やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

カテゴリ: 制作

小さい作品の1つ、やっと最終層をクリアした。あとは平ら&スプレーだ。(未だ黄色い作品のスプレー加工は保留のまま)

薄い紫の作品。自分的には割と使うのが難しいと感じてる色だけど、弱点克服も含めてなんとか形になったぞ。なぜかわからんが、いつもより少ーし有機的に仕上がったような。


今月のブルーナ特集の美術手帖の後ろのほうにちっちゃーく自分の作品が載ってたー 某友人がこのことを教えてくれたのだけど、こんな小さな記事のところまで熟読してるのか。

 黄色の絵の側面処理も終わり、表面の最後のヤスリがけ。一番丹念にヤスリをかけるので、粉の量がハンパじゃない。ヤスリの目の段階は、今は3段階。120番 150番 320番。

 320番までいくと、マットな平らにしあがり、それまでの雰囲気とは違ったオモムキがでてくるのだ。光の反射の仕方と光の入り方が一気に安定するので、絵の見え方の純度が上がる気がする。この320番の表面バージョンは、僕だけが堪能できる完成まで9割5分地点の裏バージョン。

このあと、最後にツヤありのニススプレーで仕上げるのだけど、それがまた辛くて…家が毒ガス充満になるので、本日は保留。

 同時制作中の小さな絵達も、ようやく形になってきて、あと3〜4層で、見えてくる予感。よしよし狭いアトリエの空気が充実してきた。


 夕方過ぎに街へ出向いて、訳ありで居酒屋リサーチ。のれん横丁 エムズスペース こんなおもしろそうな店があるとは。

 その足で、CAI02で開催中の、大黒 淳一 音の彫刻展をみる。こりゃあ面白かった!けっこう長い時間ふらりふらり展示空間をさまよいながら、耳と目をを傾けて鑑賞してた。謎のスピーカーからでるレーザーのような音の感じ方は新鮮だったな、なんなんだあれは。

 さらに、大学院生の飲み会に乱入、またしても山本先生と伊藤先生とお話。最近会いすぎてる。変な後輩達もいつもおもしろいね。

 ラストはなぜか山本先生の息子さんと初めて熱燗を飲みながらトーク、山本先生を家族の立場から見たストレートの意見がすごくおもしろかった。先生は深夜2時でも早朝5時でも構わず家の中で電動ヤスリの轟音を鳴らすとか。それはさすがに嫌だろうなあ。
 

鈍い黄色の絵の描写が終わり、あとは最後の透明を平らにして、ニススプレーでコーティングすれば完成だー。しかしこれがまたなにより大変で、気が重いのだが…。

いや実はしかしその前にやることがもう1つ。側面の処理…。これまた地味に面倒だ。今の作品たちの側面は、描写の邪魔にならんように、白に1層だけコーティングして平らに仕上げている。
描写による厚みが3〜5mmくらいになっていて、むき出しでその厚みを見れるようにしている。

描写中は、透明層を筆で厚塗りした後にヤスリとペインティングナイフで平らにしていくので、絵のエッジがガタガタになっていく。このガタガタをわざと残していた時期もあったけど、厚みをわかりやすく見せたいので、ガタガタを無くしてエッジをスッキリさせる必要がある。カッターで大まかにエッジを切り落として、あとは表面加工と同じように透明層とヤスリだ。面が細長いので、非常にやりづらい。

こういう処理を側面にもするので、鑑賞者は作品の土台が木製パネルだとはなかなか気付かないはずだ。そして描写の厚みがアクリル板だと思われることがあるのもエッジをスパっとさせているからだと思う。


側面のベストが今の形式で良いのかはまだわかりかねるところだ。白じゃなくてもいいかもしれないし、キャンバス地もいいかもしれない。絵具のはみ出しを許容するか、しないか。支持体の厚みもどの辺りがいいか。エッジはハードかソフトか。
むしろ額に収めてみたほうが良かったり。
もうこの辺りはフェチでいいのかも…?

いずれにしろ、描写の邪魔にならないように、かつ絵画としての存在感を意識できるような側面である必要がある。

描写が終わってから完成までが結構長くて、その作業行程がすべてめんどくさいのがとってももどかしい!

最初の木枠&下地作りと合わせて、一番やりたくない作業です。
やりたくなくても、やらないと見栄えがショボくなるので、ものぐさ自分のための心の試練だと言い聞かせながらやるのです。ああ、イヤだ!

絵に透明なコーティングをする手法は元々ポルケの影響だったり大学の先輩の影響だったりするわけで、札幌内で見ても透明コーティング絵画を制作する人達は何人か思い当たる。

透明なヤツラとひとくくりにされないように、なんとかオリジナルな感じをモノにしようと頭を悩ませたこともあったなあ。
一層毎に透明層で包む方法は、さすがにめんどくさいから自分流だろうと思いたいけど、せかいはとても広いから全くそんなことはないだろう。

今は手法として必要だから使っているという感じだ。

透明層が必要な理由は、まず、丸を重ねる際に気持ちがラクになるから。
前の層までが、透明層を挟むことで常に新しい下地になる。
透明層毎にヤスリで平らにするから、筆や絵具の乗りも前の描写に影響されず、スルッと絵の具を乗せることができる。これはとても重要な要素だ。

次に、絵具が宙に浮いたようになるから。
透明層を挟むので、絵の中に光が入ってきて、絵具の影ができる。これはやってる自分としてはなかなかおもしろくて、見せかけの浮遊感を強調できるのがよい。
絵具の重なりに、実際の奥行きが生まれるので、イリュージョンとはまた違った、ミリ単位のリアリティ空間を感じることができる。


絵具は光の反射をコントロールできる不思議なモノだけど、その絵具を透明層で封じてしまう上に、透明層は平らにしてるので、絵具の直接色を跳ね返す感じに違和感を与えることもできる。だから絵がドライにクールぶってる印象を作りだせる。


僕の使ってる透明層は、重ねるとどんどんモヤがかかるのがイイところ。ただその特性のせいで、できないこともあるけれど…。

それと透明層を塗る際に、塗り方や透明絵具の固さに気をつけなければ、気泡がやたら入るのに注意。時に気泡を活かせる場合もあるが、汚く見えちゃイカン。ここが難しいのです。気泡と仲良くする方法はどこにある。

僕が今の絵のシリーズでやっている作業は、面倒くさいが単純だ。

とにかく、丸を描く。色のある丸と色のない丸をランダムに描く。あいだに透明層を挟む。
それだけといえば、それだけ。あとは重ね方を大いに遊ぶ。

やってておもしろいのは、一層重ねる度に、絵の雰囲気や空間が予測不可能にガラリと変わること。

7層目あたりから、重なり方が複雑になっていくので、自分の目でも今まで描いてきた丸を追えなくなってくる。意思をはみ出しちゃって勝手に複雑になっちゃった感じが、心地よいというかワクワクするというか。

色のある丸は、自分の色を各自主張する。下の層にある色の丸は、曇った色になる。強い色も弱い色も、面積の大きい色も小さい色も、等価に画面を作る一要素。
色のある丸は、色のない丸にくり貫かれることがある。

色のない丸は、空間をくり貫くことで存在感を主張する。
強い丸と弱い丸がいて、強い丸は、何層にも渡ってくり貫き力を持続させるし、弱い丸は一層くり貫いたら上の層に被せられていく。
色のない丸をわかりやすく見えるようにするために、色のフィルターをかけたりもする。フィルターを不透明にすると、図と地が反転した形がハッキリと画面の要素に加わる。半透明にすると、もやがかかったように前の層の影響を残しつつ、色のない丸を可視化させる。

出来上がった絵を簡単に言うと、アリジゴク的水玉模様だ。

水玉模様ってだれが発明したのか、いたる所で見かける。おかげで、一見僕の絵は水玉模様として認知されてトッツキやすさをかもし出す。そこから、1つ1つの丸を追うと、画面の揺らぎに迷い混んでいく…はず?

迷い混みの感覚は、例えばなんか無駄なことをいろいろ考えてて、それが頭の中でスケールがでかくなりすぎて、収拾つかなくなって、愕然としたあと、さあ明日も頑張ろう、と我にかえるアノ感じに似せたいと思っている。

だからできるだけ、鑑賞者には長時間絵と向き合って、丸を追ってほしいなー。
どんな絵でも、一枚を鑑賞するのはなかなか時間がかかる。

丸を重ねる研究にワクワクさせられてるうちはまだまだこのシリーズ続きそうだ。試したい重ねアイデアが貯まって、制作スピードが全然追い付いてない。

おぉ、すっかり我が家の前の道も久々にアスファルトな肌を見せているぞ、暖かーい!いい気分。いい気分すぎて奥芝商店までスープカレーを食べにいった。

春を思わせる2月下旬。
しかしこれはきっとフェイントで、あと一回は寒い時期と大雪の時期があるはずだ。

こんなに早く春が来ても困るのだ。春は虫たちのテンションも上がるから。

スキマだらけの築45年木造アトリエ兼生活スペースの我が借家。敵はアリ、ワラジムシ、カツオブシムシ、ゲジゲジ、カマドウマ。そしてそいつらをかくまう雑草。考えただけで頭が痛い。ファーブル一族にはなれぬ。頼むから3月終わりまでは眠っていてほしい。

敵のことは忘れることにして、気持ちが良いと制作もはかどる。

ようやく、30号大のにぶめな黄色い作品の完成が見えてきた。
なんと一年以上もダラダラと進めてきた難産な一枚。普段は大きな絵でも2ヵ月くらいで終わらせるので、この展開はめずらしい。

ちょっと描いては止めて、しばらく経ってまたちょっと描いては止め…。慣れない色を投入してみたりで、気持ちがうまくノってこなかったのか。

しかもアクリル絵具の黄色は全体的に透明度が高めなので、ベタっとムラなく丸を塗るのはなかなか面倒なのだ。

今何層目なのかもよくわからなくなってしまった。9層目くらいかなあ… とにかくあと1、2層で形になりそうだ。凡作な予感がするも、変な愛着はあるな。

いろんな黄色と白と黒を混ぜ混ぜして、
おぉこの色はなんかとてもイイ感じのするニブイ黄色だ!
と画面に置いてみたら、グッとシマリが出た気がする。

塗り終わって改めてその色を眺めていたら、なんかこの色は馴染みがある感じが…。

答えはすぐにわかった、昨日着てたお気に入りの黄色いTシャツの色とよく似た色だ!
なんか安直すぎてガクッときた。
無意識で色チャートとして頭ん中に刷り込まれてんのかな、
こういう気付きは度々あるなぁ。

休日。さくっと札幌駅近辺に出向き、紀伊國屋ギャラリーで3年生の3人展を見る。精力的な森本さん、今度は落花生かー、場所により表現方法を多様に変えてくるハイブリッドさ(?)は、基本絵画しか作れない自分からすれば、コンセプトありき現代美術らしさをきちんと技にできてるのが羨ましいな。

本屋で油断するとあっというまに時間を奪われる。ついこのあいだ長時間ウロウロしたばかりなので、今日はサラリと見て終わり。いつの間にか駅にできてた無印良品でジーパンを買おうか迷いつつ、結局帰る。久々に何もない休日は長時間絵を描くのだ。

最近はずっと小さめの絵を5点同時制作中。なかなか終わりが見えない。玄関で電動ヤスリをブィーン!昼間からナウシカのようなマスクをかけてボロ家の玄関で騒音をたててる謎の男。

電動ヤスリは削り粉がでるから外でやんなきゃヤバい。音のせいで日中しかかけれない。この制約はなかなか困ったもんです。なんでこんな作風を選択してしまったのだろう。

そして電動ヤスリ使い始めの昔々はマスクすらロクにしてなかったので、肺がヤバいと思う。なんかたまに痛いし…じん肺が怖い!なんでこんな作風を…。
音が小さくて粉を吸い込む電動ヤスリと、粉を完全に防ぐマスクが欲しい。誰かオススメを教えてください…

透明の層を厚塗りしたら丸1日乾かないのも困った制約。だから時間差を作りながら何枚か同時に作るのです。


昨日、とある後輩に ブログ読んでますと言われて、

こんなの自分以外誰も読んでねぇんじゃないかと思ってたけど、
自分の為に書いてるから人に読まれるも読まれないも関係ないと思いたいけど、

やっぱり読んでくれた方が楽しいなーと思いつつ、

あんま文ばかり書いて絵を描く時間を減らしても意味がないので、

サクッと続けようかなといったところです。

そのとある後輩は、写真や絵画やドローイングをやり、今や立派な社会人でもある女の子、なので読んでる前提で素朴なギモンを書いてみる。

色がキレイ という要素は作品を仕上げる上で 結構かなり大事です。僕の数多くの失敗作はだいたい色が汚い。

で、色がキタねえなあ〜と思う絵っていっぱいあるが、写真って、色がキタねえなあって感じることが少なくないですか?なぜ?

だいたい適当にそのヘンの風景撮っても、キレイに映るかはわからないが汚くは映らないでしょう。
このギモンに鮮やかな解答がでれば、絵にその解答を生かして少しは失敗作を減らせるはずだと考えるのですが安直すぎか。

原色が滅多に映らないとか、マチエールがないからとか、色数がハンパなく多いからとか、無数のグラデーションが映るからとか?パッと思い付くのはそんなとこ…

てことは、原色を滅多に使わないで、マチエールをなくして、色数をハンパなく使って、無数のグラデーションを使えばとりあえずキレイな絵は出来るのか?んなこたなさそう!

光という強烈なルールがあるから、汚くならないのか?

それとも絵と写真の色の話を一緒に考えるのがマズイのか?

今のシリーズは、割とどんな色を取り入れても成立する絵なので、漠然とこういったこともよく考えてます。

絵は基本的に壁に飾るもんだし、装飾的な要素は、あって損はない。もちろんそれだけだったらマズイけど!

装飾的=色がキレイ
というわけでもないですが、
いつも頭を悩ませる要因のひとつです。
今も、『なぜオレはこんなに色が汚いんだぁ早くなんとかしろー』と訴えてくる制作中の絵が一枚…あんまりうるさいようなら、しばらく裏返しておこうと思います。

 作品ファイルを更新しなければならない用事ができたので久々にめくってみたら、ツメが甘い!!
ここ1年くらいはホームページ作りの方に気持ちが向いていたので、ファイル作りを疎かにしていたことを反省しつつ作り直そうとするも、うわあたまってた画像処理がとっても面倒だ。ホムペ用にもファイル用にも画像編集しなきゃならんのだな。見せる工夫も一苦労、これがパッケージングというものなのですか。
そしてそして我が家のオバカプリンタちゃんがろくな仕事をしない。。。だめだ。
ということで明日急遽プリンタを買う事にした。エプソンかなー 金が無いです。

ホムペがあれば、例えば話題のipadなんかをカバンに忍ばせておいて、いざって時にヒョイっとブラウズィングして見せれちゃうなんてスタイリッシュな想像もできますが、作品ファイルってやっぱ「モノ」なんで肝心だなあ…モノを作るにはとにかくなんやかんや金と手間が必要だ!ああタイヘン!

 大学2年の終わりくらいだったか、作品数が40くらいになったときに先輩のマネをして初めて作品ファイルを作ってみたら自分の悶々としてる部分なんかがちょっと分かってきたり、厚みが足りないってことに気付いたり、感激した。そして展覧会のオープニングパーティー等に苦手ながら出向いて名刺代わりにファイルを見せて歩いてた。作品制作を通して人と交流できるきっかけになった気がします。思い返すとヘボイ作品ばっかなのによく見せびらかせてたなと恥ずかしいですが、若かったんだから問題無しです。
 作品ファイルちゃん、更新を疎かにしててすいませんでした。あの頃の気持ちを忘れちゃイカンですな。newエプソン機でバッチリよ!

ホームページの原型ができました。
http://www.geocities.jp/yamamotopaintings/

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