前回に続いて全体の感想を。
今展の作品画像はすべて、
カメラマンの川村魚実さんが担当してくださっており、
以下今回の記事の画像も川村さんの撮影です。
まず、札幌の自主企画展としては、
質の高い作品群で、
見応えのある展覧会になったのではないかと思っています。
でもその上で、
同時に何か不思議なモヤがかかったまま展示を終えたのが、
ずっとひっかかっていました。
なので自分達の展示ですが、
絵画の展示なので自己反省として少しキビシめに書いてみようと思います。
あくまで印象で、それが展示の善し悪しには関係ないのだけれどパッと見の全体感は、
淡白な印象になってしまった。
それは単純に、作家のプライベートに肉薄するようなタイプだったり、
泥臭かったり、高密度な描写で見せたり、きもちわるいなど
ショーとしてのインパクトを印象づける作品が無かったから。
笠見さんの作品が一番ナマモノな感じはあったけれど、おぞましいわけではないし。
運動体として一番一体感があったのは2005年の絵画の場合展として、
今回は良くも悪くも個人プレイの集合体な印象。
なので、特別個性的なグループ展にはならず、オーソドックス。
革新性やスキャンダラス、時事ネタ、問題提起、そういうのを直接的に盛り込む訳でもなく、
今の美術界に一石投じるような内容にもなっておらず、
絵画表現の難しさ、同時代性、美術としての成り立ちについて
いろいろ考えることになりそうです。
メンバー全員でも掘り下げがまだまだできたかもしれないし、
ここがモヤの原因かもしれません。
加えて、決してわかりやすい内容の展示ではなかったと思っております。
抽象性の高い作品が多いし、
林さんの講演会もめちゃくちゃおもしろかったけれどやはり専門的な内容だったので、
ややマニアックな傾向の絵画展。
そんな中で不特定多数のお客さんを引き込む仕組みがあまり用意できなかったのも、
課題かなと感じています。
それぞれの印象をサラリと。
ガラスの内外に渡る渋谷さんの作品は、絵画ではないので、
他の作家と、絵画という軸での比較は難しい。
渋谷さんは8年前からの絵画の場合展初期メンバーであり、
絵画の場合展の中で平面から立体へとアプローチを変えた作家さん。
そのアプローチの流れを追う事自体が
絵画の場合展内の一つの動きとしておもしろい要素だと思うので、
今展においてこの作品だけが突発的にあると、クエスチョンが浮かんだかもしれないと感じました。
作品については、屋内で作品を揺らすための仕掛けが扇風機だったことがやや引っかかる点でありました。
武田さん、笠見くんは
それぞれ持ってる技術力がとても高レベルで、作品の物質感や筆さばきの強度を感じます。
搬入時に作品を見た第一印象は両氏とも、うわーこりゃすごいなと思ったのでした。
しかし作られたイメージが探り探りな感じのせいなのかわからないけれど、
最初に感じた強度が会期後半にやや弱まって感じたのが意外。
もしかすると自作(特に大きい方)もそんな感じに映ったかもしれないです。
その点、小林さんは探り探りな感じは同様にありつつも具体的なイメージを複雑に構成した上で絵具のテクスチャに置き換えるので、
イメージの持続力があるように感じました。
特に新作のほう(右側)は、最初はよくわからなかったのだけど、何日か繰り返し見ていると
イメージは具体的だけど抽象性が高く、不思議に鑑賞時間が長くてもずっと見ていられました。
よくドイグとの比較で語られたり、前時代の具象流行と同じ流れで見られているようで
大変だと思うけど、右の作品はちょっとその領域から突き抜けている感じがする。
あんなに手前に視点のピントが合っていたら遠くはボケるのだけど
絵画的操作でピントの感覚をなくしているところも興味深い。
同じように、大井さんの作品も時間がたっても持続力が続いていた感じ。
大井さんの作品は、イメージの無意味化と絵具のコントロールによる複雑さが良いバランス。
この感じはなんなのだろう。
個人的には大井さんの大作も見たかったなあ。
大作で攻めてたのは末次さんと西田くん。
末次さんの作品は、植物のドローイングの印象が強かったので驚き。
好みなのはドローイングの方なのだけど、
サイズに対する絵作りの安定感に技術力を強く感じました。
3点ではサッパリしすぎているようにも感じたので同シリーズを数で見たいというのが正直なところです。
また、部分的にモダニズム絵画的なアプローチに思えたので、
今あのような仕事をやることについての話をもっと聞きたいところ。
西田くんの作品は黒ドットのテクスチャに不満を感じたけれど、
過去作品と比べても一番絵画的で、強引さは良い印象。
それと、良いのか悪いのか総合的に意味不明なイメージ作りが気になる。
ナンセンスをやりたいようにも見えるし、そうでないようにも見える。
ポルケのはぐらかし感や複雑さとも別路線の事をやりたいのだろうか。
モチーフの意味の無効化と、レイヤーの点では大井さんとの共通性も感じる。
谷口さんは、作品の性質から、空間をスッポリ取り込んでいたので、
他の作品との差別化もありインパクトがありました。
線が描かれている支持体はレール化し、支持体自体も空間に線として存在している構造。
個人的には、描かれている線と支持体の関係が、
レール要素以外の部分ではグッときづらいかも、と感じます。
ちなみに500m美術館の同シリーズの作品では、
さらに装飾的な色彩の要素もプラスされていて気になりました。
絵画の場合中心人物の林さんは、毎回一番意欲的に作風を変化させており、
今回はシンプルな矩形絵画。個人的には今までのイレギュラーな支持体の作品や、
壁に拡張していくタイプの作品よりも、安定感を感じました。
2点組の作品のほうは、なぜ間が空いていたのだろう。
林さんの作品も、レイヤー構造が西田君と近い。
自作については、大きな作品の方の技術的な自己反省として、
細部の作り込みが荒くなってしまった事、
前エントリでも書きましたが全体を見渡せるくらい離れて鑑賞すると小さい作品に比べ大幅に透明層の物質感が感じられなくなってしまう事、などを挙げます。
また、笠見くんと武田さんとの展示場所が近く、
それぞれテクスチャや空間作りの点でリンクする要素があり、
引っ張られてる感はあったかもしれません。展示場所を離すとそれぞれ新鮮に見えたかも。
イメージについては、もっと複雑に画面が絡み合う構成を作るか、
一つ一つの色面の色チョイス、色面自体の存在感の強調が必要かなと考えています。
そもそもこの作品を形にしてみたことで、丸の作品を少し相対的に見る事ができるようになり、
じゃあ自作の根本的に大事な部分はどこで、
より強度を上げるにはどうアプローチすれば良いか、
を考える機会となったという実感。
展示に至るまでの期間、インターネット上と、月イチの会議で、
議論も継続して行ってきました。
お客さんの感想の中に、絵画の場合の総括展と聞いていたのに、
今までの絵画の場合の流れもわからないし、
どんな議論の流れがあってこの展示になっているのかが
一切わからないというものがあって、それはその通りだと反省しております。
お互いの、絵画に対する意識をさらけ出したのが今回の議論で、
それぞれ多忙で、参加頻度にも偏りがありました。
展示との直接的な関係性は生まれなかったかなという感想ですが、
各々の意見と、作品を見直してみると、
なるほどその人の発言であり作品であるなあと感じられるのはおもしろいです。
また今後、総括の冊子が作られて議論の抜粋などもされる予定です。
今展の作品画像はすべて、
カメラマンの川村魚実さんが担当してくださっており、
以下今回の記事の画像も川村さんの撮影です。
まず、札幌の自主企画展としては、
質の高い作品群で、
見応えのある展覧会になったのではないかと思っています。
でもその上で、
同時に何か不思議なモヤがかかったまま展示を終えたのが、
ずっとひっかかっていました。
なので自分達の展示ですが、
絵画の展示なので自己反省として少しキビシめに書いてみようと思います。
あくまで印象で、それが展示の善し悪しには関係ないのだけれどパッと見の全体感は、
淡白な印象になってしまった。
それは単純に、作家のプライベートに肉薄するようなタイプだったり、
泥臭かったり、高密度な描写で見せたり、きもちわるいなど
ショーとしてのインパクトを印象づける作品が無かったから。
笠見さんの作品が一番ナマモノな感じはあったけれど、おぞましいわけではないし。
運動体として一番一体感があったのは2005年の絵画の場合展として、
今回は良くも悪くも個人プレイの集合体な印象。
なので、特別個性的なグループ展にはならず、オーソドックス。
革新性やスキャンダラス、時事ネタ、問題提起、そういうのを直接的に盛り込む訳でもなく、
今の美術界に一石投じるような内容にもなっておらず、
絵画表現の難しさ、同時代性、美術としての成り立ちについて
いろいろ考えることになりそうです。
メンバー全員でも掘り下げがまだまだできたかもしれないし、
ここがモヤの原因かもしれません。
加えて、決してわかりやすい内容の展示ではなかったと思っております。
抽象性の高い作品が多いし、
林さんの講演会もめちゃくちゃおもしろかったけれどやはり専門的な内容だったので、
ややマニアックな傾向の絵画展。
そんな中で不特定多数のお客さんを引き込む仕組みがあまり用意できなかったのも、
課題かなと感じています。
それぞれの印象をサラリと。
ガラスの内外に渡る渋谷さんの作品は、絵画ではないので、
他の作家と、絵画という軸での比較は難しい。
渋谷さんは8年前からの絵画の場合展初期メンバーであり、
絵画の場合展の中で平面から立体へとアプローチを変えた作家さん。
そのアプローチの流れを追う事自体が
絵画の場合展内の一つの動きとしておもしろい要素だと思うので、
今展においてこの作品だけが突発的にあると、クエスチョンが浮かんだかもしれないと感じました。
作品については、屋内で作品を揺らすための仕掛けが扇風機だったことがやや引っかかる点でありました。
武田さん、笠見くんは
それぞれ持ってる技術力がとても高レベルで、作品の物質感や筆さばきの強度を感じます。
搬入時に作品を見た第一印象は両氏とも、うわーこりゃすごいなと思ったのでした。
しかし作られたイメージが探り探りな感じのせいなのかわからないけれど、
最初に感じた強度が会期後半にやや弱まって感じたのが意外。
もしかすると自作(特に大きい方)もそんな感じに映ったかもしれないです。
その点、小林さんは探り探りな感じは同様にありつつも具体的なイメージを複雑に構成した上で絵具のテクスチャに置き換えるので、
イメージの持続力があるように感じました。
特に新作のほう(右側)は、最初はよくわからなかったのだけど、何日か繰り返し見ていると
イメージは具体的だけど抽象性が高く、不思議に鑑賞時間が長くてもずっと見ていられました。
よくドイグとの比較で語られたり、前時代の具象流行と同じ流れで見られているようで
大変だと思うけど、右の作品はちょっとその領域から突き抜けている感じがする。
あんなに手前に視点のピントが合っていたら遠くはボケるのだけど
絵画的操作でピントの感覚をなくしているところも興味深い。
同じように、大井さんの作品も時間がたっても持続力が続いていた感じ。
大井さんの作品は、イメージの無意味化と絵具のコントロールによる複雑さが良いバランス。
この感じはなんなのだろう。
個人的には大井さんの大作も見たかったなあ。
大作で攻めてたのは末次さんと西田くん。
末次さんの作品は、植物のドローイングの印象が強かったので驚き。
好みなのはドローイングの方なのだけど、
サイズに対する絵作りの安定感に技術力を強く感じました。
3点ではサッパリしすぎているようにも感じたので同シリーズを数で見たいというのが正直なところです。
また、部分的にモダニズム絵画的なアプローチに思えたので、
今あのような仕事をやることについての話をもっと聞きたいところ。
西田くんの作品は黒ドットのテクスチャに不満を感じたけれど、
過去作品と比べても一番絵画的で、強引さは良い印象。
それと、良いのか悪いのか総合的に意味不明なイメージ作りが気になる。
ナンセンスをやりたいようにも見えるし、そうでないようにも見える。
ポルケのはぐらかし感や複雑さとも別路線の事をやりたいのだろうか。
モチーフの意味の無効化と、レイヤーの点では大井さんとの共通性も感じる。
谷口さんは、作品の性質から、空間をスッポリ取り込んでいたので、
他の作品との差別化もありインパクトがありました。
線が描かれている支持体はレール化し、支持体自体も空間に線として存在している構造。
個人的には、描かれている線と支持体の関係が、
レール要素以外の部分ではグッときづらいかも、と感じます。
ちなみに500m美術館の同シリーズの作品では、
さらに装飾的な色彩の要素もプラスされていて気になりました。
絵画の場合中心人物の林さんは、毎回一番意欲的に作風を変化させており、
今回はシンプルな矩形絵画。個人的には今までのイレギュラーな支持体の作品や、
壁に拡張していくタイプの作品よりも、安定感を感じました。
2点組の作品のほうは、なぜ間が空いていたのだろう。
林さんの作品も、レイヤー構造が西田君と近い。
自作については、大きな作品の方の技術的な自己反省として、
細部の作り込みが荒くなってしまった事、
前エントリでも書きましたが全体を見渡せるくらい離れて鑑賞すると小さい作品に比べ大幅に透明層の物質感が感じられなくなってしまう事、などを挙げます。
また、笠見くんと武田さんとの展示場所が近く、
それぞれテクスチャや空間作りの点でリンクする要素があり、
引っ張られてる感はあったかもしれません。展示場所を離すとそれぞれ新鮮に見えたかも。
イメージについては、もっと複雑に画面が絡み合う構成を作るか、
一つ一つの色面の色チョイス、色面自体の存在感の強調が必要かなと考えています。
そもそもこの作品を形にしてみたことで、丸の作品を少し相対的に見る事ができるようになり、
じゃあ自作の根本的に大事な部分はどこで、
より強度を上げるにはどうアプローチすれば良いか、
を考える機会となったという実感。
展示に至るまでの期間、インターネット上と、月イチの会議で、
議論も継続して行ってきました。
お客さんの感想の中に、絵画の場合の総括展と聞いていたのに、
今までの絵画の場合の流れもわからないし、
どんな議論の流れがあってこの展示になっているのかが
一切わからないというものがあって、それはその通りだと反省しております。
お互いの、絵画に対する意識をさらけ出したのが今回の議論で、
それぞれ多忙で、参加頻度にも偏りがありました。
展示との直接的な関係性は生まれなかったかなという感想ですが、
各々の意見と、作品を見直してみると、
なるほどその人の発言であり作品であるなあと感じられるのはおもしろいです。
また今後、総括の冊子が作られて議論の抜粋などもされる予定です。