なえぼのスラックもだいぶ慣れてきて、
また性懲りもなく長文を書いていたら日が暮れてしまった。

今日はゆきちゃんも家で休み、アトリエには僕だけ。
何人か来てたようだ。よかよか。
ウチのスタジオは各部屋が独立してるので、個人プレイだ。
接触リスクを避けるため自分からはできるだけ話に行かないようにしている。 

久々に1人で制作してると、ついダラダラしてしまう。
ちょっと描いてネットにダラダラ、またちょっと描いて本棚にダラダラ、、、

ひろしまトリエンナーレの中止、理由は新コロの感染防止のためだって。
それはそうなんだろうけど、ついでに内部揉めの隠蔽してるのがバレ過ぎてて滑稽。
芸術祭乱立状態が、だいぶ変わってきそうだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shidayoko/20200410-00172603/?fbclid=IwAR1zrjtOYIrQ6T9lbc0a4er7w6nf1jSbvEwuHmHvvaWGhnLGQ7LMV7hgeaE

マルクス・ガブリエルがコロナ禍について話しとる。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/8626


集中力が高まらんので、一応手は動かしたし、今日は僕も休みモードにする。

アトリエに設置しているWii U、マイクを付けてカラオケ機にしている。
皆が帰ってなえぼの内が僕だけなのを確認し、起動する。
3時間300円でちゃんと歌えるんだぜ。 
喉がガラガラになるほど爆音熱唱して帰る頃には外が明るくなっていた。 



以下、スラックに書き込んだことを編集して書き残し、、、

絶対性よりも相対性の強い現状の世界構造の中で、
「正しさ」を軸に考える意味は薄い。自分の軸を持つこと。
SNS等の正しさの乱立に見える現象に対しても、
美術作品と同じく、批評的態度で向き合うべきだと僕は思う。

Twitterで言えば、炎上はTwitterのシステム上発生せざるを得ない自然現象なので、
細かくは観察しない。炎上にぶら下がってるひとをクリックしてみれば、
だいたいロクなひとがいないので、
ロクでもなさを観察したい時にたまに使う。
炎上の原因を推測するのは、そこそこ楽しいこと。
僕は「正しさ」というか、「信用ポイント」で見ている。
同意見ツイをリツイートばっかりしてるひとは信用ポイント下げ。
リツイートばっかりは自分が意見を言ってる錯覚を帯びるし、書いた本人よりも楽してるから。
でもやりたきゃやれば良いと思う。そこに文句はない。
膨大なリツイートによって、何らかの効果的な意見が運動になって、
誰か聞く耳をもつ人に届くかもしれないから。
それはデモに対しても同じ感覚だ。

change.orgで、「安倍さんにただ辞めてもらいたい」署名書いてる人たちも信用ポイント下げ。
効き目ある可能性低すぎるから、憂さ晴らしにしかなってない。
それもやりたきゃやりゃよくて、イージーに誰でもできる批判法は存在してた方が良いと思う。
批判のチャンネルは多いほうが良い。
ただ、僕はそういう、安直でリスクのない批判してる態度「だけ」では、
説得力は生まれないと思うから、違う手段も考えたい。

変に誰かに喧嘩も売らない。阿呆なお上はまた別として。
マスク2枚の国対応に疑念、ある。
僕は、かかる費用そのまま振り込めよとも思うけど、
マスク2枚でもやらないよりやったらマシで、
すでにだいぶ無能と知れ渡ってきてるお上がこの緊急事態の中で、
すべて最適解を提示できるわけがないので、間違って全世帯に犬のウンコを配るよりはマシ、
程度に考えてる。
新コロ対応に限ってのお上への批判は、国民全体も地方自治体も、
通常の無関心モードよりは割と真っ当な方向で批判してるように見えるので、
民意の批判精神が反映されてるバランスなのかな、と思っている。

大勢でお上を批判しまくることに異論はなし。
ただし批判が糸井重里にまで飛び火するのは解せない。
あれは安倍辞め署名と同じく、生産性のない憂さ晴らしではないか。
糸井氏が体制側ってのもちょっと誤読だと思う。

現政権において許せないことは多々あるけど、
度を超えてるのは赤木さんの自殺問題や公文書改竄(コロナくらい世論が動くべき事態だと思う)なので、
それはタイミングを見てなんらかのアクションを起こしたいとは思っている。

ではマスクにしろ、赤木さんにしろ、選挙参加だけでは腑に落ちない場合の、
自分にできる具体的なアクションとは何なんだろう?

納得いかない物事に意見を持つのは大前提で、
それをどの程度で表明するか、しないか、できるか、できないか。
リツイートか、ツイートか、デモ参加か、Fb投稿か、署名か、飲み会談義か、
親しい友人とだけ意見交換するか、黙々と勉強するか。
ここを考えるのは割と楽しい。
どれでも良いんだけど自分に適した方法を見つけると、不満が前に進むので。
そういうアイデア交換の場があれば、有意義だよなあ。

僕が考えられる方法は、まず先に挙げた事例と同じ行動を自分は選択しないように気を付ける。
気づかないうちに自分を棚にあげてることはあるので、ここは注意。

その上で、自分の意見を世間に晒す機会にしたい場合は、
自分のブログに書く(無駄な拡散がない、能動的に読みたい人しかこない)が最適解。
伝えるべきコミュニティがハッキリしてるなら、どの媒体だと一番効果があるか考えて選ぶ。
友人と話すなら、相手がイエスマンや自分と同じ価値観というだけではなく、
普段から物事を批評的に見ている信用ポイント高めな人と話した方が勉強になる。

自分の意見を世間に晒す必要がない場合でも、
日記くらいは残しておくと良いと思う。
(不満に限らず、読書感想や、こういう非日常的状況下ではなんらかの記録をしておくと後々いい。自分でも実践中)

意見を役人に訴えたい場合は、
首相官邸の問い合わせフォームなどを利用するのが良いんじゃないか。
それだと規模が釣り合わないと思うなら、
自分の選挙区で勝った、現役議員のウェブサイトに意見を書くのが最適解じゃないかな。
それがたとえ支持できない政党の議員であっても、
自分のエリア全体で選んだ代表者なんだから、その人が一番身近な代弁者ではないか。
人知れず、そういうことをやってる人はいると思う。

フォーム等に意見を書く場合も、読まれる文章じゃなきゃ意味がないので、
できるだけ感情的になりすぎず、論理的に伝わるように、読んでその気になるように書く。
ここが難しい。優れた情報収集力と文章力が必要だし。

また、できれば実名で自分の正体を明かして書いたほうが、
読まれる相手にとっての信頼ポイントもあがるけど、
政治家が極悪人ならマークされるリスクと背中合わせなのが嫌だな。
しかし一例としてこのくらいできれば、
僕としては、問題に向き合って、自分でできることを考えて、引き受けた、という気になれる。
納税してる平民としても充分ではないか。
選挙前にヒステリックに、「みんな選挙に行って!(自民党に入れないで!)」と、
言い散らすより良いと思う。
結局、ほとんどの場合はアクションしたって何も変わらないんだけど、
自分が出来る限りのことをやっただけ実感が残るから、
リツイートして署名して鬱憤溜めてるだけとか、そういう人たちを眺めて悶々としてるだけ、
よりはずっとスッキリするし、自分に対する責任感は増えるはず。

こういう事には疎いので、
より良い方法があれば、誰かに教えてほしい。
悶々としてることは、少しでも前にすすむ策を考え実行し続けるべし。
失敗してもよし。
もし、何のアクションもするつもりがなく、
ただただ悶々が停滞するなら、その悶々はキープする必要はなし。
考えてる気になってるだけで、実際はそこまで切実じゃないということなので、
違う有意義なことに時間を使った方がいい。
作品に関係あることを引っ張ってきて、制作の手を動かせばいい。

あとは直接的ではないけど、
ひとりひとりが自分の意見を相手に伝わるように述べることに慣れていないってのがあると思う。
この点をナエボノのような人数レベルからで良いから、
少しは改善していこうと働きかけること。これもやれることだと思っている。
美術作家なんてその能力があるにこしたことないんだから、やったほうがいいはずだ。
他者のフィードバックがあれば思考も前進する。
必ずしも全員が全員意識する必要はないけれど、
いつでもやれる環境は持っておいたほうがいい。
ある程度閉じた場は、どんどん意見を言う練習台に使えばいいと思う。

僕らは美術作家なので、平民から著名人に成り上がる可能性も持ってる。
著名人の影響力は、問い合わせフォームの何倍も効力がある。
そういう人はそういう人で、より大きな責任や、挫折まで、
引き受けてるんじゃないかと。

引き受けの態度がある作家が作る作品(この言い方、なかなか理解されないのだが)は、
やっぱり作品の質と無関係ではないと思っている。
「美術史」をやるときに、
気になる作家がその時代に作品制作以外でどんな行動をしていたのか、
を一緒に追っておくと、割とああ〜って思うこと、ある。
Google翻訳のおかげで、ずいぶん作家の生き方が追いやすくなったので。

なんにせよ、もの凄く勉強してもの凄く作品を作ることで、
自分の軸を作り美術作家としての信頼ポイントを自分も上げることが大事で、
僕の意見にどのくらい共感や信頼ポイントを感じるか、感じられないか、
を判断するのも、各々の思考軸が元になるわけで、
ちゃんと美術をやってたら必然的にそこに向き合わざるを得ないと思う。
僕はまあ、思考が固めなので、作品も発言も固いのだ。
信頼できる人の異論は、聞き入れていきたい。