やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

カテゴリ: 美術

個展のオープニングは盛況に終えることができました。会期は10月26日までです。
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ハンブルクではもう3回目の個展で、今回はその3回分をまとめたカタログも作る予定!!
みっちり打ち合わせもしてきたので、出来上がりが楽しみ。
 

さて今回は約1週間の滞在で、
搬入したりお客さんに会ったり、ご立派なホテルに飾られてる自作を見学したり、作品のアフターケアなどしてたので、他の街や展示巡りは殆どどこにも行けず。

そんな中、ミキコサトウギャラリーから徒歩3分の、
DeichtonhallenでやってたCharline von Heyl(カタカナだとシャーリーン フォン ハイルか?)の個展だけは堪能できた。
素晴らしい!!!2005年から2018年の13年間の集大成的展示。
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昨年ミュンヘンで実物を見て、完全にリスペクトの対象となったvon Heyl、
そん時もおんなじような事を書いたかもしれないが、
キャンバスの目が潰れない程の薄塗りをキープしてるので、追おうと思えばほぼ全てのプロセスを目で追うことができる。特に形と形の際に注目すると、巧みにマスキングや塗り残しを駆使して、描く順序を計画的に倒錯させていたり、薄塗りながら複雑なパターンを幾つも展開させていることがわかる。ストリートグラフィティに繋がりそうなガサッとした描写も、何かしらの引用を匂わせる謎のイメージも意味を中和しちゃうように効いてくる。それに、意外に色の組み合わせが繊細で、実物じゃないとわからん綺麗さ。絵画は進んでいるよなあと実感させてくれる展示。
自分の展示と比較してがっつり凹むかと思ったが、むしろなんだか清々しい気持ちで、色々アイデアのヒントももらいながら鑑賞することができた。

これから札幌に戻って制作再開だ。まずは地震で壊れた作品を早く直さねば。次の展示は来月のアート台北です。

空港でMezzo Mix飲み納め!


「北海道 未来のしごとの参考書」というウェブサイトに、インタビューが掲載されました。

高大生向けの職業紹介サイトです。

https://sankousho.haj.co.jp/interview/?interview_id=117 
 
 

つい先日、一停無視で警察から罰金7,000円を浴びたんですけど、職業を聞かれて「自営業」では納得してもらえず「が、が、画家です、、、」とぎこちなく申告せざるを得なかった身のワタクシが、こういうサイトで画家としてインタビューを受ける不思議。
 

今画学生で未来が闇に包まれそうな若者の皆様、あるいはお子様の進路選択が美術になりそうな雰囲気にビビってる皆様、あくまでケーススタディのひとつとしてご活用ください。
 

また、他の画家のみなさんにも、それは違うだろおおおぁぁ!!とできるだけ言われないように気をつけながら、割と正直に答えたつもりではありますが、いかがでしょう!?ここが一番緊張するところ。



宇佐美圭司壁画処分問題。

http://www.utcoop.or.jp/news/news_detail_4946.html

東大から正式謝罪文がでたので、これでなんとなく収束してしまうんだろうか。
納得いかんよね。
仮にも東大の名がつく場所ですら、こんなことが起こるのか?信じられん。

僕にとって宇佐美さんって、作品自体より著作の方を先にを読んでいて、以来ずっと関心があった作家さんだった。
「絵画論 描くことへの復権」(1980年)は、国内で絵画を学ぶにあたって押さえておきたい一冊で、
プリベンションという考えを軸にして、自作及び絵画の分析をどう行うかという知的アプローチを追体験できたり、
デュシャン、ピカソ、マチス、クレーなどを軸に、現在において絵画を描くための場を思考することを体現した内容だった。一部抜粋してみると、
「抽象絵画が表現した悪魔とは、自由が均質へと移行してしまう「均質化の危機」であった。抽象絵画は、均質化の道を避けて通れず、均質化は形式へと循環するというアポリア。だからこそ私たちは循環系の世界にいる。「見えないもの」へのアプローチが、その見えないことによって自律的に語れず、「見えるもの」の側へ循環してしまう。 ー中略ー 循環系に至る表現をもう繰り返す必要はない。私たちは今、循環系を正面から受け止め、それと対抗するような表現の場を築かなければならぬだろう。」
といったシビアな指摘は、当時より絵画を選択した自分にとってグッと緊張感をもたらしてくれたものだった。
 

なかなか実物を見る機会に恵まれなかったんだけど、
僕は2年前の宇佐美さんの回顧展を見に、はるばる和歌山県立近代美術館まで足を運んだんだよな。
もちろん魅力的な展示だった。
そこでは作品のメインモチーフとなる、LIFE誌の実際の黒人暴動写真記事を見ることができたし、
特に90年代以降の高密度で巨大な作品群を何度も往復しながら鑑賞した。
当時の鑑賞メモ抜粋→「…人型を円形に閉じ込めることによる瞬間的かつ永続的な自己時間の現れ。これは暴動写真を見ることで自身の感情が動かされた出会いの鮮度が後々まで固定されたまま画面の中でリフレインしてるような感じ。それってまさに写真的要素、像。その外側に踊るように拡張していく自由な人体のドローイング線描はもっとなんというか自由があって、描いてる今その瞬間もたっぷり含みながら時間の幅が広い感じ。さらに絵画史っつーか人類史の時間軸に触れようとする試み。それらが、地底面に属さない楕円含む遠近法的パース、透明不透明、形態の重なりによる複雑な図と地の反転によって発生した絵画空間で混ざりあって、独特の画面のうねりのダイナミズムをもった多次元がこっちに向かってドバッと畳み掛けてくる。」
ちなみにこの時の展示作品は、カタログを見ると数点が和歌山近美の所蔵品で、残りはすべて個人蔵だったようだ。
そのせいか、80年代の作品展開が抜けていたのが気がかりだった。
 

実際、宇佐美作品を展示している美術館は現状多くないように思ってる。
何度も東京の大きな美術館に足を運んでいるが、収蔵はされてるものの、常設の常連作家という印象は未だ無いんだよな。だから和歌山まで行ったわけで。地方美術館ではどうなんだろう。セゾン現代美術館にたくさん収蔵されているようだけど、軽井沢まで足を運ばなきゃ見れないのも勿体無い話。
東大の対応は論外として、
宇佐美さんの価値付けってもっともっとちゃんとされるべきだよなあ、とも思う。
今回の問題も、新聞やテレビでも報道されるようになったきっかけは、Twitterで岡崎さんが提起したのが始まりで、もしこれが無かったら、いったいいつ表面化されたんだろうか。
今こういう形ではあるけども作家名が注目されたのだから、ドーンと、こんな魅力的な作家さんなんですよって証明することが、せめてモヤモヤを晴らすための正攻法な気もする。何よりもやっぱり、展示でそれをやってほしいなあ。
 

それにしても、自分も作品制作していろんな方に持っていただいている身なので、作品を来世まで守る大変な現実が身に染みる。
美術作品は、大きな他者評価をもって初めて、来世の文化財、お宝価値となる可能性が生まれるので、ただの商品ではない。しかし、いつその価値付けが起こるかはわからないし、そういう状況に恵まれなければ、大事にしてくれる方がいなくなった時点でただの産業廃棄物だ。
作家が亡くなって、自分で保管してた作品が残された家族によって処分されるケースも多いって聞く。それって相続税の対象になってしまうため止むを得ずって場合もあるようだ。
周りにも、作るひと、売るひと、買うひと、それぞれたくさんいるけれど、この問題を起点に、それぞれが、守るひとの属性も意識していけたらいいですね。

フェア後、ひきつづき一週間東京。
無目的にぶらぶらするつもりが、
さすが東京、毎日何かしら行くところがある。

・MOA美術館まで足伸ばして光琳の国宝鑑賞。
んー構図はさすがにカッコ良いが、やっぱり空間を放棄した描き方なのでツボらない。
真ん中の川は奥ではなく上に上がり、水流の描写は川の形態の端で途切れているゆえに柄である。
だから、川の部分は川ではなくて装飾的な抽象形態だ。そう割り切れば少しは納得出来る。
しかしこの美術館はガラスの透過率が高すぎて、頭をぶつけている方が多数。
ゴン ゴン という音が響くたびに笑いが起こる。
数万人目のお客様は、ダメージ蓄積の末にガラス破壊賞をもらえるのではないか。

・すみだ北斎美術館
大きくないけどエリアのシンボルマークとしてカッコ良い存在感だなあ。
まさかの肉筆画を拝見。東西のテクニック混在っぷりが貪欲で素晴らしい。
人形がリアルすぎて怖い。

・熊谷守一
いかにも売り絵っぽい金色の額縁をすべて外したらさらに印象が良くなるはず、、、
いや額のせいにしてはならぬ、必死に絵に集中。
一見2〜3層構造だけど、赤いラインと塗りの関係を見ていると、そのプロセスの中に
見えない複数層が見えてくる。そういう点において、すげえわかりづらいことをやっている。
単なる可愛い装飾的な絵では全くない。

・VOCA展レセプション
以前札幌で展示していた浦川くんに会えた。堂々とした大作。
画面を収めるためのブラシストロークはまだKarstin Bratchのに引っ張られすぎているようにも見えるし、馴染んでない感じもするんだけど、むしろそれ以外のパサっとした描写が良かった。

・BankARTでNEO FLXUSというイベントに参加。
フェア期間中にハタさんに紹介してもらったKioさんの企画。
観客を巻き込んでいく方法論、巻き込んでもパフォーマンスが一体となる仕組みの構造、
その信用度合いと確かめたくてこっそり意地悪なアクションをしたけどそっと流されていた。
こっそりすぎたのかもしれない。
これでこの建物としてのBankART訪問は最後になるなあ。

・森美術館でレアンドロエルリッヒ、
アトラクション系と冷やかしで見に行ったら、思いの外ちゃんと美術の問題を抽出していて、
すいませんでした、、、と心の中で謝りながら、キャーキャー楽しんでいる鑑賞者を横目に、
彼の生み出す(主に鏡を使って)境界線の質について考えた。

 ・彦坂くんの個展
質問しまくった。画家との話は独特の言語展開になるのでやっぱいいな。
本人は遠方へ帰宅してしまい、本人不在の2次会であの作家さんやあの作家さんと顔見知りに。

・荒木悠くんの個展atボルボスタジオ
リンチのロストハイウェイ未見で鑑賞したけど、なるほどその違和感の表出は十分堪能できた。
生み出す境界線の現れ方において、先日みたエルリッヒと、伊藤隆介作品と、荒木くん作品を比較するとその違いが面白い。

・ブランクラス
末永さんの企画、参加作家が、強制かつやや複雑なルールで作家名を変えて作品をみるという実験的な内容。
なるほど、佐藤さんは自分の別人格を作るためにルソーを召喚するのねってとこが面白かった。
初ブランクラスで、オーナーの小林さんにねほりはほり運営形態について質問。
その後の飲み会でも、いろんな作家さん達と交流。楽しいね。
naebonoの参考に、、、作家脳と別にnaebono運営脳が増えると、会話のバリエーションが増える。 

・板室温泉大黒屋の授賞式
 今年で最後となるコンペの授賞式へ。ちょうど一年ぶりだ。
ああ、楽しいこの光景もこれで最後なのね。
久々に晢オタ美術家のSさんに会える機会でもある。ここ重要。漏れ出る哲思考チェック。
鈴木隆史さんの作品が気になりすぎて、後半はご本人を捕まえて質問攻め。
この人はまさに絵画に選ばれた人だ。絵画という行為すべてにまっすぐだ。
こっちの邪念が清められるような会話ができた。
あ、この感覚、ちょっとゴッホの作品を前にしたときの感覚に近いぞ。 

例えば先日ゼルダの世界観にやられたのは、主に時空間表現においてであって、

他の視覚表現に比べて絵画の優位性が残っているとすれば、
その大きな要素の一つが、多次元空間を表現できることだと思っている。

絵画が「終わった」とされる場合の解釈は、
絵画の平面性とは?何が絵画か?といった問いから、
絵画の基底面を禅問答的に追及する意味のみの崩壊である。

つまり絵画に与えられる自由はとっくの前から次の段階に移行している。

映画『メッセージ』を見た。最近見たSF映画の中ではかなりいい感じだったのだが。
ここでの世界観は時間概念の転換を、
映画というタイムラインに縛られざるをえない表現方法を利用した仕掛けによって語るというものだった。
最初見てから、一度は未来予知ということで納得しかけたものの、いや、未来予知という言い方だけでは結局時間に縛られた考え方になるのでそれはおかしい、、、と考え始めて3日間ほど困ったのち、未来のようなもの、過去のようなもの、の同列存在を表現するための視覚表現としては、映画の限界を感じた。
映画全体の構成もそうだし、劇中にでてきたあの言語よりも、
絵画の方が次元の数はもっと多い。
今の所、絵画ほど異なる時間の同時存在を表現出来る視覚メディアは無いだろう。

抽象の力@豊田市美術館。
美術館コレクションによる企画展の枠を超えた、岡崎さんによる近代抽象の見直しとその実証となる内容。無料公開の論文での予習必須。

http://abstract-art-as-impact.org/

岡崎さんの講演。
MOMAのINVENTING ABSTRACTION(2013)にて作られた抽象歴史のサーベイを仮想敵にして近代抽象の起源をフレーベルに設定するということ、
恩寺考四郎、ヒルマクリント、ゾフィアルプ、さらに展示には含まれていないヤクインガルシア、ストゥシェミンスキ、コブロ、、、などを例に挙げながら、
モダニズムは周縁において発生、中心化に対する批判としての抽象ということ、
ここらへんが特に、日本ー札幌という周縁な地で抽象画を描く自身にとっては非常に勇気をいただける内容となっており、はるばる来た甲斐があった。

ちなみに僕は当時INVENTING ABSTRACTIONを現地で鑑賞しており、疑いもなくその面白さに感銘を受けていたのだが、、、
その西洋の大国中心の設定における取りこぼしを指摘し問い詰める岡崎さんの姿勢、知的な裏付けには、尊敬と嫉妬が入り混じる。すげーっす。

開場前から講堂前には行列ができ、一瞬で満席になってしまった。
話についていくだけでも大変な情報量の岡崎さんの抽象の講義にこれだけの人が集まるとは。
僕が抽象絵画に取り組み始めた15年くらい前は、抽象絵画の扱われ方って少なくとも体感的にはとても細々としたモンだったと思うんだが、今はちょっと違うんだなあ。
シュタイナーによるヒルマへの悪影響、およびヒルマからシュタイナーへの良影響という皮肉をスライドで指摘する場面などでは会場から笑いが起きていたりして、 リテラシー高め。

講演後のエントランスに愛知と金沢のペインターが集結しており、お互い作品は認知してても会うのは初めてみたいな方だらけで盛り上がる。
なるほど愛知はペインター王国だと誰かが言っていたのを実感する。
微力ながら身をもって、札幌ペインターの存在もアピールしてきた。

岡崎さんの打ち上げ参加が許されたため、
展示は、第一室の導入の構成が見事だったことや、終盤の中村彝やベーコンへの違和感をご本人に伝えて、裏話を色々聞くなど。

翌日はちょうど展示中だった今村文さんの作品を見にエビスアートラボへ。
植物紋様のような緻密で物質感のある蜜蝋絵画の他に、植物そのものの存在やイメージごと押し花にしたようなドローイング、どちらも素敵だ。ご本人とも久々にお話しできて、良かった

よし帰ろうと空港へ着けば、飛行機の整備問題で突然欠航が決まった。現場は混乱。
のろのろしてる間に翌日の振替便もすぐ満席になってしまった。

フェリーで超スローに帰るかと思ったが時間も合わず、結局苦肉の策でチケット払い戻ししてもらって深夜バスで東京に向かい、成田の便を予約し直して帰るという地獄の手段で(水曜どうでしょう的な)なんとか解決した。
普段は北海道からポンポン移動することには負担を感じないが今回はさすがに大変だった。便の少ないLCC利用者にとっては鬼門・セントレア!!

復路変更による損害額は思いの外わずかだったので、やけくそで最後にひつまぶしを食べてしまった。高いが旨い!!うなぎを絶滅させないように、数年は食べるのを控えよう。

以前、バーゼルでいろんなアートフェアを初めて見た時にこんな記事を書いた。
http://yamamotograyzone.ldblog.jp/archives/52140866.html
 
『「周辺」の大多数感、とにかく作品作ってる人も作品売ってるギャラリーもめちゃくちゃ大勢いて、
自分も続けていけばこの雑多な中にはもしかしたら飛び込んでいけるかもしれないが、
その後この膨大な数のハンパな雑多な中に埋もれたまま抜け出せずに萎んでいくのは、、、』
 
こう思ってからもう5年も経っちゃった。 
現状はハンブルグ、台湾、札幌と3つのギャラリーと一緒に仕事するようになって、
年に2回ほど東京と台北でギャラリーからアートフェア参加、
加えて毎年栃木の大黒屋さんでも発表させて頂いている。
それぞれの場で発表作を販売していただいているおかげで、
なんとか画家として生活できるようになった。

そのこと自体を、
「フルタイムアーティストの」「札幌で唯一それで食べていけてる」(実はそんなこともなく他にもいるんだけど) という風に紹介されてやや困惑する(作品の内容の話に無関心をキメられるとなお困る)こともあると同時に、バーゼルで感じたことをふと思い出すことがある。
「札幌」というフィルタを外せば、世界中の名前も知らない認識しきれないほど大多数のギャラリーとアーティストがおそらく食べて行けているのだ。そしてその雑多の中に僕もいる状態になっている。

もっと先のことをイメージして、現在の膨大な雑多なゾーンからさらに次の領域を目指すため、そ
のための行動を意識していかなければ。
それぞれのギャラリーにも希望欲望をガンガン伝えているし(広い空間で3m級の作品ならべた個展やりたいとか、どういう思考を元に制作してるか認識してほしいとか、誰々に見て欲しいとか、カタログ作りたいとか、〇〇に掲載されたいとか、〇〇美術館で展示したいとか収蔵されたいとか)、
自分が話せることはできるだけ話している。
ハンブルグMikiko Sato Galleryと台北Admira Galleryではそれぞれのギャラリーがとっても頑張ってくれて美術雑誌に掲載してもらったし、
札幌のギャラリー門馬さんから発行してもらったカタログの編集は自らもやった。

今自分のBioに足りないのはグループ展の新しい参加歴やパブリックコレクションだが、
焦ったり姑息なことを考えたりせずに、作品を作り発表しながら地道に活動するのみ。
結局、一番難しいのは
絵画とは美術とは何かをさらに深く研究し、作品にフィードバックさせていきながら、
ここだという場で良い展示をしていくという超基本をずーっと持続させることだ。

札幌に活動拠点を置くにあたってのデメリットは、
・良い作品を見たいときは大抵の場合、飛行機に乗って遠方に行く必要がある。
→フットワークは常に軽く。良い作品は自分で作る。足元の価値を見つける。

・スタジオビジットなどに恵まれにくい。
→少ない機会を逃さないためのアンテナを張っておく。外から来たくなるようなスタジオ環境を作る。

・どっぷり美術に浸かっている、話ができる人が少ない。
→少ないながらいるんだから大事に。逆に集中できるでしょ。こちらから話しまくって、話せる人たちを増やす。

このように30代後半を見据えたい。

札幌で美術(現代美術?)をやっていると、
使命感に駆られる瞬間がある。アートシーンを自分らで何とかしなければ、という感情。 
きっと地方で活動していたらどこでも、そういう感覚あるだろう。
美術家が作品制作だけでなく、スペースを運営したり、学校を作ったり、プロジェクトを起こす。
また、ちょっとでも西洋美術史をかじり始めると、すぐにボイスの「社会彫刻」というマジックワードがその使命感に拍車をかけてきて、連続して「フルクサスが」「ソーホーがチェルシーが」などと数々の実例が用意されている。

そういう運動に敬意は払っており、時にはお手伝いなんかもしながら、
僕自身の活動はその感覚とは常に距離を置こうと意識してきたような気がする。
時には複数の方々から、やれ、やれ、と言われながらも、そ〜っとかわし続けてきた笑
向いてないから。

ちなみにワークショップブームにはやや疑念を持っている。
何かとイージーに教育目的としてアーティストにワークショップをやらせる傾向があるが、
これも向いてるアーティストはやればいいし、向いてないアーティストにまでワークショップを強要するのは反対である。

とにかく、僕はいかに作品の制作と思考に時間を割けるか、に絞って力を注いできた。
多彩さは持ち合わせていないので作品を良くしようとするだけで精一杯だしそこは簡単に負けない自負もある。他のことをしてる余裕もないし、やりたくないことはできる限りやらないのも作品の質のため。

まあ典型的な引きこもり系絵描きのわがままに過ぎないのかもしれないが、
札幌という地方仮説がそのわがまま感を勝手に助長しているのではないか。
だとしたらそれは美徳に思えぬ。
例えばベルリンで、NYで、「抽象絵画の問題」に集中している画家に対抗するには、
札幌が〜とも言ってられない。
ローカル性を取っ払う。抽象表現はまさに、時代も地域も取っ払う。いや、取っぱらいながら同時に潜ませる、という言い方が我が基本意図としてホントは正しいんだけど、この言い方がいつもややこしく伝わりづらいのがジレンマ。
仮に超ビッグになっちゃえば、それ自体でシーンは変えられるだろうし。。。

ベルリンに行って戻ってきて考え方は変わっても、作風自体は大きく変わらなかった。
都会という抽象的なまやかしの中で生きるのがリアルなのであれば、ユニクロで服を買うこともスタバでチャイラテ飲むことも拒否してないしグローバリズムをある程度肯定的に見ているということであって、フラットな場として札幌を選ぶ、ってのもそろそろアリかなあなんて思ってみたり。
そもそも地元が札幌でなかった僕にとって、札幌とはまさに匿名的で憧れの「大都会」の象徴であった。
住んでみてその魅力的なローカル性もまた後々自覚はできても、根の張れる意識までには至らない。
いろんな美術の生き方を尊重する、その代わりそれぞれの選択がそれぞれハイクオリティであること。
これがシーンに望むこと。
 

「札幌には美術批評が無い」とは定期的にどこからともなく聞こえて来る定型文だ。
久々にこの定型文が聞こえてきたので少し追ってみたら、得るものはなかった。 

そもそもだ、
もし「札幌には美術批評が無い」と言っているのが例えば美術家及び企画者や学芸員やギャラリストだとしたら、
おいおい何言ってんの!!てことを書いておきたい。
特に現代美術家の場合、作品には何かしらの批評要素が入っているはずであり、
企画展や企画ギャラリーは展示コンセプトや作家のセレクトがそのままある意味批評となる。
この辺が起点となって初めて批評は連鎖していくのだと思うんだけど。
批評家の不在を嘆く前に、まず自分らの主体性だろう。

そしてだ、
僕も札幌で美術家をやってます。
これでも学生の頃から今に至るまで、述べたように批評精神を持って活動してきたつもりなので、
批評が無いと言われるのはちょっと心外である。 
僕が学生の頃2000代前半は、オルタナティブスペースの動きが盛んで、若手がユニットを組んで現代美術らしい活動も盛んに見えた。ホワイトキューブから出ないとイカンとも言われた。
ゆえに絵画は相対的に相手にされづらいメディアであった。
そういううねりの中で絵画を続けて来たことも、団体公募展に出してた頃はいかに規定と保守性を破壊すべきかばかり考えた絵画作品を提出していたことも、このブログでもたまに、批評を含めてきたたつもりなんだけどなあ。

今現在僕は、札幌市内で個展をやる際、企画ギャラリーだったらギャラリー門馬さんだけと決めている。
自分との相性や、作家選定のセンスなど総合的に考えて、ドイツからの帰国後にお世話になっている。
これも(札幌においてのみ)批評の態度だと思ってます。
未だに、年に何度か市内の複数の企画ギャラリーで個展を開催する美術家が多いように思うのだけど、
それだとどのギャラリーも差異がなくなるし、作家のポリシーもよくわからんのよね。
 
ちなみにギャラリー門馬からは2冊のカタログも作って頂いてる。
必ず日英でテキストを付けており、自作の実物を見た上で評価していただいた方に無理やりお願いして、
このテキスト内容も美術批評として成立しているはず。
というわけなので、無くは、ない!!!

いや僕だけでなく、少なくとも周りの美術家数人は明確にそういう意識を持ってやっているはずだ。
みんなとても勉強家で、たびたび国内外どこにでも出かけて良質な展示を見て互いに意見交換してる。
お金も時間も無かろうが、やってるのだ。

 

4度目のアートフェア東京参加。

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去年に続きギャラリー門馬ブースでソロ展示をさせていただいた。
ギャラリストの大井さん一人でやっているギャラリーなので、
毎年展示と受付のお手伝いを作家も一緒になってやっている。
フェア独特のスピード感や鑑賞環境として良いとは思えない会場にずーっといるのは作家としてはなかなか複雑な面もあるけれど、こういうタイプのギャラリーはあんま無いので状況を楽しんでいる。
それに東京で展示できる貴重な機会なので、自ら展示構成をやってギャラリーでの個展と同じだと思ってやっているのだ。
それでも名乗らないと、未だにスタッフだと思われている場合が多い笑。
 
ブレビューの段階から例年よりお客さんがさらに増えており、連日ぎゅうぎゅう。
4年連続出展していると、ギャラリー門馬めがけて毎年見に来てくれる方も、買ってくれる方も随分増えた。 自動的に増えたわけではなく、ギャラリストの大井さんが個別の連絡や広報をしっかりやってくれているからだと受付をやりながら実感した。お客さんの反応からそれがわかるんだよなあ。
受ける質問も「どうやって作るのか」がほとんどだった状況から、どういうプロセスを経てこういう作風になったのかとか、意図とかも聞かれる回数が増えてきた気がする。
 
オープニングの挨拶で某庁長官や渦中の某政治家夫人がスピーチしてたなど色々内容がムムム的だったとの話もあるが(毎年のこと)、出展してる側からすればそれを聞きに行く余裕もなければ、そもそも内容など誰も期待してないだろうしお飾り文化程度にしか思わない。
むしろ聞こえてきた話として問題だと思ったのは、ロゴをデザイナーの許可なしに勝手に変更して使っていただとか、VIPチケットを事前購入した人があらかじめネットで情報登録したにも関わらず入り口でまた同じことを書かされてすぐに入場できなかったとか、運営側の話。
そういうのは出展する側としても非常に困るのでなんとかしてほしい。 

札幌から台北までは関空経由の便だったので、帰りに大阪に寄る。

ちょうど今年ホルベインスカラシップ奨学生にも選ばれたり特注品をお願いしてたり何かとご縁のある、ホルベイン工業の絵具工場見学目的だ。

観光ではまず行かないだろうエリアに赴くと見えてきた工場。これはテンション上がりますわ!
初めて見る専門の機械が並ぶ中で、担当の方から説明を受ける。
顔料とエマルジョンを精細に混ぜるローラー、 混ぜた絵具から気泡を除去するための真空機、耐光性をチェックするための箱、粘度を調べる機械、、、次々に繰り出される色の品質安定や発色へのオタク的アプローチの数々。質疑応答はつい延長戦、授業状態となる。

以前、ドイツで大きな作品を購入してくれたお客さんから、とにかく耐久性のことを何度も聞かれたことがあった。この絵画は10年保つか?パネルはどんな素材か?絵具はどこのメーカーのどの種類か?などなど。その時の回答として、同じ素材と同じアプローチで作った7年前の作品は劣化していないことを確認しているので最低でも7年は大丈夫とか、使ったメーカーの画材は口頭で説明したのち素材を写メして後でギャラリーに送ったりした。
そんな質問は初めてだったが、そりゃそうだ、100万円レベルの買い物だもの確認人できることはしておきたいよね。。。
それ以来、素材に対する自意識を強めに持つようにしていたので、今回の訪問は悲願であった。
直接画材研究しているメーカーとの関係性を持てる強みよ。ありがたい。
 
絵具製造過程の中には想像以上に手作業感も多く、僕の特注絵具を混ぜてくれている技術者さんからは「これはじゃじゃ馬って呼んでるんですよ(笑)」と。混ぜ方を間違えると、ある粒子が摩擦で熱を持ってしまって均等な粘度にならず塊が発生するんだって。最近ようやくそのさじ加減がわかってきたんだとか。ふへ〜、頭が下がります。。。
化学実験室のようでありながら、町工場的なアナログ感もあって、絵具に対する愛着が全く変わってくる。アクリル絵具はいかにも工業的でそこが気に入っているんだけれども、それでいて絵具そのものに人の気配を意識することができるようになったのは大きいなあ。 

同じ日の僕が来る前にも、外国の絵描きさんが工場見学に来てたらしく定期的な見学需要があるようだ。
北海道からはなかなか遠いけど、今は飛行機も安いし画学生有志で団体見学ツアーとかオススメしたい。 

先月にギャラリー門馬より参加したアートフェア東京。
今年で3回目の参加で今回はソロ展示。毎年続けて出品すると認知のされ方も変わってきたなという実感があった。めちゃくちゃ熱心なお客さんにも出会えたり、今月の個展への問い合わせなんかにも繋がったりしているようで、札幌からの攻めの姿勢モデルの一つになるのではないか。
 

ところでそのフェアの時にひとつだけムッときたのは、某ギャラリーツアー団体様がやってきて、ガイドさんが僕らのブースの前で説明を始めた時だった。
僕はギャラリースタッフのフリしてどんな解説しているのかをこっそり聞いていたところ、たまたま向かいのブース展示だった「具体」の展示と比較して、
「コッチ(僕側)の水玉作品はカラフルでキレイでわかりやすい、誰でも目に留まる。一方アッチ(具体側)の作品はパッと見ただけではわかりにくいけど、アッチこそが玄人向け」
といったようなことを仰られていた。
ゴラア!!誰よりもパッと見で判断してるのオメエだろ!!せめて近くで20秒以上見んかい!今から一緒にこれから一緒に殴りに行こうかYAHYAHYAHと思うに留めてガイド氏をそっと睨みつけておいた。そのガイドさんは某ギャラリストだと思うんだけど。
「具体」と比較されるのは構わないし、単純にキレイだな〜と思ってもらうのもいいことだ。しかしこのように、いかにも現代美術わかってますという方に「卑下的な意味でただの装飾」と判断されるのがとっても許せないわけで、ましてそれをお客さんに説明するなどとんでもないことだが、そんな話は100年くらい前にピカソとマチスが散々議論してるだろとも思いつつ、あまり僕自身でグチグチいっても仕方が無いのだ。だいたいどの美術家さんだって、自分の作品こそはただの装飾なんかじゃねえとか思っているので、井の中の蛙の可能性があるものだ。だから次の目標はちゃんとしたレビューや展評の掲載かな。

しぶとく長期戦のアプローチを続けるのみ。

板室温泉大黒屋さんのブログで、
個展に合わせてインタビューを公開して頂いております。
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2015/11/blog-post_29.html

ここ1年くらい、どうもネット上に自分の言葉を残すことに抵抗を感じていたので
当ブログでも更新頻度が下がり気味。
なのでこのインタビューにいろいろまとめてもらった。
文字起こししてもらった後の校正にもたいへん時間をかけてもらってありがたい。
ハンブルグの個展に合わせてヨーロッパ移動してる最中に電車酔いしながら原稿チェックしてました。
中身も長くなってしまった。最後まで読んでくれる方は果たしているんだろうか。
というわけでツッコミお待ちしております!!
 

ホルベインスカラシップに受かった!
http://www.holbein-works.co.jp/topics/547-20151125csr30.html

ホルベイン工業さんありがとうございます。
先日のメディウムの件といい、連続して助けていただけるなんて嬉しい話です。
学生時代から応募してたものの落ち続けてたなあ。
何回くらい出してきただろう、今回で4回目くらいかな?
いやまあようやく。。。粘り勝ちって感じだ。



今日から札幌のチカホで始まったPARC5に作品出してます。

 PARC5:Meeting Table ]
名称| Public Art Research Center 5[PARC5:Meeting Table]
日時| 2015年9月2日(水)〜 9月6日(日)
時間| 12:00〜18:00
会場| 札幌駅前通地下歩行空間|憩いの空間E、北3条交差点広場(西)
主催| 札幌駅前通まちづくり株式会社   
企画| PROJECTA

 
 写真 2015-09-02 19 53 45

11月の那須塩原での個展に出品予定の作品1点をまず札幌で先行展示。ご高覧いただけると幸いです。
作品展示は企画の一部で、会期中は色んなイベントがあります。
搬入の時に見た感じだと、図書館ブースの現代美術作家のカタログ類がとても充実していたので興味ある人や美大生には特にたまらん場になりそうだと思いました。
土日のフォーラムも豪華メンバー。札幌で2年連続して岡崎乾二郎さんの講演が聞けるとは!楽しみですね。
詳細はリンクをご確認ください。
http://www.sapporoekimae-management.jp/…/public-art-resear…/

 

ところで、自身はいつも割と淡々とした感覚で作品をこしらえており、無機質さとか不安さとか不気味さ、などの要素も画面内に同列させることをやってるつもりだけど、なんとなく最近お客さんの反応、癒し的とかキレイさとかそういう反応の方がより増えたように感じる。搬入してる時にも感じた。
もちろん装飾として機能する強みをまず前面に置いてるし、それは嬉しいことである。一方で、もしや浅ましさの可視化(主にデジタルを通した伝達による)を感じる話題が多いせい?の反動なんだろうか、とふと思ったりして。(あのデザイナーさん命絶たなければよいですな。あのデカい建築はなんとかうまいこと実現しなかったのかね、見てみたかったけどな。あのイベントの話題すると呪われそうだから止めよう) 兎に角、にんげんも絵画もいつだっておもしろい。
 

搬入を終えた華やかな会場からぐちゃぐちゃ状態のアトリエに戻ってくればまたげっそり。
11月に那須塩原に加えハンブルグでも個展やるため、大きな作品の締め切り及び輸送の問題にずっと追われてる。自作は重いし、表面は弱いし、コンパクトに分解もできないので、長距離輸送のしづらさを痛感。困ったな。
もし船便でドイツまで送るならば一ヶ月かかり、おそらくその航路はマラッカ海峡を通り、インド洋を通り、スエズ運河を抜けて地中海、北海って感じでいくのかね。結構信じられんな。輸送に耐えうる木箱はどうすりゃいいんだ。航空便とどっちがいいんだろう。今年一番のふんばりどころだな。

今年もアートフェア東京に参加してきた。
4日間ずっと会場にいるとぐったり。
いろいろ複雑、でも欲望の多様さは面白い。
作品よりもつい大勢の人を見てしまったり。
憧れるギャラリーさんのブースも並ぶ同会場で、
自分の作品を見せれるのはありがたいことだ。
しかも今回は大きな作品を持っていった。
ギャラリー門馬の大井さんが、売れるかどうかは別にしても、
大きい作品を見せてインパクト与えたい!
と言ってくれてたのだ。
結果、3日目には昨年とはまた別の中国のコレクターさんにその大きいやつを持ってもらえることになった。
大井さんに判断力に感謝!!
合わせてギリギリでカタログ発行を間に合わせたので、たくさんの方に購入していただけて良かった。
札幌から東京にジワジワ攻めてます。


3331アートフェアは、やんちゃな作品に押され気味な気分だった。
中型絵画を1点だけってのは渋かったかな。。。
会期中のイベントにも参加できなかったし、なんとなく自分はよそ者感を拭いきれないまま。
それでもオープニングの後に何人かの作家さんと打ち上げし、知り合いになれたのは収穫だ。
会期中ショップに置いてもらっていたカタログ、こちらでも若干ながら売れたらしい。
これは嬉しいなあ!一体どんな人が買ってくれたんだろう。 

都現美、企画3つも常設展も充実展示でとても良い。

OROZCO様について少し。
状況の発見と、それをすくいあげる能力のすばらしさ。
数点絵画作品が展示されていた。
幾何学、しかも円形の重なりということでまあ毎度参ってしまう。
しかし、やっぱり塗り自体にそこまで愛着は無さそうなのが僕にとっては少しの救いでもある。
on canvasで下地もちゃんと作っているけど、画家な絵画ではない。
その距離感がいいとも言える。

スポーツ選手の新聞写真に幾何学を加える作品なんかを見ていると、
おそらく写真からまず縦横の線の位置を決めていくことが推測され、
その線の位置のセンスが、そこに引けるんだな〜と感心。
今更、造形センスに着目するのも野暮だろうか。美学的なセンスもとても重要に思えるけど。

オロスコ展開催中のせいで、ベルリン時代にアップしたオロスコ鑑賞時の閲覧数が若干上がってて
恥ずい。あの時も造形センスで強引に作品に強度を与えていたことを思い出す。

昨年の9月にGALLERY門馬で行った個展をベースにしたカタログがついに完成!
ギャラリーで販売しておりますので、ぜひお問い合わせくださいませ。
http://www.g-monma.com

また3331アートフェア期間中は3331のショップでも取り扱っていただいております。
http://www.3331.jp

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Yuki Yamamoto Paintings
¥1,000(税込)
発行: GALLERY門馬&ANNEX
助成: 公益財団法人 現代芸術振興財団
サイズ: A4
頁数: 40頁
表記: 日本語、英語
テキスト: 
降旗千賀子『目の中の至福ー豊潤な層と色の絵画』
伊藤隆介『山本雄基作品は絵画ではない?<二重のノスタルジー>』

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以下、長々と経緯を振り返り

去年の初夏くらいからぼちぼち動きだしていたカタログ計画。
個展の話が決まった直後に現代芸術振興財団さんの助成を頂く機会を得たので、
こりゃあカタログにして記録残したいです!とギャラリー門馬さんに打診、承諾を得る。
始めは展示中に発行するつもりで意気込んでいたのが、
けっきょく展示が終わってから発行に至るまで半年も経ってしまった。 
その分、内容はとても充実させることができた。
 

会期中に会場写真も含め作品全部プロの撮影をお願いした。
カメラマンの我妻くんは大学の後輩で、
先輩権威をここぞとばかりにふりかざし透明層の質感が出るまで何度も撮ってもらう。
もっと!もっとディープに!!と、撮影のうしろでウザい煽りを続けながら撮影は深夜まで続いた。
やっぱ、自分で撮るのとはワケが違います。

自分の言葉では取りこぼしているような客観的なテキストも絶対必要で、
あれやこれや計画してるうち、
• 北海道外の方に新しい視点で書いてもらう(道内に籠りがちな傾向対策も込めて)
• 昔からの作品展開を深く知っている方にも書いてもらう
という方向で固まり、当初1本の予定から2本に増えた。


道外の方、といっても自作をたくさん見ている方はほとんどいない。
どうしようか考えた結果、
昨年のアートフェア東京で作品を初めて見ていただき、
何か展示があったらお知らせくださいと名刺を渡してくれた目黒区美術館の降旗さんにお願いすることになった。ひとつのキッカケからの強引依頼、降旗さんもまさかの展開だったと思います。
実物をしっかり見なければ書けない、と超多忙な中わざわざ札幌まで作品を見にきていただいた。

もう一人は、前々からいつか自作について書いて欲しいなあとと考えていた伊藤先生だ。
個展のトーク相手にもなっていただいた上テキストまで依頼、
しかも映像作家の方に絵画論を書かせてしまうという展開、
さらに先生の怒濤の連続展示の時期と丸かぶりで申し訳ないと思いつつ…
元生徒というポジションの乱用である。
 

そうなると今度は英語の翻訳量も倍になっちゃって、
全ページのチェックも必要で超無茶な締め切り設定。
これをお願いできるのはアトリエご近所でS-AIRの匡子さんしかいないと泣きの依頼をし、
これまた超多忙ななか見事にクリアしていただいた。

デザイナーの中川君は高校大学の同期でもあるので気も遣わずに要望ガンガン出せて、
長い期間最後の最後まで粘って頂き、
文字校正も自分よりちゃんと見てくれちゃったりして助かる。
校正って永遠に終わんないんじゃないかってくらい、
まあ次から次へとミスが見つかるもんですね。 

ああ振り返ったら外道な依頼だらけ!
関わって頂いた皆様には多大なご迷惑をおかけしましたがひたすら感謝感謝であります。

いやあ、本作りおもしろいなあ。
編集の大変さを少し体感できた。
いや、編集といっても上記の皆さんにめちゃくちゃがんばってもらえたのであって
僕は真ん中でワーワーとバタバタしてただけな気もするが。。。
そんな外道依頼の結晶なので、ぜひみなさん手に取ってみてください。
予算もオーバーしてGALLERY門馬さんにもモチロンご迷惑おかけしてますので、
お気に入りいただけたらぜひご購入ください!!

今回で大まかな段取りは覚えたはずなので、
今後また時間をかけて2冊目、3冊目と、より濃いカタログを残していきたいっす。 

今年もよろしくお願いします。
2014年分の作品をウェブサイトにアップしました。
ぜひご覧下さい!
 http://www.geocities.jp/yamamotopaintings/ 


2014で起きたことをさらに膨らませるためのあれこれを考えつつ。
昨年11月個展の図録作り中、3月4月アートフェア、11月個展2発の予定で動いております。

写真 2015-01-22 18 56 36


 

いよいよ札幌国際芸術祭2014が明日から。

といっても実際アトリエに引きこもりすぎていて
一週間前までその実感がまったくなかったんだけど、
数日前にチカホを歩いたらデカい広告が並んでいたり、
インフォメーションセンターを作っていたり、
展示会場がそのままPRになっている。
おお始まるんだなという気持ちになって来た。

加えて、事前準備として近所の書店で平積みされてた
switch別冊札幌国際芸術祭公式ガイドブックを購入しといた。
これ出来が良い!インタビューやオススメスポットなど読み物として普通に面白いし、
デザイナーの長嶋さんのカッコ良さが雑誌のフォーマットに凄くフィットしている感じがした。 
読んでるうちになんだか妙にワクワクしてくるので、興味ある人はマストバイでしょう。 

連携事業の、Actinium〜核を巡る文化〜展の会場設営のお手伝いをしたり、
一瞬だけ本展会場の赤れんがのお手伝いしたり。
ん〜もっと手伝って裏方の現場感を見たい気持ちもあったのだが、
自分の制作が追いつかないのでやっぱり引きこもりを重視する。 

そして本日内覧会。
去年関連イベントに参加したからか、内覧会のインビテーションを授かったので
さっそく回ってみる。
チカホ→北3条広場→赤れんが→500m美術館→近代美術館→資料館。 
自分の街なのに芸術祭目的で回ってるとちょっとした旅人気分になって不思議な感じ。
近美の展示が渋すぎてビックリ。逆にそれが好感触かも。 

これまでの流れの実感や、関わってる知り合いもごっそりいるのでぜんぜん客観視できなそうだけど、
細かい感想は全会場回ってから整理したい(できるのだろーか?)

レセプションも参加する。いやー結構名を聞く関係者も来てるんだなあ。
不思議な気分だ。祭太郎さんが矢面に立ってパフォーマンスしてたのカッコよい。

その後さらにカフェ和三盆で渡辺真也さんのレクチャーを聴く。
ユーラシアを1つとして考える壮大な研究とフィールドワーク、
各地域の文化の源の連結の考察が凄まじい。どんどん境界線が融解していく感じだった。
制作中の映画の一部も見せてもらえて濃密。

核を巡る文化展のレセプションでOYOYOにも顔を出す。
こちらも空間構成が良く、映像が多いけど見ごたえがある。

さすが、かつて無く現代アートシーンが盛り上がってる感ビシビシ。
これは良いぞ。

その後芸術祭の打ち上げ4次会まで。
久々にいろんな人と飲んだ。 

北京から帰って来てから、ほとんどアトリエに引きこもっている。
9月と10月に立て続けに個展があるので急ピッチで制作しなきゃならん。
今月から札幌国際芸術祭2014も始まりワタワタしそうなので今のうちに少しでも前倒しせねば。
けっこうな作品数が必要で、同時制作しているともうアトリエがキャパオーバー。
そこでアトリエの壁面積を増やしてレイアウトを変更した。
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 うん、3日間で作った割にはまあまあか。
壁がパカッと開くように蝶番をつけて、裏を収納スペースに!
リサイクルショップで無骨な棚も買って来て、スペース確保!
アトリエばっかにいるので、本棚も増やして良い本は家からこっちに移動、
読みたい本も追加購入!

ここに入居して早1年。ずっと仮っぽい佇まいだったが
これでなんとなく、画家のアトリエっぽくなってきた気がする。
それでもやっぱ狭いなあ。

巨匠達のアトリエ風景をyoutubeで見てたらデカ過ぎカッコいい途方に暮れる。

テリーウィンタースのアトリエ


ゲイリーヒュームのアトリエ




 

※展示終了までこの記事をトップに置いておきます。

山本雄基 作品展

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板室温泉 大黒屋
2014.4/1(火)~4.29(火)
18日(金)20時〜 アートを語る会 

http://www.itamuro-daikokuya.com/

大黒屋さんで2年ぶり2回目の個展となります。
多数の新作含む、全23点。帰国後1年分まるごと展示になっております。


皆様ぜひお越し下さいませ!

上野で栄西と建仁寺展を見てから、
鈍行で那須塩原へ。3時間の電車の旅。

宗達の風神雷神図、初めて見た。ん〜カッコ良い。
海北友松たっぷり、長沢芦雪の線描のセンス、白隠エキセントリックを堪能し、
本館の常設も一回り。

しかし、前々から感じていた事だが
この日本美術に対する、びみょーな非・身近さよ。
自分の趣味嗜好もあるだろうが
何より北海道で生まれ育ったからだと思うんだけど。
有名な襖絵や壁画があるような寺院や寺は北海道に無い。
本格的に京都の寺院巡りをしたのは大学生になってからだ。

西洋美術、というか「油絵」の方がむしろ身近なものだ。
僕が生まれた家には、親が結婚祝いでもらったらしい変な風景画の油絵が
飾ってあったし、
母は典型的な印象派ファンおばさんで本物見た事ないけどモネモネ言ってたし。

中学高校時代は「上手い絵」に憧れ本物のように描ける油絵の方に憧れた。

なので、ヨーロッパの教会に宗教画を見に行くのと、
京都などの寺院に襖絵を見に行くのは、
気持ち的にどっちが身近なんだか困惑する。 

ところが本場欧米に行ったら行ったで、
圧倒的な西洋美術の歴史の重みを実体験として喰らうので
感覚的に身近に感じていた西洋美術もまた、
遠ざかるというか叶わねえやっていう場違い感を思った。

というわけで海外にでた多くの人が感じるように
帰国後は自分は何者か、日本とは北海道とは、
その中での立ち位置とは、なんて事をうんうん考え始めて今も考え続けてて
もうすぐ1年だなあ。 

…と、那須塩原到着からの板室へ。 

その1年のあいだに作ったほぼ全作品が一堂に集結した。
VOCA展の大作も、美術館にお願いして搬出直後にこっちに送ってもらって
大黒屋さんスタッフの皆さんの力を借りて、展示がまとまる。

う〜ん、この瞬間ようやく大きな一段落!!って感じの肩の荷の降り方。
しかも温泉付き!!この束の間の達成感を大事にしながら、
並んだ自作かと先述した1年の考えとを比べて
何が滲んできたかを改めて解析していこう。
 

 

上野へ。
公園改札から出ようとするともの凄い人人人、人で溢れている。
何か有名人のイベントでもあるんですかと駅員さんに聞いてみると、
「天気がいいのでみなさん公園に行くんですよ」と言われた。
天気がいいとこんなに公園に押しかけるのが東京なのか…
とイマイチ納得しないまま公園にでてみたら、こういうことだったのね!
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いつの間にか桜が満開かあああ!これが日本の桜か!!
北海道にはこんな量のソメイヨシノは咲かん。
去年栃木で咲いていた桜にも感激したが、この量は初めてだ。すげえ〜。

人の量もすげえ〜。
誰も彼も写真を撮りまくり。一眼、コンデジ、iPadにiPhone、3DS…
人類はすっかり画像記録サイボーグと化した…と自分でも撮りながらぼんやり。
 
暖かいし気持ちが良い、が、ぼんやりしている場合ではない。

上野の森美術館へ。
10月に個展予定の伊勢丹新宿店さんの企画で、
VOCA展会場ツアーを開催、その中で自作のトークをさせていただくことに。
トーク相手が、
アートテラー・とに〜さん。

初めて話を聞いた時は、
とに〜さん?アートテラー? いったい何者…怪しい…
と思って検索してみたらすぐに公式サイトが出てきた。
http://homepage3.nifty.com/art-teller/

…著名美術館で公式的にトークイベントをやっていて、元芸人!?
異質な経歴に、ほぼ同世代。気になる。 
 
個展を企画してくれた西喜さん、伊勢丹のみなさん、
上野の森の学芸員のみなさん、そしてとに〜さんと集合する。 
好青年さんだ、ドラゴンボール世代的な話をすぐに!
打ち合わせの中でも、各美術館でのお仕事をしているので
業界事情にも詳しいのを感じるし、知識の豊富さも。
でも、自分の役割はわからない人に伝えるために
専門知識は勉強しすぎないようにしているとのこと。

饒舌にわかりやすく、キャッチーにというのは
俺らは苦手っつーか、人によっては目的としないところもあるので
このような立ち位置の方がいるのは面白いな〜。 
しかも芸人経験から、トーク運びが当然ながら上手い。

参加したお客さんとコミュニケーションしつつ
自作の前でクロストークをしたのだが、
引き出され方と、話に入るタイミングが自然…こっちが話しやすい。
これはちょっと勉強になると思って、トークの極意をいろいろ聞く(秘密)。
う〜ん、教師時代にこれ聞いておきたかったわ…。 

横浜美術館でもお仕事されているので、天野さんの話題が。
若手美術関係者の中では、天野太郎被害者の会なるものがあるらしく(笑)
とに〜さんもその一員らしい。さすがだ。。。
しかもとに〜さんがこの仕事する後押ししたのも天野さんなんだって。 

イベントは上野の森美術館の創立話やVOCAちょっとウラ話など
色々盛り上がり終了。皆さんに感謝です!


再び東京へ出てくる。VOCA関係と個展搬入のため。せわしい。
LCCありがたい…今回はバニラエアを使ったけど片道5500円!
宿は今回は2000円のエースインが満室だったのでまた新開拓、
3500円で神田のカプセルホテルを発見。初カプセルだ。
3000円台まで来るとちょっと高いが清潔でややSF感、共同のお風呂もあって快適なので
コスパは十分高いかと。

用事の前に鑑賞寄り道する。
昨日は原美術館でボレマンス。
そもそもそんなに好みじゃないのですが
小さくて品のある作品群が原美の雰囲気によく似合う。
筆の置き時が潔く、画布をゆるく貼って薄塗り仕上げっていうベルギーペインティング感満載。
ボレマンス絵画は木枠のエッジも丸みを帯びてるので、
ちっちゃい絵そのものが、よりポテっとしたイメージだ。 
20年前くらいからずっとこの作風なんだなー。 
ジオラマこしらえてるモチーフの作品にグッと来た。

常設の奈良さんのドローイングルームにもグッと来た。
久々に見たが数年前に見た時より感性に効いてくる。
年取ったらもっと効きそう。

Facebookで高校卒業以来会っていない友人が、
VOCAを見てくれたとメッセージ。彼は卒業後役者の道に進んだ。
なんてタイミングだと思って突然会う約束をして
夜新宿で14年振りに再会!うおー久しぶりなのに話がスムーズなのは
お互いちょっと変な道に進んだからだな!感激。
Facebookもこういう風に役に立つことあんのね。
険しいお互いの人生を振り返る、、、
しかし聞く限り美術より演劇の方がもっとハードなような。


今日は新美で中村一美展。
透過する光ー中村一美著作選集は既読済みだったが
肝心の実物を見る機会に恵まれなかったので今回初だ。
序盤から200cm超えの巨大絵画に迎えられ、でけえ!ていうのが何より先にくる。
次の部屋に行くと、また、でけえ!!次の部屋も次の部屋も、でけえええ!!
150点くらいの8割以上250cm超えのサイズ…そこにまず圧倒された。
80年代からずっとこのサイズの制作キープって、
学校で教えてても、色々覚悟しなきゃ続かんはずだ。

80年代は不透明な油彩厚塗りでちょっと古い感じが、
90年代以降はアクリル絵具が主流で、単純に絵具の物質感もだけど
画面全体の透明性が増してくる。
その上でタッチの掠れなどがうまくいってない場合は、途端にバタ臭く見えたりもしていたが、
現在に至るまで少しずつ作風を変えながら、
でも作風に関係なく短スパンでバタ臭さの波と何かが降臨してくる凄みの波が
来ていた。

00年以降は特にだけど、仏教思想の反映が強く見える。泥臭い崇高って感じ。
縦構図が多いのもその点で納得。
全体的に筆跡が大胆なので表現主義的かと思いきや、
初期から明確にイメージソースがあって同構図のバリエーション展開も多く、
並べてみるとその分析の感覚がよく分かる。
後半ウォールドローイングの部屋なんかの鳥のイメージなどを元に絵作りしているシリーズは
基本構図はほとんど同じ。
鳥のイメージだけを注視してるとなんだか野暮ったい図像だなあと思えなくもないんだけど、
絵によって不思議とその巨大画面と絵具の痕跡に精神性が宿ってくるように見えるわけで、
一貫してそれを抽出しようと踏ん張ってる印象。

見た直後はそのサイズに興奮しすぎたが時間が経つとやや冷静に。
図録買ったけど、縮小率がすごいので全然あの感じが伝わらない。
しかし良いのか悪いのか拭い切れないローカル感は一体何なのだろう。
岡崎さんのペインティングなんかはその辺りがもっとさっぱりしてるのだけど。
海外からの評価ってどんくらいなんだろう。
もの派、具体と続く、
海外からの評価ラッシュを連続させる大作戦的な回顧展なのだろうか。
…後から湧いてくる疑問は置いといても
なんにせよ、真摯な姿勢に大きく心打たれたのは間違いない。

その後同会場の「イメージの力」展も連続鑑賞。
大坂の民博には大学2年の頃初めていってかなり驚いたが、
今回の展示もそのコレクションの力を実感。
しかし中村展のボリュームの後にこのボリュームはさすがにしんどい。
別々に行く事をオススメしたい。

この日はまたFacebookで今度は僧やってる友達から連絡、会う。
ボヤボヤしたまま悟りを開いたような彼だが、人生うまくいってるようで良かった。
彼もVOCA行ってくれたようで感想会。みんな優しいなあ!ありがとう。

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