いつもと変わらぬ制作日々、、、だけでなく、
近いうちにまた文化行政への提言に関するイベントが発生しそうで、
以下2項目について意見を用意しておいて欲しい、とのことだったので、
前回のように何も言えず終わらないためにも、意見を書いてみた。
ここ2ヶ月でちょこちょこ情報収集して、ちょっと考えがまとまったきた。
(知り合いの方、、、訂正とか追記すべきことありますかね、、、?)
下書きまま。↓


1. 美術作家の 現場の状況について

まず僕自身は、3月以降展示予定が立て続けに中止となり、一時期収入の激減が危ぶまれました。
その後は幸いオンラインでの代用展示機会と持続化給付金で、活動できています。
しかし、9月予定だったドイツでの個展が10月に延期になり、僕自身の渡航ができなくなりました。
現地の関係者やお客さんとの交流も職務のひとつなので、その機会がなくなってしまいました。
作品輸送に関しても新コロナの影響で作品の輸送費が普段の3倍(50万円前後の値上がり)になっていたりと、これからもまだまだ影響は続きそうな状況です。

同じスタジオの他美術作家でいえば、やはり展示の機会が失われたり、ひとによっては頻繁に道外国外への取材が頻繁に必要なはずが移動規制されるなど、多かれ少なかれ活動の規模を縮小せざるを得ない状況になっています。中には、新コロナ禍そのものをテーマに含んだプロジェクトを開始した美術作家もおります。活動自体は進んでいますが、初めから予算規模も大幅で感染対策などにも準備が必要で、経済的な状況は常にギリギリでやっているようです。


またアーティストに限らず、S-AIR(札幌アーティストインレジデンス)というNPO事務所も同スタジオに入居しており、僕も理事を兼任しています。
ここでは20年に渡り、主に北海道の美術作家の海外派遣と、海外の美術作家の札幌滞在制作の受け入れを続けてきました。現代美術の第一線で活躍する美術作家から若手までが札幌で新たな発見をし、作品に昇華させていく姿を目の当たりにしたり、アートを通じた国際交流は僕自身の活動や周りの美術作家にも大きな影響を与え続けてきました。
新コロナ禍では、交換派遣業務が完全に停止してしまっています。このままでは来年以降の存続も難しい可能性がでてきます。

今回の新コロナ禍で、特に現代美術の作家が基本的に個人主義で、映画、演劇などの領域に比べ、文化行政に対する意見や要望を持っている人自体が、残念ながら少ないことを痛感しました。
元々副業を持ちながら制作活動を続けている美術作家が多く、そもそも金欠状態で限られた時間を削って活動しているので、一見、新コロナ禍による影響も危機的状況には見えず、いつもギリギリなのが当たり前だという感覚です。
しかし一人ひとりにヒアリングしてみると、副業の時間短縮や変則的な職務内容で激務化し、ただでさえなんとか確保してきた制作時間、資金が減少するなどの状況も発生しています。

そもそも、職業としての美術作家活動の実態は、本人たち以外にはほとんど知られていないと言えるでしょう。美術館や国際芸術祭で展示経験のある美術作家で、しっかり報酬のでる展示の際でも、作家活動時間を時給換算すればおそらく400円以下程度の収入だろうと話していました。
日中に副業をこなし、仕事上がりの空いた時間を消費して作家活動を続けることは、「自由に好きなことをやっている」というイメージとはズレがあり、大変厳しい状況を受け入れながら皆活動しています。睡眠時間を削り、友人と会う機会を減らし、娯楽に使う時間を削り、作品制作や制作のための調査研究をしているのです。展覧会の依頼が入れば、締切も発生すると同時に、職業としての専門性が求められます。

制作発表に限らず、書類作成、ミーティング、撮影、運送、スタジオ確保、権利問題、経費の管理など、業務も多岐に渡ります。良い作品を作れば必ず商品として販売できる、という世界でもありません。

このような日常的な美術作家としての活動状況を今まで公に示してこなかったこと、当事者である美術作家も、文化を享受する市民も、「好きにやってるんだから辛い生活は当たり前だ」という認識を当たり前の事実として捉えて、何の改善策も考えてこなかったということが、みえてきました。

今回の新コロナ禍で僕自身も美術と文化行政について考え直す直接の機会になっており、わかってきたことは、作品で生計を立てようとする活動は、文化活動というより経済活動の側面が強いのだということでした。
作品形態によっては、作品の質が高くても販売が難しいケースが多々あります。 
「作品だけで食べられるのがプロだ」という意見もありますが、必ずしもそう言い切れないのです。
(作品だけで食べていく美術作家は「プロ」というより「フルタイムアーティスト」と分類されます。)
作品を販売して生計をたてているか否か、という以前に、
文化活動を担うこと自体の権利を、美術作家としてもう少し声高に訴えてもいいのではないか、
と今は考えています。

緊急事態宣言下の自粛生活において、必要なものは「文化」であったと確信もできました。映画、音楽、漫画などに助けられた人々は沢山いると思います。展覧会が見れなくなって辛い、という声も沢山聞こえてきました。人が豊かな精神を保ちながら生活を営むために、文化は不可欠です。生活保護や福祉と同列に、「文化活動の保護」という意識が少しでも芽生るきっかけにしたいと思います。




 2. 今後必要な支援策について

新コロナ禍が長期化するとすれば、更なる経済的な被害が拡大することが予想されます。
現状、各自治体の文化助成金における問題点といて考えていることは、成果物や企画の提出に対しての補助がでるという形式を採用している場合が多いことです。
要項の内容に合うような作品を、イチから考えてそのために作ることは、普段の制作とは全く別の時間と労力を使うことになります。付け焼き刃で助成金の獲得のために企画、作品を作ることに大きな意義を感じることができません。企画作品を提出できる作家のタイプも限られてしまいます。

そうではなく、具体的に文化芸術活動の従事者の種別を決め、経済的に困窮している証明ができる場合、あるいはこの時期ならではの新しいアイデアをすでに持っている場合、というような条件に変更し、申請をしやすい、活動をしやすい形式の助成制度の方が効果的だと思います。(京都市文化芸術活動緊急奨励金の助成制度を下敷きに考えています)


また、新コロナ禍とは別に、これからの継続的な振興策について。
これは必ずしも金銭的な助成の形態でなくても良いのかな、とも思います。
1の後半でも触れたように、新コロナ禍を機に、まずは日常的に「文化活動の保護」の意識を多くの人が持てるような啓蒙的活動が少しづつ拡がるとよいな、と考えています。ここの意識が変化するだけでも、僕たち文化芸術従事者の活動ストレスは大きく軽減されるはずです。
書類作成、ミーティング、撮影、運送、スタジオ確保、権利問題、経費の管理など、多岐にわたる業務のサポートに当たるような相談窓口や、協力者のあっせんなどもアイデアに挙げられます。
例えばスタジオの確保。美大生が卒業する頃には、それまで制作してきた大量の作品をどこかに保管する問題に突き当たります。結果、実家の押入れを圧迫したり、ハミ出た作品は泣く泣く廃棄します。工具などを使う作業を伴う作家は、アパートでは騒音問題で制作ができません。制作スタイルによる必要な制作空間の要求と、それに応えられる古民家や倉庫などの物件情報を持っているかたを繋ぐなどのサポートがあると、助かる作家はたくさんいると思います。
また、展示やコンペのプレゼンでは、作品や展示の高画質写真が必要です。機材を準備するだけでも高額な費用がかかるので、美術家に興味関心があり少し安めに、あるいは無料で撮影をしてくれるカメラマンをリストアップして紹介する、なども嬉しいサポートです。思いつきの一例ですが、サポートのアイデアはアーティストが集まって意見交換すれば山ほど具体案が出てくるはずです。 このようなサポートであれば、専門的な教育を受けたひとの選定であったり、質を伴う審査の点で頭を悩ませる必要もありません。歳をとってから独学で制作を始めたようなひとでもサービスを受けることができる点で、民主的でもあります。

加えて、これはあくまで長期スパン前提の提言となりますが、
近年、美術館のコレクション常設展示の重要性が全国的に見直されています。 その土地でしか見られないローカルな美術史の提示により、訪問者は斬新な印象を持ち、地元で活動する美術作家にとっては、自分の立ち位置の発見やロールモデルを地元の美術の歴史から参照することが可能にもなります。
道立近代美術館も少しづつ意欲的に道内作家コレクションの常設展示を展開しています。 札幌市では芸術の森美術館にコレクションがありますが、現状の常設展示室が小さすぎてほとんどのコレクションを活用できておりません。また、中堅作家の作品購入も長い間見受けられず、寄贈でコレクションが増えている程度と聞きます。
既存の建物の活用でも十分なので(スカーツ建物内にブースを作るなどの代案含む)、美術館の常設展示ゾーンの拡張と、札幌ゆかりの美術作家の作品買い上げによるコレクションの充実を図ることで、専門的な芸術家の大きな支援にもなります。
正直、札幌と同等の主要都市では、現役のベテラン、中堅作家の作品が購入によりコレクションされている現実も見ているので、比較するとこの場所で専門的な芸術文化活動を行っていこうとする意思に、たびたび不安が生じます。
すぐには実現は難しいとは承知しておりますが、文化政策のドリームプランに入れておいていただけると嬉しいです。