入れてくれるどころか、理屈を挑発してくれる芸術の器のでかさに救われる。それでいて人の創造性の美しさにも感動できる。
同じような体験が、もう少し広まってもいいのにとは常々思っているけれど、そういう機会を文化庁が奪う可能性が増えて、当たり障りのない感動やエンタメの押し付けばかり提供されるのなら、文化の豊かさを自ら後退させる要因となり得る。ところでやっぱり、文化庁で助成金貰ってきた作家が文化庁に物申してる姿は、信用できる。少なくとも申請とか報告とかドマニとかで、中の人と関係も持ってて、文化庁の力を借りて実力を伸ばした作家が意見を伝えるのは、野良の叫びと比べれば全く効きも違うと思う。ああいう方たちを援助してきた文化庁の側面こそ、信用したいものだ。彼らの声を受け止める、そういう良心が残っている方々が文化庁内にもいらっしゃると信じたい。勝手な話、もし上からの強制的な決断で、納得できない内容なのであれば、ストライキでも内部告発でも、内部の方々が何らかの意思表明をやって欲しいと願う。
それとちょっと脱線するかもだけど、
電凸って、クレームにも丁寧に対応しないとならないコールセンター文化があるから成り立つのでは。
他の国の事情知らないけど、これを機に、大きな自治体は、クールな対応もできるコールセンターの仕組みを考えてはどうか。この客ダメだって思ったら電話切っちゃえばいいじゃん。反論してもいいじゃん。
過剰な接客サービスは、少なくない人をダメにするだろうに。
、、、できないんだよな〜、きっと。そのできなさも、文化なのかな。
ついでに言えば、スーパーのレジの立ち作業も労力のムダにしか見えないので、
早く座りレジにしてくれる大企業がでてきて欲しいよ。これはできるでしょ!?
脱線した。最後に、僕もここ数年、世論や政治に疑問を持つことが増えたし、理不尽な圧に対して物申す、それぞれが態度を表明する、みたいな流れが界隈で確実に増えている感じ、それはそれで面白くなってきたじゃないか、と思ってる。 しかし、美術関係者ばかりが感情的に声をあげても、世論と照らすと、いつものアイツラまた騒いでる、ウザい、狂った人たち、、、、と、逆効果に陥りそうな空気、たびたび悲しくなるあの感じ。立場のとり方次第で、小さく小さくでも変えられるだろうか。たびたび考えていること。さあ連日タイムラインばっかり見てないで、制作しないと。。。
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