やまもとのグレーゾーン

札幌の絵描き山本雄基のきまぐれ雑感と日常。

カテゴリ:自作展示 > 絵画の場合2012

前回に続いて全体の感想を。

今展の作品画像はすべて、
カメラマンの川村魚実さんが担当してくださっており、
以下今回の記事の画像も川村さんの撮影です。

まず、札幌の自主企画展としては、
質の高い作品群で、
見応えのある展覧会になったのではないかと思っています。

でもその上で、
同時に何か不思議なモヤがかかったまま展示を終えたのが、
ずっとひっかかっていました。
なので自分達の展示ですが、
絵画の展示なので自己反省として少しキビシめに書いてみようと思います。

あくまで印象で、それが展示の善し悪しには関係ないのだけれどパッと見の全体感は、
淡白な印象になってしまった。
それは単純に、作家のプライベートに肉薄するようなタイプだったり、
泥臭かったり、高密度な描写で見せたり、きもちわるいなど
ショーとしてのインパクトを印象づける作品が無かったから。
笠見さんの作品が一番ナマモノな感じはあったけれど、おぞましいわけではないし。

運動体として一番一体感があったのは2005年の絵画の場合展として、
今回は良くも悪くも個人プレイの集合体な印象。
なので、特別個性的なグループ展にはならず、オーソドックス。

革新性やスキャンダラス、時事ネタ、問題提起、そういうのを直接的に盛り込む訳でもなく、
今の美術界に一石投じるような内容にもなっておらず、
絵画表現の難しさ、同時代性、美術としての成り立ちについて
いろいろ考えることになりそうです。
メンバー全員でも掘り下げがまだまだできたかもしれないし、
ここがモヤの原因かもしれません。

加えて、決してわかりやすい内容の展示ではなかったと思っております。
抽象性の高い作品が多いし、
林さんの講演会もめちゃくちゃおもしろかったけれどやはり専門的な内容だったので、
ややマニアックな傾向の絵画展。
そんな中で不特定多数のお客さんを引き込む仕組みがあまり用意できなかったのも、
課題かなと感じています。


それぞれの印象をサラリと。
ガラスの内外に渡る渋谷さんの作品は、絵画ではないので、
他の作家と、絵画という軸での比較は難しい。
shibuya
渋谷さんは8年前からの絵画の場合展初期メンバーであり、
絵画の場合展の中で平面から立体へとアプローチを変えた作家さん。
そのアプローチの流れを追う事自体が
絵画の場合展内の一つの動きとしておもしろい要素だと思うので、
今展においてこの作品だけが突発的にあると、クエスチョンが浮かんだかもしれないと感じました。
作品については、屋内で作品を揺らすための仕掛けが扇風機だったことがやや引っかかる点でありました。

武田さん、笠見くんは
それぞれ持ってる技術力がとても高レベルで、作品の物質感や筆さばきの強度を感じます。
takeda

kasami
搬入時に作品を見た第一印象は両氏とも、うわーこりゃすごいなと思ったのでした。
しかし作られたイメージが探り探りな感じのせいなのかわからないけれど、
最初に感じた強度が会期後半にやや弱まって感じたのが意外。
もしかすると自作(特に大きい方)もそんな感じに映ったかもしれないです。

その点、小林さんは探り探りな感じは同様にありつつも具体的なイメージを複雑に構成した上で絵具のテクスチャに置き換えるので、
イメージの持続力があるように感じました。
kobayashi
特に新作のほう(右側)は、最初はよくわからなかったのだけど、何日か繰り返し見ていると
イメージは具体的だけど抽象性が高く、不思議に鑑賞時間が長くてもずっと見ていられました。
よくドイグとの比較で語られたり、前時代の具象流行と同じ流れで見られているようで
大変だと思うけど、右の作品はちょっとその領域から突き抜けている感じがする。
あんなに手前に視点のピントが合っていたら遠くはボケるのだけど
絵画的操作でピントの感覚をなくしているところも興味深い。

同じように、大井さんの作品も時間がたっても持続力が続いていた感じ。
大井さんの作品は、イメージの無意味化と絵具のコントロールによる複雑さが良いバランス。
ohi
この感じはなんなのだろう。
個人的には大井さんの大作も見たかったなあ。

大作で攻めてたのは末次さんと西田くん。
末次さんの作品は、植物のドローイングの印象が強かったので驚き。
suetsugu
好みなのはドローイングの方なのだけど、
サイズに対する絵作りの安定感に技術力を強く感じました。
3点ではサッパリしすぎているようにも感じたので同シリーズを数で見たいというのが正直なところです。
また、部分的にモダニズム絵画的なアプローチに思えたので、
今あのような仕事をやることについての話をもっと聞きたいところ。

西田くんの作品は黒ドットのテクスチャに不満を感じたけれど、
過去作品と比べても一番絵画的で、強引さは良い印象。
nishita
それと、良いのか悪いのか総合的に意味不明なイメージ作りが気になる。
ナンセンスをやりたいようにも見えるし、そうでないようにも見える。
ポルケのはぐらかし感や複雑さとも別路線の事をやりたいのだろうか。
モチーフの意味の無効化と、レイヤーの点では大井さんとの共通性も感じる。

谷口さんは、作品の性質から、空間をスッポリ取り込んでいたので、
他の作品との差別化もありインパクトがありました。
taniguchi

線が描かれている支持体はレール化し、支持体自体も空間に線として存在している構造。
個人的には、描かれている線と支持体の関係が、
レール要素以外の部分ではグッときづらいかも、と感じます。
ちなみに500m美術館の同シリーズの作品では、
さらに装飾的な色彩の要素もプラスされていて気になりました。

絵画の場合中心人物の林さんは、毎回一番意欲的に作風を変化させており、
今回はシンプルな矩形絵画。個人的には今までのイレギュラーな支持体の作品や、
壁に拡張していくタイプの作品よりも、安定感を感じました。
hayashi
2点組の作品のほうは、なぜ間が空いていたのだろう。
林さんの作品も、レイヤー構造が西田君と近い。

自作については、大きな作品の方の技術的な自己反省として、
細部の作り込みが荒くなってしまった事、
前エントリでも書きましたが全体を見渡せるくらい離れて鑑賞すると小さい作品に比べ大幅に透明層の物質感が感じられなくなってしまう事、などを挙げます。

また、笠見くんと武田さんとの展示場所が近く、
それぞれテクスチャや空間作りの点でリンクする要素があり、
引っ張られてる感はあったかもしれません。展示場所を離すとそれぞれ新鮮に見えたかも。
yama2


yama
イメージについては、もっと複雑に画面が絡み合う構成を作るか、
一つ一つの色面の色チョイス、色面自体の存在感の強調が必要かなと考えています。
そもそもこの作品を形にしてみたことで、丸の作品を少し相対的に見る事ができるようになり、
じゃあ自作の根本的に大事な部分はどこで、
より強度を上げるにはどうアプローチすれば良いか、
を考える機会となったという実感。

展示に至るまでの期間、インターネット上と、月イチの会議で、
議論も継続して行ってきました。
お客さんの感想の中に、絵画の場合の総括展と聞いていたのに、
今までの絵画の場合の流れもわからないし、
どんな議論の流れがあってこの展示になっているのかが
一切わからないというものがあって、それはその通りだと反省しております。

お互いの、絵画に対する意識をさらけ出したのが今回の議論で、
それぞれ多忙で、参加頻度にも偏りがありました。
展示との直接的な関係性は生まれなかったかなという感想ですが、
各々の意見と、作品を見直してみると、
なるほどその人の発言であり作品であるなあと感じられるのはおもしろいです。

また今後、総括の冊子が作られて議論の抜粋などもされる予定です。

絵画の場合2012最終章、会期無事に終了致しました。
年度末のお忙しい中、ご来場いただいた皆様ありがとうございました。


終了したということで、自作の展示風景と説明を。

今回は2点出品。
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いつもの丸を重ねる作品は、今までで最も厚塗りで高密度に。
約7mmの14層構造。
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曖昧さを肯定するところを起点に。
みえる丸とみえない丸を重層的に重ねて複雑な空間を作る。

丸に特別な意味は持たせない。鑑賞する人意味を委ねる投影できるように、
丸の存在設定自体が曖昧。

曖昧なものの中から見た人が何か特別な感情を揺るがすような、
忘れてる不思議な感覚を取り戻せるような、
そういう絵画空間を生み出したい。

また、絵画そのものが妙な存在感を放つようにしたい。
というのが今まで言ってきたこのシリーズの大まかな説明でしょうか。

今回のこの作品もやってることは変わらないけれど、過剰な密度にしたいなあ、と。
側面も分厚く透明層で包んだので、物質感の強調が出来たかなと思っています。
サイズが小さいので、より物質感を感じられるはず。
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もう1つの方は、今までで最もサイズの大きな作品。
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作品の中身よりも、とにかく自作の中で過去最高のサイズの絵画をこの展示で発表する、
というのが先にありました。
普段からライバル意識を持っている近い先輩後輩方とご一緒するので、
最低でもサイズくらいはトップを狙いたいという安直な動機ですが。

ところが我がアトリエの天井はすこぶる低く、六畳一間。これではF100号がキチキチなので、巨大なパネルを作るのは不可能。
そこから、分割パネルを組み合わせるアイデアをまず主軸に置くことに。
過去にいろんな巨匠が分割パネル作品を残しているので、パクリだと思われるのは必須でも、
漠然と自分のモノにできそうな予感。

実は3年くらいこっそり画面に直線を入れる実験をしていたのですがなかなかうまく行かず、
そのアイデアは保留のままでした。
例えば、この作品↓は約3年前に作った作品。前回の個展に出してたやつですが、
0911

これの初期段階↓は、
line

こんな風に謎の対角線が入ってたのです。
全然うまく行かないので最終的にはまったく見えなくなってしまいましたが。


で、今回パネルを連結させる仕組みにすることで、
直線のアイデアがようやくうまく合致。

正方形のパネルに対角線を引く事で、四方のパネルにつながりを持たせられる。
プラス、さらに何らかの形で離れたパネルにも連携していくような構造を作りたかったのです。
出来た空間は、自分の意図を超えて、ある程度勝手に出来上がった連結空間のエネルギーみたいな力を孕むのではないかと。

それでエスキースを重ねて、実験段階な部分もありつつ、発表しても良いレベルまでは持っていけると思ったのでした。
組み替えできる可能性を孕んでいるというのもポイントで、
一枚絵として見せているけど、組み替えて展示すると違う空間を生み出せる。
ただ、適当に並べても良い空間にはならない。組み替え可能でも、可能性は有限というバランスがまたなんとなく良い。

今回の組み方は、いろんなサイズのひし形や長方形が見えたり見えなかったりと、
眺めてるうちに変な感覚に陥るような組み方にしたつもりです。

側面は綿布むき出し。絵具で覆うと隣同士がくっ付いてしまうので、
連携機能優先した結果の側面です。
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色彩は、いつもより抑えめ。
構想段階ではもっともっとグレーがメインで微妙に色調を帯びてる程度に留めてたのですが、
やってるうちにカラフルに寄ってしまった。
これはこれで一つの形だとは思っておりますが、グレーもやりたいな。

色面の主張がいつもより強いので、とても久しぶりに「塗り」のバリエーションを多彩にしてみました。
塗りムラ残し、重ね塗り、厚塗り薄塗り、透明不透明半透明の混在、全部の色面で塗りを微妙に変えてるので、
それぞれの色の揺らぎを持ってます。
baai03


また、いつもの透明層テクを使ってるので、色面の位置が前後してます。もっと過剰にやりたかったけれど、
予算や時間の制約もあったので、今回はここが落としどころでした。

サイズが極端に大きいと、距離を置かないと全体像が見えないので、
全体を見れるくらい離れると、ディティール要素がある程度失われます。
そこのバランスが、なかなか難しい。
baai05



扱える要素は丸の作品と直線の作品では変わってくるけれど、
絵画空間に込めている思いや、やりたいことはさほど変わらないです。
構造についての説明はこんなところですが、
で、結局なんなんだよと言われると、まだわからんのです。

あと、ポップの抜け殻みたいな抽象にしたいとはいつもうっすら思っています。

場合展全体についての感想や反省はまた別エントリで。

疲れがとれないままトークイベント。
想像以上にお客さんに来場頂いた。
皆様ありがとうございました。

各作家が塚崎さんと対談形式で自作について語るという流れに落ち着いたけれど、
やっぱり一人一人の尺が長くなって後半はしんどくなってしまった。
予定してた作家同士のトークも無くなってしまったし、
改善の余地はありそうな内容だった。
個人的に聞いていておもしろかったのは、小林麻美さんの話だったな。

自分のトークを録音して、家に帰って来てから自分が何を話したのか分析してみた。
これぞナルシズムスピリッツ。
まーしかし疲れている割には、早口でベラベラ話すオッサンだこと…しかも無駄が多い。
整理すれば3分の1に抑えられるトーク内容だ。がっくり。
言いたい事はそれなりに言ってるけれど、理想にはほど遠いな!

後日もう少しこのトーク内容をまとめた形でブログ化する予定です。
写真は疲れてガイコツのようになりながら早口で話すキモい自分。

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撮影:川村魚実

林道郎さんの文章は、2004年川村記念美術館のロバートライマン展のカタログで初めて意識的に読んだ。大学4年のとき。
展覧会にどうしても行けず、泣く泣くカタログだけ購入したのだった。
このカタログの出来が良くて、絵画それ自体をどのように存在させるか考えるようになったり、とても勉強になった。

何年か後、国立国際美術館のポルケ展で発売されてた小冊子がポルケと林さん達の対談「ジグマーポルケ 自作を語る」。
初めて拝める大作群と共に、ポルケの真面目なのかとぼけてるのか絶妙なトーク内容に感動したものだ。
ポルケについての日本語本は少なめなので貴重な冊子だと思う。

その後に「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」シリーズを読んだ。
シリーズ全部にはまだ目を通せていないのだけど、作家チョイスが好みで、
講義録なので読みやすいし作品分析のアプローチの仕方がリアルに伝わる内容だ。

その他「組立」の対談や、岡崎幹二郎さんの小作品集のテキストも林さんだった。

以上のように絵画の勉強してたら知らぬうちに何度も林さんの文章に触れてきていたんだよな。
そのため、目の前でしかも札幌で講演会が聞ける、しかもイベント主催側に作家として関われる、
というのはたまらないわけです。

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撮影:川村魚実

林さんは、フワッとスマートで穏やかで熱い印象。
トーク内容は書ききれないけど、
少し抜粋メモ。

・まず80年代西武の流れから絵の事を考え始めたのでフォーマリストではないという前提からの、
グリーンバーグの問題点、グリーンバーグが日本で一般化するタイミングの遅さの話、批評言語で語れないものに出会う期待感。
形式と内容の対立というのがニセだと思う。定義の不可能性。

・大阪の国立国際美術館で開かれた「絵画の庭」について。
現代の美術の展覧会にしては例外的に観客が6、7万入った。
9割具象だったが、(具象/抽象 というのはあまり有効なカテゴリわけではない)、
何点か気になるのもあったがほとんどぴんと来ない。 だからいまの日本の絵画のはやりものとはすごく距離がある。

・吉本隆明の話。
転向論で「関係の絶対性」ということを言った。一貫性は、まわりの社会情勢との関係で変わってしまう。
昭和が終わったというセンチメンタリズムではなく、いい批評はいつ読んでもいい。

・絵画の定義は、数学的な意味の定義は不可能。 社会の中で、変容しながら使われている語。
20世紀以降は、一般に流通している絵画概念を超えて絵画がつくられていることの繰り返し。
定義が更新されていくことの繰り返し。ただ彫刻に比べると、ある種の中心性は考えられるかもしれない。


・マチス『人生の喜び』やピカソ『アビニョンの娘たち』などは特異性を孕んだ、
沈黙の理論としての作品と言っていいかもしれない。
野球でいえば永久欠番みたいなもので、様式史のなかでも交換不可能な存在。歴史を支えるのはそこ。
いつもそこに戻らざるを得ない。
「他の現在」「他の時間」とむすびつくような、あらわな時間性をはらんでいるかもしれない。

スライド画像から、様々な時代の絵画に対するアプローチの説明。
視界を包む大きなインスタレーションに近いものではモネやロスコやムンクの共通性。
触知性の話ではフォートリエのアプローチ、岡崎幹二郎のサムホール作品。

・水平垂直、重力の話から70年代以降の話。

・説明し尽くしたらいい作品ではない。だから批評というのは最初から負けるようなもの。一言。

…批評家さんの言葉からこの一言が出てくることに笠見君も驚いていたな。故に信じられるなあ。

その後の質疑応答で僕は、
アメリカから帰国して、いわゆるJポップ文化と、同時に発生している日本現代美術はどう見えたか?
国立国際美術館の「絵画の庭」展で気になった作品はどんな感覚なのか?
日本の流行にただ回収されたくない思いがある。
Jポップ化、サブカル、そういうのを超えた絵画的な視点はどんなものか?
というようなごちゃごちゃしたことを聞いた。
回答は梁井朗さんの書いてくれた講義録を一部抜粋。

・Jポップという一般化するのは2000年ぐらいか。帰国後、宇多田ヒカルや椎名林檎がすごいと驚いた。
・Jという言い方には抵抗がある。カレン・キルムニックはある意味、Jポップ的。日本特有ではなくてグローバルに必然性に出てこざるを得ないだろうと思っている。
・近代で「いい場所」なんてない。みんな「遅れ」の感覚を持っていて、外国や、前の世代のものが進んで見える。
・ある種のコンプレックスの中で仕事を始めるのは、普通。誰だって育ってきたコンテキストを抱えてるわけで、すべてを見渡して作るしかない。

「メーンストリームに対してサブカルという戦略がある。サブカルは往々にしてメーンストリームのイメージを取り入れてスキャンダラスに操作していくと。
両方のコードにあてはまらないわけのわからないものが結晶することがあって。
たとえばセザンヌの水浴。アカデミズムでも通俗的ヌードでもない。なぜかああいうものが出てきちゃう。
バルト的に言うと第三の意味、領域というのがある。
破壊的なものを持ちえる、生み出せるのが美術の意味だと思う。 」

その後小室さんが、西武と絡めたポップについての質問を。ネオポップ、マイクロポップという呼称もひっかかると。

「70〜80年代、西武が日本の消費文化で果たした役割はすごく大きくて、
西武美術館だけじゃなくて、シードホールとか文化活動、CM、六本木WAVEなどを通じてリードしていた。
宮沢章夫が面白い本を書いています。ポップカルチャーに歴然たるヒエラルキーがあった。
オシャレな西武とオタクのあいだには格差があった。90年代以降、オタク的なものがメインストリームに出てきた、と。
僕はハイアートという言葉はあまり使わないけど、もうすっかり格差がなくなって、
美術はポピュラーカルチャーの中で細々とやってる。サブがサブじゃなくなった。
美術が持っている「第三の意味」的なポジションがますます重要になってるかもしれないと思う。
それと、ポピュラーカルチャーにはもちろん可能性がある。
大衆文化とかいうと、ひとくくりにすると、単一的に見えるけど、そんなことはなく。
自 分ではあまり垣根を設けずに、ひっかかったものについて考えるという姿勢。
社会学やってるわけじゃないので書くのはできないけれど。
松浦寿夫さんと創刊した雑誌に連載している「ポロックの余白に」では、
ゆるくて、ジャズについて書き始めています。
ゆるい気持ちは持ち続けたいと思っています。」

うーん、なんというか、励まされた。。。
こんな濃い内容の絵画トークは札幌じゃなかなか機会が無いのでは。
お客さんもたくさん来場されていて、良い形で終える事ができた。
その後のオープニング、林さんと打ち上げ2次会。
林さんに作品や展示の感想をいただく。

さらにその後笠見西田、CAIの端さんとうさぎちゃん、我らが山本先生と遅く迄飲む。

グループ展に参加します。

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「絵画の場合 2012 ―最終章―」

日程: 2012年3月14日〜2012年4月1日
時間: 11:00〜19:00(最終日は17:00まで)
場所: 北翔大学北方圏学術情報センター PORTO ポルトギャラリーA・B
住所: 札幌市中央区南1条西22丁目1番1号
    ※一般来場者用の駐車場はありません。公共の交通機関でお越しください。
主催: 絵画の場合実行委員会
お問合せ: E-mai: lthayashi(アットマーク)hokusho-u.ac.jp

参加作家・協力:

 大井敏恭 笠見康大 小林麻美 澁谷俊彦 武田浩志 谷口明志
 末次弘明 西田卓司 林亨 山本雄基 梁井朗 塚崎美歩 

■林道郎氏 講演会
 3月17日(土) 午後2時〜

■オープニングパーティ
 3月17日(土) 午後5時〜

■アーティストトーク
 3月20日(火・祝) 午後1時〜


フライヤーデザイン:武田浩志
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久々のブログ更新になります。

2月はほぼこの展示のための制作に没頭しており書く余裕がなかったのでした。
余裕が無いと、心身硬直しちゃうので気をつけなければ。

本日自分は搬入を終えてようやく一段落。
とても見応えのある絵画展になりそうです。

今回はちょっといつも以上に気を張って制作してました。
いろいろな思いはありますが、
その理由の一つとして、
大学時代にものすごく影響を受けたり、いろいろ引っ張ってくれた先輩達がいることと、
いつもつるんでは絵画話をしている後輩達がいるので、
こりゃバトルだなー負けられねえ!と鼻息荒くなってるのです。
しかし搬入光景をみた限り、手強いバトルだな。。

僕はどっかで一番をとらなきゃイカンという意識のもと、
出品者の中で一番デカイだろう作品と、一番絵具の盛りが厚いだろう作品の
2点を出品します。
過剰に、過剰に、と唱えながらやってきましたが、度を超えて間に合わなくなりそうになったので、
同居人を犠牲者にしてヤスリをかけさせる始末に。
ちょうど大きな仕事を終わらせてオフに入った瞬間を見計らって土下座。
僕より基本的に造形能力が高いのでシメたもん、ギリギリ間に合いました。
なんかやっぱり、この一年いろいろあったし、過剰にいきたいのです。


今展は、展示の他にイベントも充実しています。

17日の林道郎さんの講演会は、絵画をやっている人達は必聴です!
北海道ではなかなかこのような機会はないかも。
林さんは美術批評家であり、「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」シリーズの著者さんです。
僕もそのシリーズの他いろいろな図録などで何度も林さんの文章に触れてきていたので、とても楽しみにしています。
同日講演会後にはオープニングパーティがあります。

また20日春分の日には参加作家によるギャラリートークがあります。
展示作品および絵画をより深く考察できるきっかけになるような機会になると思います。
話すことが無くなると困るので、ブログに作品の事をつらつら並べるのはこのトーク後にとっておきます。


展示にイベントも盛りだくさんですので、
ぜひ皆様お越し下さいませ!!よろしくお願い致します。


11月のグループ展が終わってから、
なんとなく2011年の怒濤のスケジュールをクリアした感。
それも所詮見せかけなんだけど、
わかっていながらやっぱりちょっとダラダラ気味でした。
制作を止めると一瞬で廃人になるので、
意識的に手は動かしているけれど、すぐ休むし無駄が多い。

そうしてるうちにあっという間にまたピンチな状況になりつつある。
ようやく引き締まって来た。

とにかく何度も言ってるが、絵のスタートが一番嫌いだ。パネル作るとこ。
そもそも日曜大工とかに縁がない僕が木材加工してるんだから笑えてくる。
ノコギリも釘ウチも一向に上達しないのに。

しかし今回は、大量にパネルが必要な作品の構想を練ってしまったので辛さ倍増!!
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ひたすら木を切る。近所のホームセンターの松材30×30は買い占めた!!
そして枠にする。
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当初の予定ではこの約45cm四方のパネル30枚組で一つのでかい作品にする予定だったけど、
最近の自己テーマは「過剰さ」ということにして、さらに10枚追加した。
3月の「絵画の場合」展で公開予定なんだけど、間に合うのかなーあーあー

こうやって自分に無理をかけることで、何か予期せぬおもしろさが発生するんではないかと未来に希望を持ってしまうのですハッハッハ…。
この作品では丸は封印して、直線だけで構成してみようかと思う。うまくいくかな。
ポスト抽象表現主義のパクリ的な絵になりそうだけど笑 どう回避しようか…

同時制作してるチビ作品では、マットメディウムの効果を試す。
同じメディウムでもマットになると、曇り具合が増す。これをうまく制作に取り込みたい。
それと、こっちも過剰に行きたいので、メディウムの厚みを増やす試み。
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これは作品開始直後の下塗り状態。側面も盛ってます。
こうやって、またどんどん時間がかかる方向に…


どうでもいいけどこれは先日届いたクラブニンテンドー花札。いい出来。
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こういうので癒されないとやってられん。
今年はニンテンドー3DS、ソフトも結構買ってます。3DSかなりイイ感じ。
やるヒマ無くてほとんどクリアできてないが…触れるだけでうれしいんだ。
そんなわけでポイントが溜まってこういうのを貰えちゃったりするんです。

来年3月の「絵画の場合」展に参加が決まっている。
絵画の場合展は8年前からスタートしている札幌のグループ展で、北翔大学の林亨さんが中心となっている企画だ。
今回は今迄の流れの1つの区切りをつけるとのことで、
そこに僕も含め後輩の笠見君に西田君にも声がかかった。
院生時代によくつるんでいた3人が同じ展示で並ぶのは久しぶりなので、がっつりバトル宣言。

絵画の場合展の特長は、議論が同時進行で行われることだ。
mixi上にコミュニティを作り、絵画についてああだこうだ言い合うって、こりゃ楽しそう。
mixiもこういう使い方すればまだ有効なツールだな。
すでに書き込みが始まっており、書きすぎると制作の時間が無くなるのでバランスを考えながらやっている。

数年前の議論篇は僕も外部から生意気な学生身分で覗いていたが、その時からどうも腑に落ちない部分があったので、
絵画から発生した問題に従ってもうめちゃめちゃにするくらい上の世代の方達に攻撃をしかける姿勢で望む事だけは決めている。
ぬふふエキサイトしてきた。

mixiだけでなく実際にメンバーが顔を合わせて議論も行う。第一回目の議論顔合わせ。
少し前にも書いたけれど、絵画の場合メンバーには、空間にひろがるような作品展開をしてる作家さんが半数。
それと、割とストイックなビジュアルの抽象表現が多い。今回は特に。
以前の参加者の齋藤周さんや久野志乃さん、八子直子さんも不参加のため、
具象と言えるのは小林麻美さんくらいだ。

渋い展示になりそうだなあ。
そう考えると、バランスが良かったのは2007年のポルトギャラリーでやってた時かも。
さらに前、2005年の展示やギャラリートークは、
北海道美術ネットに詳細が。
http://www5b.biglobe.ne.jp/artnorth/st508.htm

さてどうやっておもしろい展開にもっていくか。
とりあえず、平面から出た絵画っぽいインスタレーションについてや、村上隆の絵画について、
今までの展示の流れについてなどを話し合う。

もう1人の新メンバー、末次さんの出方も楽しみ。
以前ドローイングを見せてもらったけれど、とても良い線の作品だった。

さてまだまだこれからだ。

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