やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

カテゴリ: 美術

11月2~4日に、相模原市で毎年開催されているスーパーオープンスタジオ(以下SOS)に、

http://superopenstudio.net

なえぼのアートスタジオとして運営5名で参加してきました。

参加スタジオのひとつであるスタジオ牛小屋さんで交流展示形式でメンバーの小作品も展示してもらった上に、
バスツアー参加、シンポジウム登壇、懇親会、牛小屋メンバーでペインターの大槻さん家連泊し朝まで会話、造形大訪問、、、
リアルタイム投稿する間が全くないほど、寝てる時間以外は常に色んな方と密に交流し続けてました。得るもの多し。

僕たちのなえぼのアートスタジオは、改めてなかなかデカいスタジオなんだなとも実感。

感覚的にはSOSの参加スタジオ4つ分くらいの人数と部屋数があり、自前でオープンスタジオやイベントをやってるので、 SOSの縮小版のような集まりとも言えます。
なので、個別のスタジオとの比較はもちろんのこと、 SOS実行委員会やディレクターの動きも含めた運動全体のコントロールにも関心を持てました。
 

なえぼのにはアーティスト以外にS-AIRやコジカのビューイングルームなど入居しているなどの特徴がありますが、
1番違う点はなえぼのは公的機関や公的資金とは関係のない運営形態ですが、
SOSは、本拠地である橋本エリアが、3つの美大が近隣にあること、リニアの発着駅が作られること、米軍基地関連による再開発計画があること、ゆえの特異な現象として、あれだけの数のアーティスト(参加スタジオは20超え、飲み会だけで40人くらい参加、全体では100人超えとのこと)と行政が協力関係となっているところ。
これは良い意味で、異様な光景でした。
そしてアーティスト側と行政側両者の架け橋になるアートラボはしもと学芸員、加藤さんの存在の大きさや、
特に議題や問題意識を引っ張る役を引き受けている山根くん(今回直接やりとりしてくれたディレクター)や
千葉さんや井出さん始め、運営に関わるアーティスト達の大人なコミュニケーションの態度には実践を踏んできた貫禄があり、感銘を受けました。
中でも前乗りして参加したSOS夜会は、僕が聞いてきた検閲の議論で最も真っ当な内容のひとつに思えました。
同世代のアーティストと学芸員がテンポラリーな問題意識と知識を共有し真摯に共闘する姿は、極めて健全で理想的な状況でしたし、
またアーティストの群れとのやりとりで蓄積された行政側の対応体験のトラブルシューティングは、
近未来の全国の芸術文化行政の貴重なマニュアルになるんじゃないか?とも思えました。

僕らが参加することで与えられた命題は、
「アーティストが作品制作以外のこと(この場合共同スタジオを運営すること)をやる意義」と「他地域の美術コミュニティと連携することで何ができるか」の2点が大きかったのだと思っています。僕が登壇したシンポジウムではうまく答えられなかったかもしれませんが、、、
前者においては、立ち上げて3年経った実感から、
・メンバーの知り合いがそれぞれ訪問することや、札幌を訪れた関係者がアートスポットとして訪ねてくるようになり、スタジオビジットが格段に増えた。
・美術に対して真摯に向き合っているメンバーが持つ違った技術や考え方が、それぞれを助けるケースが増えた。
・近くに異なる技術・知識を持った作家がいることで、よりよい作品制作のアイデアに幅が出せるようになること。
・大きな共有スペースなどもシェアできるようになり、周りがアーティストばかりなので精神的にものつくりに向かいやすい場になっている。
、、、といった具体的なメリットが浮かびます。
作品を作る、作品を見せる、作品について話す、興味関心を共有する、、、ひいては美術の事を考えるための場、
アーティストが集まったならではの場として機能していることが、意義と言えます。
札幌では、行政主導の国際芸術祭や新しくできたアートセンターの市民交流プラザが、広く市民に現代美術を親しんでもらうプログラムを先導してくれていたり、芸術祭から派生してできた天神山アートスタジオが外部のアーティストを受け入れる機能をもつことで世界中国内中アーティスト同士の交流が生まれてます。
そのぶん僕らは少数で、わかりづらい、オタク的なオルタナアプローチを大事に、ここに来ればエッジの効いた地元作家の美術観が確保されている、という棲み分けができつつあるのかな(まだまだやるべき実践は山ほどありますが)、と思います。
ただ、元々は物件情報がたまたま降ってきて、見に行ったらその空間に、皆がすっかり心が奪われてしまったから引き受けた面もあるし、意義以前のきっかけがスタートです。
運営で制作の時間が取られるという点に関しては、制作と同じくやりたくてやっている行為なので自身のためになっていますが、制作と運営の比重のバランスは常に考える必要があり、運営が無理の出ない範囲で収まるように気をつけています。

後者においては、
今回ずいぶん近い距離で、違う地域の方々と、作品作る人、観客との間をつなぐ人、ごちゃまぜになって直接密な交流をすることができ、それぞれの状況、問題意識を共有しました。例えば高知県美の塚本さんともたくさん話せて(翌日橋本からあざみ野の「しかくのなかのリアリティ展」クロージングに乱入した組)、高知への精神的距離が縮まったり、今度行ってみようかな、という候補になるだけで視界範囲が拡がります。どのエリアの人からも、ウチは閉塞感があるからそっちは羨ましい、とよく聞きます。隣の芝は青い、札幌も高知も、名古屋や京都や福岡も、僕らからは首都圏に見える相模原ですら、なんだなあと。
全国それぞれのエリアに、なんか面白いヤツらがいるらしい、と認識し合って適度に行き来することは、全てのエリアにとって健全なことであるはず。移動や異文化に触れること自体が、新しいアイデアへの刺激のひとつ。LCCで全国の移動もしやすくて、ネットで自分たちの活動を発信しやすい今らしい動き方を意識的にしていきたいです。
また、今回なえぼのは人だけでなく作品も送って展示してもらえたので、輸送や経費の問題はあれど、作品を含めた相互交流は大きな意味を持ちます。
嬉しかったことのひとつに、絵画教室に通っている小さなお子さんが、僕の絵を鉛筆で模写して「カラシャ」と愛称をつけた作品を見せてくれたことがありました。
「なんでカラシャなの?」「カラフルでシャボン玉みたいだから!」良い、そして地と図のニュアンスが理解できてる!
以前から知ってくれているお客さんも見に来てくれていたみたいで、嬉しいです。

言うまでもなく、沢山のアーティストの作品を一気に見ることができたので、刺激をもらうこともできました。
まずはSOSの皆さんの作品と人をなえぼので招聘し、相互交流が実現できるよう計画します。

僕らなえぼの運営メンバーもそれぞれ持ち帰ったことは様々だと思うので、そのうち改めてなえぼののウェブサイトに、 SOSレポートできればと思います。
連携を実現していただいたSOSの皆様、本当にありがとうございました!!!!!!

An alle deutschen Freunde, bitte!


ドイツの美術雑誌 art-Das Kunstmagazinの40周年企画、artShirts / アーティストTシャツのラインナップに入れていただきました。


https://www.art-magazin.de/19-rtkl-edition-artshirts-kunst-kaufen-gutes-tun?fbclid=IwAR2rkdWMUlIcwcqftL-8zRGDBB07bCyQp-pXmgSKysrZmiQjIEJtBfC6JIk


Kunst kaufen, Gutes tun!


僕のは今月から登場で、アーティストラインナップの中にはRobert LongoやSarah MorrisやJorinde Voigtとかも入っててWowな感じです。売り上げの一部は、Artist At Riskという、活動拠点で危険に晒されるようなアーティストを支援する団体に寄付されます。詳細はシェア先のウェブサイトをごらんください。

環境に影響が少ない特殊インクの3版3色のシルク手刷り仕様。3版3色で、いつもの絵画作品の透明要素なしで、Tシャツ向けのマルチプルとしてどこまで自作のビジョンを作れるか、元データ作るのに結構試行錯誤しました。2016年に作った作品をベースにして、アレンジをしました。刷りは向こうにお任せしましたが、意図を汲んでくれて良い感じに出来上がってよかったです。

話を進めてくれたのはもちろん、ハンブルグでバリバリのMikiko Sato さん、頼もしいギャラリストです。


僕はあいトリ見に行かないというのもあり、一連の話題にはSNS等では触れないつもりだったが、
さすがにこれは大きな問題ので、酷いと言っておかないと。

でもまず、すみません!大きく出てた署名サイトで、署名してない!!

今の流れではなかなか言いづらいのだけど、
署名ページのトップに出てくる「文化庁は文化を殺すな」の文言表現に渋ってしまった。
オマージュとして岡本太郎やダダカンから引っ張ってるのだろうが(ベトナム戦争のときに「殺すな」のスローガンで抵抗の意思を表現した)、そのグルーヴに気持ちがうまく乗れない。
「殺すな」だけのフレーズの抽象性に比べずいぶん文章になっちゃって具体的だし、、、
とか、それはさておき。


署名しました!と共にその文言がズラっと並ぶTwとかFbのタイムラインの全体感に、
タタリ神的な何かを感じてしまうので、
仮に他人のタイムラインに自分も同じ文面を放り投げるのもちょっと抵抗あり。
だからと言って、それをやるな!とも思わなくて、多くの署名が集まることは良いとも思ってる。

なので、署名をしてないのに署名の数は増えるべきと、、、
我ながら居心地の悪いアンビバレンツ。


別の方法なら、文化庁の問い合わせフォームに、できるだけ理屈の通った意見を送る。
それと自分の意思を、SNSのタイムラインの中よりも、
誰かが能動的に読みに来るかもしれないここに書き残しとくことが、僕のできる範囲かなあ。


今回の文化庁のやり方、クールじゃないよなあ。「クールジャパン」、どうした。
1.公費でキワドイこともたまにやる
2.公費で生真面目で当たり障りのない、道徳的なことだけやる
3.政権に都合の悪い(一部の大きな声を出す国民が不快がる)公費の使われ方は、それらしい理由を付けて規制される。

と並べば、そりゃあもちろん、1COOLでしょ、クールにいこうぜ!!
と、あくまで僕は思います。(因みに先の署名文言もクールじゃないが、、)
一般的に望まれる公費の文化への使われ方っていうのは、2、くらいが妥当、なのかなあ。
でも今回の話は3だ。3が当たり前になる状態でいいのか。

 

ちなみにまず僕個人の話を言えば、文化庁の助成金って申請しても落ちてばっかりですよ。
だから結果的には公的助成にほぼ頼らずに制作活動続けてきた。公費は元々そんなに当てにしないし、勝手にやってやらぁ、という気持ちでやっており、その上でほとんど個人のお客さんが作品を購入してくれるおかげで活動できている状態。なのでまず自分ごととしての表現は自由。

唯一、札幌市からだけは1度助成もらったことある。恩がある。
だから札幌の文化行政に何かあったら、何か言おうって思ってる。
まあ札幌で抽象画描いてても、公的な芸術祭に呼ばれる可能性は低めだし、
いやいや今抽象画に取り組むこと自体も、表現することはある意味政治的ですよと言ってみても空振り、
カラフルで楽しそうで売れてていいね〜っということはたくさん言われ、
それでもいいんだけど、それだけ、ではやはりなんだかなあとボヤきながら渋く渋くやり続けるしかない。
そんなわけで、自身の活動だけでみれば短期的に影響はないので、
切実にタブーの境界で表現をする作家や、助成金の力を借りる必然性を持った作家に比べれば、
今回の問題のリアリティは薄いと思っている。


ただ、そんな個人の問題を大きく超える話だ。
小さな話では済まない影響がこれから来る気がしてならない。
今回の不交付の決め手は、
運営を脅かす可能性のある要素(あいトリ内の一部企画「表現の不自由展・その後」)を認識してたのに事前に申告してない、ということと、
実現可能な内容か、及び、事業の継続が見込まれるかの2点において、適正審査を行えなかった、
からだそうだ。

うーん。申告の具体性の部分は見えないのでわからない、ここに本当に説得力や明確さがあるならば、不交付でも仕方ない、と一見思わせる。
しかし今現在、あいトリ全体としては事業継続できてるし、入場者数もいつも以上のようだ。

展示閉鎖はあるものの一部のみみたいだし、札幌からわざわざ見に行ってる知人友人何人もいる。
いろんな場所で議論が巻き起こってて注目されてる。
という現状から見るに、いささか不交付の決定が早すぎるのではないか。

文化庁側がもっと細かく細かく調査指摘してから判断することも可能なはず。
額も額、減額ならまだしも、およそ7800万の全額不交付は、あまりにも強気に出すぎてる感じ。
官房長官は「内容は関係がない」と強調して言ってるが、胡散臭く見えてしまうのは僕の色眼鏡だろうか。
これは今後、美術に限らない文化庁助成のイベントで、変なことやったら同じことするぞっていう、見せしめにも思える。
元々は、主に「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やした作品」が出展されているという情報に対し理不尽で脅迫的なクレーム電話(電凸)が殺到したせいで、
役所の電話窓口がパンクして、一部の展示を閉鎖せざるを得なくなったはず。

本当に「内容は関係ない」んだったら、理不尽なクレーム行為の側に、結果的に文化庁が肩入れしてることになってないか。電凸した人たちに喜びを与えて、自分たちがやった行為の効力を感じてしまうと思うよ。


そうだ、だったら逆に、例えば署名してる人全員が、文化庁に問い合わせ電話するとどうなるだろう。
8万件(これ書いてる段階でそのくらいだった)の電凸になるよなあ。
文化庁お墨付きの電話クレーム攻撃で文化庁の機能がパンクしたら、大臣の責任は重大だよなあ。
そうしたら不交付決定の撤回を後からすることになり得るんじゃないかなあ。
、、、などと妄想だけしてみる。そんな野蛮で幼稚な話はくだらんけれど、それ許容したの文化庁じゃん、と言えちゃうよ。


あいトリ問題の全てを擁護する気にはならんし、内部で起こってる動きに賛同しきれない思いもあるけど、現地に行かずに聞こえてくる話だけでは、それ以上のことは言えん。
作品の質も見てないからわからないけど、
少なくとも「平和の少女像」と「天皇の肖像を燃やしたと捉えられる作品」を公費で展示しても、
展示したこと自体に僕はそこまで不快ではない。好奇心で捉えた上で、内容や作品の質や展示構成などについては良し悪し意見を持つだろう(情報見る限りたぶん批判的な意見をもちそうではある)。
不快になる人たちの、その強い感情の根拠に対しては、人に予めプログラムされている憎しみのメカニズムって一体なんなんだろうと思いつつ。
「私たちの税金、不快なものに使うな!!」と言うのは自由、しかしそういった、感情だけの大声に力を持たせすぎるのは危険、と思います。

(どういう立場にせよ何かしら怨念が溜まってる方は、この検証委員会の中間報告を読むと少し冷静になれるのでは。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/256626_865255_misc.pdf)


これだけ多くの人がバラバラな思いで共有できる問題を表面化させて、
各々が考えたり行動できる機会を持った展覧会って、文化的な豊かさを持っているのでは。
公的な美術館、教育機関、イベントも、そういう豊かさを提供する側になることって大事じゃありませんか。


僕が芸術を専門に選んで良かったと思える原点ってそういう部分にある。
まともに芸術に触れるようになったのは成人してからで、最初はさっぱりわからんかった。
芸術を勉強するようになってから、そのつかみきれない謎とか、ストレンジな様態を知って、好奇心が爆発して人生楽しくなった。

高圧的なルールがあって、それをみんなで守ることが道徳的、、、ではなく、皆でルールを熟議しながら決められる態度が道徳だ、とか思えるようになった。
「わからん」「不快」そういうものに出会ってしまう(今もそういうのたくさんある)ことで、能動的な思考力を持つ可能性だったり、ルーティーン化する日常を、普遍を見つめ直す可能性がある、と思えるようになった。

用意された答え、これがキレイ、これが正しさ、、、そんな予定調和をほぐす効果が芸術にはあるし、
僕の屁理屈思考をめちゃくちゃ受け入れてくれるどころか、理屈を挑発してくれる芸術の器のでかさに救われる。それでいて人の創造性の美しさにも感動できる。
同じような体験が、もう少し広まってもいいのにとは常々思っているけれど、そういう機会を文化庁が奪う可能性が増えて、当たり障りのない感動やエンタメの押し付けばかり提供されるのなら、文化の豊かさを自ら後退させる要因となり得る。


ところでやっぱり、文化庁で助成金貰ってきた作家が文化庁に物申してる姿は、信用できる。

少なくとも申請とか報告とかドマニとかで、中の人と関係も持ってて、文化庁の力を借りて実力を伸ばした作家が意見を伝えるのは、野良の叫びと比べれば全く効きも違うと思う。ああいう方たちを援助してきた文化庁の側面こそ、信用したいものだ。彼らの声を受け止める、そういう良心が残っている方々が文化庁内にもいらっしゃると信じたい。勝手な話、もし上からの強制的な決断で、納得できない内容なのであれば、ストライキでも内部告発でも、内部の方々が何らかの意思表明をやって欲しいと願う。


それとちょっと脱線するかもだけど、
電凸って、クレームにも丁寧に対応しないとならないコールセンター文化があるから成り立つのでは。
他の国の事情知らないけど、これを機に、大きな自治体は、クールな対応もできるコールセンターの仕組みを考えてはどうか。この客ダメだって思ったら電話切っちゃえばいいじゃん。反論してもいいじゃん。
過剰な接客サービスは、少なくない人をダメにするだろうに。
、、、できないんだよな〜、きっと。そのできなさも、文化なのかな。
ついでに言えば、スーパーのレジの立ち作業も労力のムダにしか見えないので、
早く座りレジにしてくれる大企業がでてきて欲しいよ。これはできるでしょ!?


脱線した。

最後に、僕もここ数年、世論や政治に疑問を持つことが増えたし、理不尽な圧に対して物申す、それぞれが態度を表明する、みたいな流れが界隈で確実に増えている感じ、それはそれで面白くなってきたじゃないか、と思ってる。 しかし、美術関係者ばかりが感情的に声をあげても、世論と照らすと、いつものアイツラまた騒いでる、ウザい、狂った人たち、、、、と、逆効果に陥りそうな空気、たびたび悲しくなるあの感じ。立場のとり方次第で、小さく小さくでも変えられるだろうか。たびたび考えていること。



さあ連日タイムラインばっかり見てないで、制作しないと。。。

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撮影:我妻直樹

naebono art studio 1F フリースペースで開催した、
Grafting接ぎ木 展 会期終了しました。
ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

自分らのスタジオでこういう質でちゃんとした展覧会ができて嬉しい。
渋いラインでpaintingという可能性を考察できる、良いセッションになっていたと思ってます。
企画の鈴木雅明くん、お疲れ様でした!

後日naebonoのウェブサイトで、初日のトーク含めた展示アーカイブを掲載予定です。

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撮影:我妻直樹


展示終了、ご来場いただいた皆様ありがとうございました。
僕よりだいぶ若いながら、センスと思考力が爆発している浦川くんと並んで展示ができて、
いろいろ勉強になりました。
初日のトークの文字起こしをして、どこかで公開する予定です。 

昨日、2001年宇宙の旅 IMAX版を見てきた。徒歩圏にIMAXシアターがあるのは最高だよ。

知ってる映画を観に行くのにこんな楽しみなこともなかなかない。

札幌は地震の影響でIMAXシアターが年末くらいまで閉鎖されてて上映タイミングが他の場所より遅れてた。

っつーか上映されるのはもう諦めてた、っつーか下手したらこのままIMAXもアップルストアのように撤退するのではないか、

とすら思ってたので、復活かつ後追いの特集上映までしっかりされるなんて素晴らしすぎる。ありがとう!! 124日(木)までですよ札幌のみなさまお見逃しのないように!

https://www.unitedcinemas.jp/imax/image/pdf/imax_sapporo.pdf


(以下、余談)

僕の知り合いには映画玄人さんが山ほどいらっしゃるし、リアルタイム世代でもないし、こんなとこでしかも今さら2001年宇宙の旅の中身のことをニワカファンレベルで書こうなんて畏れ多くて無理無理無理無理。


無理だけど興奮したので、内容のことは置いときつつ、、

初めてこの映画を観たのは、友達の影響から映画を意識的に観始めた高3の時で、

名画と言われてるし宇宙モノだし押さえとこうって感じでTSUTAYAでビデオレンタル。

その時はとにかくテンポ遅く感じすぎて耐えられずに、なんとかなり序盤の方から2倍速再生して、

それでも途中寝そうになりながら、結果わけわかんねええええで終わるというあまりにヒドイ見方をした!

エヴァ劇場版は同じくわけわかんねえええってなりながら4回も観に行ったのに笑、

2001年は段違いで馴染めなくて、作品を見る力が全く備わっていなかった。


が、大学に入って美術表現に色々触れてからもう一回見直した時に、全く違う体験として驚きの感動を味わった。

自分の感性が変わることでこんなにも見え方が変わるっていうギャップを体感した映画ってあんまりないんだよなあ。

表層的なお話とか意味とか感情移入とかスピード感とか、そういう要素に捕らわれなくなって、

カットの画面構成とか、そこにこっそり含まれる意味とか、模型のディテールの凄さとか、浮遊感の見せ方とか、抽象表現のカッコ良さとか、

そういう所に徐々に着目出来るようになったのち、

あ〜あれ軍事衛星だったのかとか、あ〜もの凄いリサーチの反映が登場する形態に現れてんのかとか、あ〜殺し合いとか生き残りとか進化とか人の根源的部分をずっと見せてんのかとか、あ〜地球外生命体を神に見立ててんのかとか、内容の解釈の仕方も学んだり。未だ知らんこともあるだろうけど、見るたびに面白い(今の時代「町山 2001年」などで検索すれば、丁寧な解説が簡単にでてくるので、「わからない」という逃げ場的な感想にはもっていけない笑)。


ちなみに絵の勉強しながらだと、

あららヒィィィイオオオは実験音楽だし、スターゲイトはオプな抽象映画だし、モノリスはミニマルだし、

あららら無重力表現も驚きのクオリティでできちゃってるし(ペンが浮いてんのとかどーなっとんじゃ!!みたいなのは今はググれば特撮方法の説明がでてきて、それにもまた感心する)、知覚可能な意味での空間なんてもうバリバリ表現されてるし(特にシンメトリーで一点透視図法的な画面構図が多く奥と手前の移動も多い)、

1968年の時点でこんなもん出されたら、

絵で空間ガーとかイリュージョンガーとかモダンガーとか言っててもしゃーないわ!!と愕然とした。(今はもう少し落ち着いてその差異を検証できるようになってきたと思います)

なにより抽象性を巧く使ってるので、最近の例えばインターステラーとかでも到達できない、なんというかファインアートらしさ?ファインアート的な作法?に溢れている。


それを、人生初めて、劇場で、しかもIMAXで!!待ってました!!

最前列には往年の玄人らしきオーラを纏う方々が並んで存在感を放っている。僕はちょうど真ん中列あたりを予約済。


こないだヨーロッパ帰りの飛行機の中で観た時も、飛行機の揺れとか狭い空間と相まってイヤ〜な気持ちになってとっても良い体験だったのだが笑、IMAX版はさらに最高。


まず爆音が良すぎ。暗転する前にヒィイイイオオオとあの音が鳴り響き、暗転してからのメインテーマにタイトルドーンだけで感激。

音がデカいとあのヒィイイイの中にもよりいろんな音が聞こえるし、猿のキィキィも最高にうるさいし、オーケストラも迫力あるし、記念写真とりますよービイイイイイイイ!!はこっちも耳塞ぎたくなるし、呼吸音も耳に近いし、ビービー警告音は怖すぎるし、宇宙空間の無音も引き立つ。

途中インターミッションでちゃんとトイレに行く体験もして、席に戻ると隣の若い2人が途中までの感想を話してて、男の子の方は元々好きで、女の子の方は初めて観てるらしく、「思ってたより良かった」とか言ってて、ああこっから後半の感想どうなるんだべ、、、!?と気になるなど。初めてでこの環境で観られるのは羨ましい。

画面ももちろんデカいから、HALがデカくて赤ランプのキワがゆらゆらしてる見えるほど迫ってくるし、宇宙の浮遊感は気持ち良すぎるし、爆音の中で視界いっぱいに拡がるスターゲイト体感は至極だし、メカのディテールもよく見えるし、デカいスターチャイルドが目を合わせてくるのもやっぱデカい分余計に笑ってしまうが周りに笑ってる人はいなかった(たぶんニヤニヤしてる人はいるはず)。

エンドロールのTHE ENDで電気がつくんだけど、音楽はそのまま余韻のように続き、周りに猛者が多く、誰も立ち上がらないので、僕も音楽がなり終わるまで余韻を堪能した。


あ〜カッコよかった、、、

スタジオの若手作家達も観たことないって言ってたからこの機会に観てくれ〜〜!って会う人会う人捕まえて宣伝してはたぶんウザがられてる状況。


23月と展示が控えてて〆切ヤバイ中で見に行ったので、欲望を1つスッキリさせたところで現場に戻ります!!

今年度のS-AIRの招聘作家の1人、Yan Leiがひと月前にやってきた。
事前情報でびっくりだったのが、
キャリアのレベルが段違いのアーティストで、
ベニスにもドクメンタにも、昨年のグッゲンハイムの中国展にも出展しとる。
あら、ドクメンタ13で俺も作品見てるし!!!
えええええそんな作家がここに!?成果展はnaebonoでやるんだよ?
すごいことになってきた。

ヤンのウェブサイトはこちら
http://yan-lei.com


そんなビッグアーティストなのに、
なんつーかビッグ感を出すのが嫌そうな感じで、普通に話せちゃう感じ。
でも歓迎会とかで話を聞いてるとやっぱりでてくるエピソードがいちいちデカい。
そして、そんな現代美術ワールドがつまんない!って言っている。 
まあそれよりも一緒に酒飲もうぜ!みたいなノリだ。
スタジオの写真みせてもらったがnaebonoの数倍はありそうなデカさ、、、

その後、成果展のアーティストトークの聞き手になって欲しいとエスエアから任命された。
なんというプレッシャー!!でもやってみたい!
絵画に関する作家同士だからってことだけど、
ヤンはどっちかと言えば反絵画的絵画なアプローチなので、これまた大変だ。
何度か作品の質問をしても、返ってくる答えは例えばこんな感じ、

「自分が作ったものが芸術かどうかは気にしない。

昔は芸術の進路はどこにあるか考えていた。

芸術の未来を考えていた。

今は、芸術の枠を考えすぎると楽しく無くなってしまう。」


「批判されることも疲れるから、芸術の話に向き合うのはあまり好きではない。」
 

「アーティストというのは、考えるだけでいい。考えてものができれば、良いものができる。

芸術作品は、自分が手を出さないのが、ピュアな作品。

自然な考え、外部の刺激のままでものを作ることをつくりたい。

やらないこと、するよりはしないことが大事 

自分がああしたい、こうしたいと思いすぎると、良い作品ではなくなってしまう。

創作の時も、自分の考えを表すより、名誉とかお金とか欲しいと思った方が、

どんどん良い作品から遠くなる。」


、、、などなど。うーん、作品を見るに、きっともっと核心があるのに、
言葉ではなかなか引き出せない!! 


天神山で滞在制作してたので、一度制作現場も見に行って思考を探ったり、
一緒に飲みに行って、中国から呼び寄せたヤンのアシスタント君たちも一緒にカラオケ行ったりして、ちょっとずつ打ち解けてきた!?

そして展示
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奥がヤンの作品

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画像じゃわかりずらいんだけど、
3シリーズ展開で、それぞれ黒い紙、中に日本の雑誌などが入って封をされた黄色い封筒、OFFHOUSEなどで買い集めた既製品の額縁、を支持体に、活版印刷で意味深な状況を文字で表現してる作品。
たった一ヶ月程度の滞在で、ほとんどその辺で手に入る材料で、
いやまあちゃんとしたクオリティのインスタレーションになってるんだこれが。
ああ、経験値とはこういうことなのね、、、、 

肝心のトークの内容は、エスエアの今年度の冊子にまとまって載る予定! 
ちなみにヤンのサイトにはすでに中国語で公開されています!嬉しいね!!
http://yan-lei.com/pcca-x-s-air/


満足できるくらい核心に迫れたかと言えばやっぱりまだまだ全然足りず、
そんなこと言ったら本人のサイトにはオブリストとの対談とか載ってるわけで、
こちらの質問力不足に尽きるけれど、やるだけのことはやった!
とても緊張する貴重な体験だった。
ビッグになっても、 こういう感じの辛みがあるんだなあってのが垣間見えたのも、
リアリティがあったなあ。 

10月23-28日

アート台北、自作はこんな感じでした。
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毎度のこと、Admiraギャラリースタッフチームの頼もしさに恵まれ、
ビシッと展示してもらえたと思います!!
空いた時間で陽明山にも行ってきたり。

 

10月29-30日
台湾から愛知に移動。
来年2月の4人展の企画者であり画家の鈴木雅明くんに色々案内してもらいました。
会場となる、瀬戸市のバラックを下見して、
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同じ建物内のアーティストスタジオ、タネリスタジオも見学。
スタートのタイミングも僕らのnaebonoと近いこともあって、勝手にシンパシーを感じました。
鈴木君のスタジオも訪問して、じっくり実作を堪能したあと、名古屋造形大学にお邪魔して、教鞭をとる
4人展の参加作家である加藤巧さん、今回のご縁を作ってくれた佐藤克久さん、とも面会。
夜は愛知のペインター飲み会と盛りだくさんでした。
皆さんお世話になりました!

個展のオープニングは盛況に終えることができました。会期は10月26日までです。
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ハンブルクではもう3回目の個展で、今回はその3回分をまとめたカタログも作る予定!!
みっちり打ち合わせもしてきたので、出来上がりが楽しみ。
 

さて今回は約1週間の滞在で、
搬入したりお客さんに会ったり、ご立派なホテルに飾られてる自作を見学したり、作品のアフターケアなどしてたので、他の街や展示巡りは殆どどこにも行けず。

そんな中、ミキコサトウギャラリーから徒歩3分の、
DeichtonhallenでやってたCharline von Heyl(カタカナだとシャーリーン フォン ハイルか?)の個展だけは堪能できた。
素晴らしい!!!2005年から2018年の13年間の集大成的展示。
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昨年ミュンヘンで実物を見て、完全にリスペクトの対象となったvon Heyl、
そん時もおんなじような事を書いたかもしれないが、
キャンバスの目が潰れない程の薄塗りをキープしてるので、追おうと思えばほぼ全てのプロセスを目で追うことができる。特に形と形の際に注目すると、巧みにマスキングや塗り残しを駆使して、描く順序を計画的に倒錯させていたり、薄塗りながら複雑なパターンを幾つも展開させていることがわかる。ストリートグラフィティに繋がりそうなガサッとした描写も、何かしらの引用を匂わせる謎のイメージも意味を中和しちゃうように効いてくる。それに、意外に色の組み合わせが繊細で、実物じゃないとわからん綺麗さ。絵画は進んでいるよなあと実感させてくれる展示。
自分の展示と比較してがっつり凹むかと思ったが、むしろなんだか清々しい気持ちで、色々アイデアのヒントももらいながら鑑賞することができた。

これから札幌に戻って制作再開だ。まずは地震で壊れた作品を早く直さねば。次の展示は来月のアート台北です。

空港でMezzo Mix飲み納め!


「北海道 未来のしごとの参考書」というウェブサイトに、インタビューが掲載されました。

高大生向けの職業紹介サイトです。

https://sankousho.haj.co.jp/interview/?interview_id=117 
 
 

つい先日、一停無視で警察から罰金7,000円を浴びたんですけど、職業を聞かれて「自営業」では納得してもらえず「が、が、画家です、、、」とぎこちなく申告せざるを得なかった身のワタクシが、こういうサイトで画家としてインタビューを受ける不思議。
 

今画学生で未来が闇に包まれそうな若者の皆様、あるいはお子様の進路選択が美術になりそうな雰囲気にビビってる皆様、あくまでケーススタディのひとつとしてご活用ください。
 

また、他の画家のみなさんにも、それは違うだろおおおぁぁ!!とできるだけ言われないように気をつけながら、割と正直に答えたつもりではありますが、いかがでしょう!?ここが一番緊張するところ。



宇佐美圭司壁画処分問題。

http://www.utcoop.or.jp/news/news_detail_4946.html

東大から正式謝罪文がでたので、これでなんとなく収束してしまうんだろうか。
納得いかんよね。
仮にも東大の名がつく場所ですら、こんなことが起こるのか?信じられん。

僕にとって宇佐美さんって、作品自体より著作の方を先にを読んでいて、以来ずっと関心があった作家さんだった。
「絵画論 描くことへの復権」(1980年)は、国内で絵画を学ぶにあたって押さえておきたい一冊で、
プリベンションという考えを軸にして、自作及び絵画の分析をどう行うかという知的アプローチを追体験できたり、
デュシャン、ピカソ、マチス、クレーなどを軸に、現在において絵画を描くための場を思考することを体現した内容だった。一部抜粋してみると、
「抽象絵画が表現した悪魔とは、自由が均質へと移行してしまう「均質化の危機」であった。抽象絵画は、均質化の道を避けて通れず、均質化は形式へと循環するというアポリア。だからこそ私たちは循環系の世界にいる。「見えないもの」へのアプローチが、その見えないことによって自律的に語れず、「見えるもの」の側へ循環してしまう。 ー中略ー 循環系に至る表現をもう繰り返す必要はない。私たちは今、循環系を正面から受け止め、それと対抗するような表現の場を築かなければならぬだろう。」
といったシビアな指摘は、当時より絵画を選択した自分にとってグッと緊張感をもたらしてくれたものだった。
 

なかなか実物を見る機会に恵まれなかったんだけど、
僕は2年前の宇佐美さんの回顧展を見に、はるばる和歌山県立近代美術館まで足を運んだんだよな。
もちろん魅力的な展示だった。
そこでは作品のメインモチーフとなる、LIFE誌の実際の黒人暴動写真記事を見ることができたし、
特に90年代以降の高密度で巨大な作品群を何度も往復しながら鑑賞した。
当時の鑑賞メモ抜粋→「…人型を円形に閉じ込めることによる瞬間的かつ永続的な自己時間の現れ。これは暴動写真を見ることで自身の感情が動かされた出会いの鮮度が後々まで固定されたまま画面の中でリフレインしてるような感じ。それってまさに写真的要素、像。その外側に踊るように拡張していく自由な人体のドローイング線描はもっとなんというか自由があって、描いてる今その瞬間もたっぷり含みながら時間の幅が広い感じ。さらに絵画史っつーか人類史の時間軸に触れようとする試み。それらが、地底面に属さない楕円含む遠近法的パース、透明不透明、形態の重なりによる複雑な図と地の反転によって発生した絵画空間で混ざりあって、独特の画面のうねりのダイナミズムをもった多次元がこっちに向かってドバッと畳み掛けてくる。」
ちなみにこの時の展示作品は、カタログを見ると数点が和歌山近美の所蔵品で、残りはすべて個人蔵だったようだ。
そのせいか、80年代の作品展開が抜けていたのが気がかりだった。
 

実際、宇佐美作品を展示している美術館は現状多くないように思ってる。
何度も東京の大きな美術館に足を運んでいるが、収蔵はされてるものの、常設の常連作家という印象は未だ無いんだよな。だから和歌山まで行ったわけで。地方美術館ではどうなんだろう。セゾン現代美術館にたくさん収蔵されているようだけど、軽井沢まで足を運ばなきゃ見れないのも勿体無い話。
東大の対応は論外として、
宇佐美さんの価値付けってもっともっとちゃんとされるべきだよなあ、とも思う。
今回の問題も、新聞やテレビでも報道されるようになったきっかけは、Twitterで岡崎さんが提起したのが始まりで、もしこれが無かったら、いったいいつ表面化されたんだろうか。
今こういう形ではあるけども作家名が注目されたのだから、ドーンと、こんな魅力的な作家さんなんですよって証明することが、せめてモヤモヤを晴らすための正攻法な気もする。何よりもやっぱり、展示でそれをやってほしいなあ。
 

それにしても、自分も作品制作していろんな方に持っていただいている身なので、作品を来世まで守る大変な現実が身に染みる。
美術作品は、大きな他者評価をもって初めて、来世の文化財、お宝価値となる可能性が生まれるので、ただの商品ではない。しかし、いつその価値付けが起こるかはわからないし、そういう状況に恵まれなければ、大事にしてくれる方がいなくなった時点でただの産業廃棄物だ。
作家が亡くなって、自分で保管してた作品が残された家族によって処分されるケースも多いって聞く。それって相続税の対象になってしまうため止むを得ずって場合もあるようだ。
周りにも、作るひと、売るひと、買うひと、それぞれたくさんいるけれど、この問題を起点に、それぞれが、守るひとの属性も意識していけたらいいですね。

フェア後、ひきつづき一週間東京。
無目的にぶらぶらするつもりが、
さすが東京、毎日何かしら行くところがある。

・MOA美術館まで足伸ばして光琳の国宝鑑賞。
んー構図はさすがにカッコ良いが、やっぱり空間を放棄した描き方なのでツボらない。
真ん中の川は奥ではなく上に上がり、水流の描写は川の形態の端で途切れているゆえに柄である。
だから、川の部分は川ではなくて装飾的な抽象形態だ。そう割り切れば少しは納得出来る。
しかしこの美術館はガラスの透過率が高すぎて、頭をぶつけている方が多数。
ゴン ゴン という音が響くたびに笑いが起こる。
数万人目のお客様は、ダメージ蓄積の末にガラス破壊賞をもらえるのではないか。

・すみだ北斎美術館
大きくないけどエリアのシンボルマークとしてカッコ良い存在感だなあ。
まさかの肉筆画を拝見。東西のテクニック混在っぷりが貪欲で素晴らしい。
人形がリアルすぎて怖い。

・熊谷守一
いかにも売り絵っぽい金色の額縁をすべて外したらさらに印象が良くなるはず、、、
いや額のせいにしてはならぬ、必死に絵に集中。
一見2〜3層構造だけど、赤いラインと塗りの関係を見ていると、そのプロセスの中に
見えない複数層が見えてくる。そういう点において、すげえわかりづらいことをやっている。
単なる可愛い装飾的な絵では全くない。

・VOCA展レセプション
以前札幌で展示していた浦川くんに会えた。堂々とした大作。
画面を収めるためのブラシストロークはまだKarstin Bratchのに引っ張られすぎているようにも見えるし、馴染んでない感じもするんだけど、むしろそれ以外のパサっとした描写が良かった。

・BankARTでNEO FLXUSというイベントに参加。
フェア期間中にハタさんに紹介してもらったKioさんの企画。
観客を巻き込んでいく方法論、巻き込んでもパフォーマンスが一体となる仕組みの構造、
その信用度合いと確かめたくてこっそり意地悪なアクションをしたけどそっと流されていた。
こっそりすぎたのかもしれない。
これでこの建物としてのBankART訪問は最後になるなあ。

・森美術館でレアンドロエルリッヒ、
アトラクション系と冷やかしで見に行ったら、思いの外ちゃんと美術の問題を抽出していて、
すいませんでした、、、と心の中で謝りながら、キャーキャー楽しんでいる鑑賞者を横目に、
彼の生み出す(主に鏡を使って)境界線の質について考えた。

 ・彦坂くんの個展
質問しまくった。画家との話は独特の言語展開になるのでやっぱいいな。
本人は遠方へ帰宅してしまい、本人不在の2次会であの作家さんやあの作家さんと顔見知りに。

・荒木悠くんの個展atボルボスタジオ
リンチのロストハイウェイ未見で鑑賞したけど、なるほどその違和感の表出は十分堪能できた。
生み出す境界線の現れ方において、先日みたエルリッヒと、伊藤隆介作品と、荒木くん作品を比較するとその違いが面白い。

・ブランクラス
末永さんの企画、参加作家が、強制かつやや複雑なルールで作家名を変えて作品をみるという実験的な内容。
なるほど、佐藤さんは自分の別人格を作るためにルソーを召喚するのねってとこが面白かった。
初ブランクラスで、オーナーの小林さんにねほりはほり運営形態について質問。
その後の飲み会でも、いろんな作家さん達と交流。楽しいね。
naebonoの参考に、、、作家脳と別にnaebono運営脳が増えると、会話のバリエーションが増える。 

・板室温泉大黒屋の授賞式
 今年で最後となるコンペの授賞式へ。ちょうど一年ぶりだ。
ああ、楽しいこの光景もこれで最後なのね。
久々に晢オタ美術家のSさんに会える機会でもある。ここ重要。漏れ出る哲思考チェック。
鈴木隆史さんの作品が気になりすぎて、後半はご本人を捕まえて質問攻め。
この人はまさに絵画に選ばれた人だ。絵画という行為すべてにまっすぐだ。
こっちの邪念が清められるような会話ができた。
あ、この感覚、ちょっとゴッホの作品を前にしたときの感覚に近いぞ。 

例えば先日ゼルダの世界観にやられたのは、主に時空間表現においてであって、

他の視覚表現に比べて絵画の優位性が残っているとすれば、
その大きな要素の一つが、多次元空間を表現できることだと思っている。

絵画が「終わった」とされる場合の解釈は、
絵画の平面性とは?何が絵画か?といった問いから、
絵画の基底面を禅問答的に追及する意味のみの崩壊である。

つまり絵画に与えられる自由はとっくの前から次の段階に移行している。

映画『メッセージ』を見た。最近見たSF映画の中ではかなりいい感じだったのだが。
ここでの世界観は時間概念の転換を、
映画というタイムラインに縛られざるをえない表現方法を利用した仕掛けによって語るというものだった。
最初見てから、一度は未来予知ということで納得しかけたものの、いや、未来予知という言い方だけでは結局時間に縛られた考え方になるのでそれはおかしい、、、と考え始めて3日間ほど困ったのち、未来のようなもの、過去のようなもの、の同列存在を表現するための視覚表現としては、映画の限界を感じた。
映画全体の構成もそうだし、劇中にでてきたあの言語よりも、
絵画の方が次元の数はもっと多い。
今の所、絵画ほど異なる時間の同時存在を表現出来る視覚メディアは無いだろう。

抽象の力@豊田市美術館。
美術館コレクションによる企画展の枠を超えた、岡崎さんによる近代抽象の見直しとその実証となる内容。無料公開の論文での予習必須。

http://abstract-art-as-impact.org/

岡崎さんの講演。
MOMAのINVENTING ABSTRACTION(2013)にて作られた抽象歴史のサーベイを仮想敵にして近代抽象の起源をフレーベルに設定するということ、
恩寺考四郎、ヒルマクリント、ゾフィアルプ、さらに展示には含まれていないヤクインガルシア、ストゥシェミンスキ、コブロ、、、などを例に挙げながら、
モダニズムは周縁において発生、中心化に対する批判としての抽象ということ、
ここらへんが特に、日本ー札幌という周縁な地で抽象画を描く自身にとっては非常に勇気をいただける内容となっており、はるばる来た甲斐があった。

ちなみに僕は当時INVENTING ABSTRACTIONを現地で鑑賞しており、疑いもなくその面白さに感銘を受けていたのだが、、、
その西洋の大国中心の設定における取りこぼしを指摘し問い詰める岡崎さんの姿勢、知的な裏付けには、尊敬と嫉妬が入り混じる。すげーっす。

開場前から講堂前には行列ができ、一瞬で満席になってしまった。
話についていくだけでも大変な情報量の岡崎さんの抽象の講義にこれだけの人が集まるとは。
僕が抽象絵画に取り組み始めた15年くらい前は、抽象絵画の扱われ方って少なくとも体感的にはとても細々としたモンだったと思うんだが、今はちょっと違うんだなあ。
シュタイナーによるヒルマへの悪影響、およびヒルマからシュタイナーへの良影響という皮肉をスライドで指摘する場面などでは会場から笑いが起きていたりして、 リテラシー高め。

講演後のエントランスに愛知と金沢のペインターが集結しており、お互い作品は認知してても会うのは初めてみたいな方だらけで盛り上がる。
なるほど愛知はペインター王国だと誰かが言っていたのを実感する。
微力ながら身をもって、札幌ペインターの存在もアピールしてきた。

岡崎さんの打ち上げ参加が許されたため、
展示は、第一室の導入の構成が見事だったことや、終盤の中村彝やベーコンへの違和感をご本人に伝えて、裏話を色々聞くなど。

翌日はちょうど展示中だった今村文さんの作品を見にエビスアートラボへ。
植物紋様のような緻密で物質感のある蜜蝋絵画の他に、植物そのものの存在やイメージごと押し花にしたようなドローイング、どちらも素敵だ。ご本人とも久々にお話しできて、良かった

よし帰ろうと空港へ着けば、飛行機の整備問題で突然欠航が決まった。現場は混乱。
のろのろしてる間に翌日の振替便もすぐ満席になってしまった。

フェリーで超スローに帰るかと思ったが時間も合わず、結局苦肉の策でチケット払い戻ししてもらって深夜バスで東京に向かい、成田の便を予約し直して帰るという地獄の手段で(水曜どうでしょう的な)なんとか解決した。
普段は北海道からポンポン移動することには負担を感じないが今回はさすがに大変だった。便の少ないLCC利用者にとっては鬼門・セントレア!!

復路変更による損害額は思いの外わずかだったので、やけくそで最後にひつまぶしを食べてしまった。高いが旨い!!うなぎを絶滅させないように、数年は食べるのを控えよう。

以前、バーゼルでいろんなアートフェアを初めて見た時にこんな記事を書いた。
http://yamamotograyzone.ldblog.jp/archives/52140866.html
 
『「周辺」の大多数感、とにかく作品作ってる人も作品売ってるギャラリーもめちゃくちゃ大勢いて、
自分も続けていけばこの雑多な中にはもしかしたら飛び込んでいけるかもしれないが、
その後この膨大な数のハンパな雑多な中に埋もれたまま抜け出せずに萎んでいくのは、、、』
 
こう思ってからもう5年も経っちゃった。 
現状はハンブルグ、台湾、札幌と3つのギャラリーと一緒に仕事するようになって、
年に2回ほど東京と台北でギャラリーからアートフェア参加、
加えて毎年栃木の大黒屋さんでも発表させて頂いている。
それぞれの場で発表作を販売していただいているおかげで、
なんとか画家として生活できるようになった。

そのこと自体を、
「フルタイムアーティストの」「札幌で唯一それで食べていけてる」(実はそんなこともなく他にもいるんだけど) という風に紹介されてやや困惑する(作品の内容の話に無関心をキメられるとなお困る)こともあると同時に、バーゼルで感じたことをふと思い出すことがある。
「札幌」というフィルタを外せば、世界中の名前も知らない認識しきれないほど大多数のギャラリーとアーティストがおそらく食べて行けているのだ。そしてその雑多の中に僕もいる状態になっている。

もっと先のことをイメージして、現在の膨大な雑多なゾーンからさらに次の領域を目指すため、そ
のための行動を意識していかなければ。
それぞれのギャラリーにも希望欲望をガンガン伝えているし(広い空間で3m級の作品ならべた個展やりたいとか、どういう思考を元に制作してるか認識してほしいとか、誰々に見て欲しいとか、カタログ作りたいとか、〇〇に掲載されたいとか、〇〇美術館で展示したいとか収蔵されたいとか)、
自分が話せることはできるだけ話している。
ハンブルグMikiko Sato Galleryと台北Admira Galleryではそれぞれのギャラリーがとっても頑張ってくれて美術雑誌に掲載してもらったし、
札幌のギャラリー門馬さんから発行してもらったカタログの編集は自らもやった。

今自分のBioに足りないのはグループ展の新しい参加歴やパブリックコレクションだが、
焦ったり姑息なことを考えたりせずに、作品を作り発表しながら地道に活動するのみ。
結局、一番難しいのは
絵画とは美術とは何かをさらに深く研究し、作品にフィードバックさせていきながら、
ここだという場で良い展示をしていくという超基本をずーっと持続させることだ。

札幌に活動拠点を置くにあたってのデメリットは、
・良い作品を見たいときは大抵の場合、飛行機に乗って遠方に行く必要がある。
→フットワークは常に軽く。良い作品は自分で作る。足元の価値を見つける。

・スタジオビジットなどに恵まれにくい。
→少ない機会を逃さないためのアンテナを張っておく。外から来たくなるようなスタジオ環境を作る。

・どっぷり美術に浸かっている、話ができる人が少ない。
→少ないながらいるんだから大事に。逆に集中できるでしょ。こちらから話しまくって、話せる人たちを増やす。

このように30代後半を見据えたい。

札幌で美術(現代美術?)をやっていると、
使命感に駆られる瞬間がある。アートシーンを自分らで何とかしなければ、という感情。 
きっと地方で活動していたらどこでも、そういう感覚あるだろう。
美術家が作品制作だけでなく、スペースを運営したり、学校を作ったり、プロジェクトを起こす。
また、ちょっとでも西洋美術史をかじり始めると、すぐにボイスの「社会彫刻」というマジックワードがその使命感に拍車をかけてきて、連続して「フルクサスが」「ソーホーがチェルシーが」などと数々の実例が用意されている。

そういう運動に敬意は払っており、時にはお手伝いなんかもしながら、
僕自身の活動はその感覚とは常に距離を置こうと意識してきたような気がする。
時には複数の方々から、やれ、やれ、と言われながらも、そ〜っとかわし続けてきた笑
向いてないから。

ちなみにワークショップブームにはやや疑念を持っている。
何かとイージーに教育目的としてアーティストにワークショップをやらせる傾向があるが、
これも向いてるアーティストはやればいいし、向いてないアーティストにまでワークショップを強要するのは反対である。

とにかく、僕はいかに作品の制作と思考に時間を割けるか、に絞って力を注いできた。
多彩さは持ち合わせていないので作品を良くしようとするだけで精一杯だしそこは簡単に負けない自負もある。他のことをしてる余裕もないし、やりたくないことはできる限りやらないのも作品の質のため。

まあ典型的な引きこもり系絵描きのわがままに過ぎないのかもしれないが、
札幌という地方仮説がそのわがまま感を勝手に助長しているのではないか。
だとしたらそれは美徳に思えぬ。
例えばベルリンで、NYで、「抽象絵画の問題」に集中している画家に対抗するには、
札幌が〜とも言ってられない。
ローカル性を取っ払う。抽象表現はまさに、時代も地域も取っ払う。いや、取っぱらいながら同時に潜ませる、という言い方が我が基本意図としてホントは正しいんだけど、この言い方がいつもややこしく伝わりづらいのがジレンマ。
仮に超ビッグになっちゃえば、それ自体でシーンは変えられるだろうし。。。

ベルリンに行って戻ってきて考え方は変わっても、作風自体は大きく変わらなかった。
都会という抽象的なまやかしの中で生きるのがリアルなのであれば、ユニクロで服を買うこともスタバでチャイラテ飲むことも拒否してないしグローバリズムをある程度肯定的に見ているということであって、フラットな場として札幌を選ぶ、ってのもそろそろアリかなあなんて思ってみたり。
そもそも地元が札幌でなかった僕にとって、札幌とはまさに匿名的で憧れの「大都会」の象徴であった。
住んでみてその魅力的なローカル性もまた後々自覚はできても、根の張れる意識までには至らない。
いろんな美術の生き方を尊重する、その代わりそれぞれの選択がそれぞれハイクオリティであること。
これがシーンに望むこと。
 

「札幌には美術批評が無い」とは定期的にどこからともなく聞こえて来る定型文だ。
久々にこの定型文が聞こえてきたので少し追ってみたら、得るものはなかった。 

そもそもだ、
もし「札幌には美術批評が無い」と言っているのが例えば美術家及び企画者や学芸員やギャラリストだとしたら、
おいおい何言ってんの!!てことを書いておきたい。
特に現代美術家の場合、作品には何かしらの批評要素が入っているはずであり、
企画展や企画ギャラリーは展示コンセプトや作家のセレクトがそのままある意味批評となる。
この辺が起点となって初めて批評は連鎖していくのだと思うんだけど。
批評家の不在を嘆く前に、まず自分らの主体性だろう。

そしてだ、
僕も札幌で美術家をやってます。
これでも学生の頃から今に至るまで、述べたように批評精神を持って活動してきたつもりなので、
批評が無いと言われるのはちょっと心外である。 
僕が学生の頃2000代前半は、オルタナティブスペースの動きが盛んで、若手がユニットを組んで現代美術らしい活動も盛んに見えた。ホワイトキューブから出ないとイカンとも言われた。
ゆえに絵画は相対的に相手にされづらいメディアであった。
そういううねりの中で絵画を続けて来たことも、団体公募展に出してた頃はいかに規定と保守性を破壊すべきかばかり考えた絵画作品を提出していたことも、このブログでもたまに、批評を含めてきたたつもりなんだけどなあ。

今現在僕は、札幌市内で個展をやる際、企画ギャラリーだったらギャラリー門馬さんだけと決めている。
自分との相性や、作家選定のセンスなど総合的に考えて、ドイツからの帰国後にお世話になっている。
これも(札幌においてのみ)批評の態度だと思ってます。
未だに、年に何度か市内の複数の企画ギャラリーで個展を開催する美術家が多いように思うのだけど、
それだとどのギャラリーも差異がなくなるし、作家のポリシーもよくわからんのよね。
 
ちなみにギャラリー門馬からは2冊のカタログも作って頂いてる。
必ず日英でテキストを付けており、自作の実物を見た上で評価していただいた方に無理やりお願いして、
このテキスト内容も美術批評として成立しているはず。
というわけなので、無くは、ない!!!

いや僕だけでなく、少なくとも周りの美術家数人は明確にそういう意識を持ってやっているはずだ。
みんなとても勉強家で、たびたび国内外どこにでも出かけて良質な展示を見て互いに意見交換してる。
お金も時間も無かろうが、やってるのだ。

 

4度目のアートフェア東京参加。

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去年に続きギャラリー門馬ブースでソロ展示をさせていただいた。
ギャラリストの大井さん一人でやっているギャラリーなので、
毎年展示と受付のお手伝いを作家も一緒になってやっている。
フェア独特のスピード感や鑑賞環境として良いとは思えない会場にずーっといるのは作家としてはなかなか複雑な面もあるけれど、こういうタイプのギャラリーはあんま無いので状況を楽しんでいる。
それに東京で展示できる貴重な機会なので、自ら展示構成をやってギャラリーでの個展と同じだと思ってやっているのだ。
それでも名乗らないと、未だにスタッフだと思われている場合が多い笑。
 
ブレビューの段階から例年よりお客さんがさらに増えており、連日ぎゅうぎゅう。
4年連続出展していると、ギャラリー門馬めがけて毎年見に来てくれる方も、買ってくれる方も随分増えた。 自動的に増えたわけではなく、ギャラリストの大井さんが個別の連絡や広報をしっかりやってくれているからだと受付をやりながら実感した。お客さんの反応からそれがわかるんだよなあ。
受ける質問も「どうやって作るのか」がほとんどだった状況から、どういうプロセスを経てこういう作風になったのかとか、意図とかも聞かれる回数が増えてきた気がする。
 
オープニングの挨拶で某庁長官や渦中の某政治家夫人がスピーチしてたなど色々内容がムムム的だったとの話もあるが(毎年のこと)、出展してる側からすればそれを聞きに行く余裕もなければ、そもそも内容など誰も期待してないだろうしお飾り文化程度にしか思わない。
むしろ聞こえてきた話として問題だと思ったのは、ロゴをデザイナーの許可なしに勝手に変更して使っていただとか、VIPチケットを事前購入した人があらかじめネットで情報登録したにも関わらず入り口でまた同じことを書かされてすぐに入場できなかったとか、運営側の話。
そういうのは出展する側としても非常に困るのでなんとかしてほしい。 

札幌から台北までは関空経由の便だったので、帰りに大阪に寄る。

ちょうど今年ホルベインスカラシップ奨学生にも選ばれたり特注品をお願いしてたり何かとご縁のある、ホルベイン工業の絵具工場見学目的だ。

観光ではまず行かないだろうエリアに赴くと見えてきた工場。これはテンション上がりますわ!
初めて見る専門の機械が並ぶ中で、担当の方から説明を受ける。
顔料とエマルジョンを精細に混ぜるローラー、 混ぜた絵具から気泡を除去するための真空機、耐光性をチェックするための箱、粘度を調べる機械、、、次々に繰り出される色の品質安定や発色へのオタク的アプローチの数々。質疑応答はつい延長戦、授業状態となる。

以前、ドイツで大きな作品を購入してくれたお客さんから、とにかく耐久性のことを何度も聞かれたことがあった。この絵画は10年保つか?パネルはどんな素材か?絵具はどこのメーカーのどの種類か?などなど。その時の回答として、同じ素材と同じアプローチで作った7年前の作品は劣化していないことを確認しているので最低でも7年は大丈夫とか、使ったメーカーの画材は口頭で説明したのち素材を写メして後でギャラリーに送ったりした。
そんな質問は初めてだったが、そりゃそうだ、100万円レベルの買い物だもの確認人できることはしておきたいよね。。。
それ以来、素材に対する自意識を強めに持つようにしていたので、今回の訪問は悲願であった。
直接画材研究しているメーカーとの関係性を持てる強みよ。ありがたい。
 
絵具製造過程の中には想像以上に手作業感も多く、僕の特注絵具を混ぜてくれている技術者さんからは「これはじゃじゃ馬って呼んでるんですよ(笑)」と。混ぜ方を間違えると、ある粒子が摩擦で熱を持ってしまって均等な粘度にならず塊が発生するんだって。最近ようやくそのさじ加減がわかってきたんだとか。ふへ〜、頭が下がります。。。
化学実験室のようでありながら、町工場的なアナログ感もあって、絵具に対する愛着が全く変わってくる。アクリル絵具はいかにも工業的でそこが気に入っているんだけれども、それでいて絵具そのものに人の気配を意識することができるようになったのは大きいなあ。 

同じ日の僕が来る前にも、外国の絵描きさんが工場見学に来てたらしく定期的な見学需要があるようだ。
北海道からはなかなか遠いけど、今は飛行機も安いし画学生有志で団体見学ツアーとかオススメしたい。 

先月にギャラリー門馬より参加したアートフェア東京。
今年で3回目の参加で今回はソロ展示。毎年続けて出品すると認知のされ方も変わってきたなという実感があった。めちゃくちゃ熱心なお客さんにも出会えたり、今月の個展への問い合わせなんかにも繋がったりしているようで、札幌からの攻めの姿勢モデルの一つになるのではないか。
 

ところでそのフェアの時にひとつだけムッときたのは、某ギャラリーツアー団体様がやってきて、ガイドさんが僕らのブースの前で説明を始めた時だった。
僕はギャラリースタッフのフリしてどんな解説しているのかをこっそり聞いていたところ、たまたま向かいのブース展示だった「具体」の展示と比較して、
「コッチ(僕側)の水玉作品はカラフルでキレイでわかりやすい、誰でも目に留まる。一方アッチ(具体側)の作品はパッと見ただけではわかりにくいけど、アッチこそが玄人向け」
といったようなことを仰られていた。
ゴラア!!誰よりもパッと見で判断してるのオメエだろ!!せめて近くで20秒以上見んかい!今から一緒にこれから一緒に殴りに行こうかYAHYAHYAHと思うに留めてガイド氏をそっと睨みつけておいた。そのガイドさんは某ギャラリストだと思うんだけど。
「具体」と比較されるのは構わないし、単純にキレイだな〜と思ってもらうのもいいことだ。しかしこのように、いかにも現代美術わかってますという方に「卑下的な意味でただの装飾」と判断されるのがとっても許せないわけで、ましてそれをお客さんに説明するなどとんでもないことだが、そんな話は100年くらい前にピカソとマチスが散々議論してるだろとも思いつつ、あまり僕自身でグチグチいっても仕方が無いのだ。だいたいどの美術家さんだって、自分の作品こそはただの装飾なんかじゃねえとか思っているので、井の中の蛙の可能性があるものだ。だから次の目標はちゃんとしたレビューや展評の掲載かな。

しぶとく長期戦のアプローチを続けるのみ。

板室温泉大黒屋さんのブログで、
個展に合わせてインタビューを公開して頂いております。
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2015/11/blog-post_29.html

ここ1年くらい、どうもネット上に自分の言葉を残すことに抵抗を感じていたので
当ブログでも更新頻度が下がり気味。
なのでこのインタビューにいろいろまとめてもらった。
文字起こししてもらった後の校正にもたいへん時間をかけてもらってありがたい。
ハンブルグの個展に合わせてヨーロッパ移動してる最中に電車酔いしながら原稿チェックしてました。
中身も長くなってしまった。最後まで読んでくれる方は果たしているんだろうか。
というわけでツッコミお待ちしております!!
 

ホルベインスカラシップに受かった!
http://www.holbein-works.co.jp/topics/547-20151125csr30.html

ホルベイン工業さんありがとうございます。
先日のメディウムの件といい、連続して助けていただけるなんて嬉しい話です。
学生時代から応募してたものの落ち続けてたなあ。
何回くらい出してきただろう、今回で4回目くらいかな?
いやまあようやく。。。粘り勝ちって感じだ。



今日から札幌のチカホで始まったPARC5に作品出してます。

 PARC5:Meeting Table ]
名称| Public Art Research Center 5[PARC5:Meeting Table]
日時| 2015年9月2日(水)〜 9月6日(日)
時間| 12:00〜18:00
会場| 札幌駅前通地下歩行空間|憩いの空間E、北3条交差点広場(西)
主催| 札幌駅前通まちづくり株式会社   
企画| PROJECTA

 
 写真 2015-09-02 19 53 45

11月の那須塩原での個展に出品予定の作品1点をまず札幌で先行展示。ご高覧いただけると幸いです。
作品展示は企画の一部で、会期中は色んなイベントがあります。
搬入の時に見た感じだと、図書館ブースの現代美術作家のカタログ類がとても充実していたので興味ある人や美大生には特にたまらん場になりそうだと思いました。
土日のフォーラムも豪華メンバー。札幌で2年連続して岡崎乾二郎さんの講演が聞けるとは!楽しみですね。
詳細はリンクをご確認ください。
http://www.sapporoekimae-management.jp/…/public-art-resear…/

 

ところで、自身はいつも割と淡々とした感覚で作品をこしらえており、無機質さとか不安さとか不気味さ、などの要素も画面内に同列させることをやってるつもりだけど、なんとなく最近お客さんの反応、癒し的とかキレイさとかそういう反応の方がより増えたように感じる。搬入してる時にも感じた。
もちろん装飾として機能する強みをまず前面に置いてるし、それは嬉しいことである。一方で、もしや浅ましさの可視化(主にデジタルを通した伝達による)を感じる話題が多いせい?の反動なんだろうか、とふと思ったりして。(あのデザイナーさん命絶たなければよいですな。あのデカい建築はなんとかうまいこと実現しなかったのかね、見てみたかったけどな。あのイベントの話題すると呪われそうだから止めよう) 兎に角、にんげんも絵画もいつだっておもしろい。
 

搬入を終えた華やかな会場からぐちゃぐちゃ状態のアトリエに戻ってくればまたげっそり。
11月に那須塩原に加えハンブルグでも個展やるため、大きな作品の締め切り及び輸送の問題にずっと追われてる。自作は重いし、表面は弱いし、コンパクトに分解もできないので、長距離輸送のしづらさを痛感。困ったな。
もし船便でドイツまで送るならば一ヶ月かかり、おそらくその航路はマラッカ海峡を通り、インド洋を通り、スエズ運河を抜けて地中海、北海って感じでいくのかね。結構信じられんな。輸送に耐えうる木箱はどうすりゃいいんだ。航空便とどっちがいいんだろう。今年一番のふんばりどころだな。

今年もアートフェア東京に参加してきた。
4日間ずっと会場にいるとぐったり。
いろいろ複雑、でも欲望の多様さは面白い。
作品よりもつい大勢の人を見てしまったり。
憧れるギャラリーさんのブースも並ぶ同会場で、
自分の作品を見せれるのはありがたいことだ。
しかも今回は大きな作品を持っていった。
ギャラリー門馬の大井さんが、売れるかどうかは別にしても、
大きい作品を見せてインパクト与えたい!
と言ってくれてたのだ。
結果、3日目には昨年とはまた別の中国のコレクターさんにその大きいやつを持ってもらえることになった。
大井さんに判断力に感謝!!
合わせてギリギリでカタログ発行を間に合わせたので、たくさんの方に購入していただけて良かった。
札幌から東京にジワジワ攻めてます。


3331アートフェアは、やんちゃな作品に押され気味な気分だった。
中型絵画を1点だけってのは渋かったかな。。。
会期中のイベントにも参加できなかったし、なんとなく自分はよそ者感を拭いきれないまま。
それでもオープニングの後に何人かの作家さんと打ち上げし、知り合いになれたのは収穫だ。
会期中ショップに置いてもらっていたカタログ、こちらでも若干ながら売れたらしい。
これは嬉しいなあ!一体どんな人が買ってくれたんだろう。 

都現美、企画3つも常設展も充実展示でとても良い。

OROZCO様について少し。
状況の発見と、それをすくいあげる能力のすばらしさ。
数点絵画作品が展示されていた。
幾何学、しかも円形の重なりということでまあ毎度参ってしまう。
しかし、やっぱり塗り自体にそこまで愛着は無さそうなのが僕にとっては少しの救いでもある。
on canvasで下地もちゃんと作っているけど、画家な絵画ではない。
その距離感がいいとも言える。

スポーツ選手の新聞写真に幾何学を加える作品なんかを見ていると、
おそらく写真からまず縦横の線の位置を決めていくことが推測され、
その線の位置のセンスが、そこに引けるんだな〜と感心。
今更、造形センスに着目するのも野暮だろうか。美学的なセンスもとても重要に思えるけど。

オロスコ展開催中のせいで、ベルリン時代にアップしたオロスコ鑑賞時の閲覧数が若干上がってて
恥ずい。あの時も造形センスで強引に作品に強度を与えていたことを思い出す。

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