まずはとても長々とドーハ初日…。
カタールの首都ドーハには早朝6時に到着。
とりあえず換金。通貨はカタールリヤル。なんかカッコ良いぞ。
2人して引っ越しで頭が一杯になっていたため、
ドーハ情報の下調べはほぼ無し。
よって、空港から市街地に出る方法もわからん!
まず空港の敷地内から出られない。
空港にwifiが来ていたので検索してみるも、
ドーハ情報ってサッカーの事以外あんまし出てこないの。
仕方が無いのでタクシーに乗る。運転がとても荒い。
空港を出たらあとは芸術新潮のドーハの地図だけが便り。
5分程度で村上隆展の会場とイスラム美術館が見えてくるけれど、
早朝なので開館してないし、まず大荷物をなんとかしたいので
ホテルの住所に近いらしいスークワキーフというところで降りる。
50カタールリヤル(約1000円)。これは適正価格と思いきや後から聞けばボラれていたようだ。
本当はその半額くらいみたい。
向こうにはデカい建物建設中。
スークワキーフがどういうところなのかもよくわかっていない。
市場のような場所みたいだけど早朝なのでひっそり。
そしてまだ地理感覚もさっぱりわからんので、
結局1km以上歩くハメに。
アスファルトの下は砂!
彷徨いながらもなんとかホテルに到着。
方向感覚が少しだけわかってきた。
どんどん気温が上がって猛烈に暑い。
部屋がカラフル。
そういえば朝9時くらいだったのにチェックインできました。
すばらしいサービスだ。
ロビーでwifiが使えたので助かる。
すでにもの凄く疲れたので、近所の食堂でご飯にする。
頼み方もよくわからんけど、勢いでカレーとかパタラに挑戦。
普通に美味しい!たらふく食って300円くらいだし。
周りのお客さんが右手で食べてるので、こちらも挑戦。
なかなか難しい…
腹ごしらえ後、郊外のカタラという場所にある
QMAギャラリーで
ルイーズブルジョア展をやってるので向かう事に。
これも行き方が解らないのでホテルのフロントに聞くも、
フロントのお兄ちゃんもよくわからなくて結局またタクシーを呼んでもらった。
10kmくらいを往復で3000円くらい…これもボラレてたようだが。
途中の市街地、ビル群が近未来都市すぎる。
変な形のビルがたくさん。
カタラはその市街地よりまだ向こうにある、
海辺の複合文化施設のようだった。
平日だからなのかあまり賑わっていない。青い海の向こうに遠景の変な建物。
砂の山の上にブルドーザーがガガガとやっていて、
まだまだ拡張していく様子。
ドーハは建設中風景だらけだ。
お!ブルジョアさんの蜘蛛がいた!
その奥の方にひっそりQMAギャラリーがあった。入場は無料。
残念ながら撮影はできず。
全然人がいないので、ゆったり見る事ができた。
クモのパブリック彫刻しか知らなかったけど、
初期の作品なんかもあって、堅実な造形作家なんだと知る。
作家のドキュメントチックな写真も並んでて、
ウォーホルと映ってたり、蜘蛛の作品を抱いたりしてそれがキュートな感じ。
作品とのギャップがおもしろい。
中期の、服を縦長に伸ばして型取りした作品が良かったなあ。
90年代には、同時代的なジェンダー&パーソナルチックな布や糸を使った作品も作ってて、
それも造形的に優れていて感動しました。
テーマとか主題はシンプルっぽいんだけど、良かったなあ。
満足してまたタクシーに乗り戻る。
運ちゃんが、暑いから俺にも飲み物くれよとか言って来て
仕方が無いから水を与えたら嬉しそうだった…
ナメられてるな…
宿に戻り小一時間昼寝したのち、いよいよメインの
MURAKAMI EGO展へ!
海辺のイスラム美術館の隣、ALRIWAQというところ。
ホテルから近いので歩いて行く。
風が熱風。気温は45度と言ってました。
歩くだけで疲れる。
この建物だけやたらカラフルなのでひと際異彩を放ってる。
鼻の穴の色が違うし鼻毛が…。
入り口はこの壁の反対側。
撮影可能なのはエントランスのみなので、
こんな感じで撮ってみた。
確かに体はバルーンっぽい。
毛は、バッチリ描写されている。
展示会場は撮影不可だけど、
MURAKAMI EGOでググったりすれば、
こういった高画質展示画像付きの
http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1330088005005/
http://sugohaya.lammfromm.jp/?p=535
公式現地レポが結構でてくるので、
実際もうこれを読めばいいんじゃないか
、て話ですが一応感想を…。
展示は部屋毎に区切られていて、
それぞれまとまった展示が展開されている感じ。
どの部屋も、抜きの作品がなかった。
絵画、立体、映像とどれも高密度の超絶技法でボリュームがあり、
圧倒的。
これだけのマッチョな仕事を日本人がやってること自体
信じられないので、絶賛するしか無い前提になる。
超絶技法でマッチョ、イコールすばらしい、
というわけでわないはずだけれど、
他の太刀打ちできる別価値を提示しないと、
何も言い様が無いくらいの気迫はある。
最初の部屋、
正面にいきなりゲロタンがでてくる。
この作品は画像の時点で好きだったけれど、
本物を目の前にするとまず考える間もなく、
「でけえ!!!」と。で次に、
「色きれい!!」て思います。
これは相当コントロールしてるバランスだと思った。
近寄ってみると思った以上に、「塗ってる」感覚が強い作品だったのが意外。キャンバスの目もほのかに残っている。描写自体は筆跡無しだけど、表面がツヤツヤで、そのニスが塗ってる感があったのだった。
でもそこに変な違和感はない。不思議とスケール感にわずかな手作業感がマッチしている。
また実物でなければ確認できない細部情報が多くて、小さいキャラに吹き出しがついてて喋ってたりもした。フラット空間の中にパースを効かせて広い世界観が高密度で表現されていた。
輪郭線はシルクで刷ってるぽい。線の太さもキャラによって様々。
これを最初に展示したのは確かパリでのぬりえ展。
パースペクティブを強めにして青空が背景で煽ってるカメラ視点の
ランドスケープ状なイメージになってるのは
ヨーロッパ絵画を意識してるのだろうか?
それに、巨大化したモンスターがゲロを吐いてるという絵は、
原発事故後に見ると関連性を考えてしまう。
事故も日本型資本主義経済の問題点が露になった象徴のようなものにも思えるし、
この絵はそういうことを1つの自画像として表現しちゃってると考えると
また深みもでてくる。
これは村上さんの作品を代表するマスターピースに間違いない。
そのマスターピースが今展いきなり始めに来る。
同じ部屋には90cmくらいの正方形作品が2つ、こちらはキャンバスの目止めがしてあって、ニスも塗ってなさそうな完全フラット作品。
おそらく輪郭線はシルクではなくて手描き。
僕が札幌で見たいくつかの作品の印象はこちらに近い。これも好きだ。
側面にも同じように描写が続いているので、
角の部分の線やヤスリ掛けなどはどうやって描いているのか不思議だ。
出来る限り側面を覗いたけれど、
どうやら裏までは描写はされていないようだ。
同部屋にはキノコ群の立体作品も。
この辺のキャラクター作品て、
ナムコのワギャンランド的世界観に少し通じるなと
思ったけれどそれは超個人的感覚なのでさておき。
ゲロタンにやられたのちの次の部屋は、
またデカいDOBシリーズとタイムボカンのキノコ雲シリーズの部屋。
DOB君シリーズは、2009年と新しめのシリーズでこれも意外だったのが、フラット、じゃない。
目とか歯とか背景とか顔の肌部分とかそれぞれに異なる技法を使ってて、場所によっては絵具の厚みが明らかに感じられる部分もある。
極端にボコボコなマチエールというわけではないけれど、
物質感はかなりある。
それに、厚めの側面は布地がむき出し。
絵具がしみ込んだりしてる。
DOB君も、キャラクターのイメージにパースが効いているので、その曲線に特殊な気持ち良さがあるし、見た目以上のスケール感が発生してる感じ。顔の部分など、広い色面の気持ち良さもあり、
鑑賞してて純粋に見応えのある絵画らしい作品だった。
キノコ雲の方は、構図はシンプル、背景と雲の質感が違う。
背景はニス掛けしてないようだ。
雲はツヤあり。ニスの塗りにもいろんなパターンがあるようで、
厚めに重ねて深いツヤを出している。
背景に迷彩柄があったりしてウォーホルを思い出す、
主題も、説明の記号化を全面に出してるように見える。
次の部屋は、カイカイとキキのキャラクター絵画。これもデカい。
だんだんこのサイズに慣れてくる。
フラワーバックの画面中にキャラクターの顔が配置されている。
たくさんありすぎて全部確認できないけれど、
すべて違う表情のようだ。
この絵画群は、ほぼ完全フラットだし、ツヤも一定のツヤ。
そうなると、大友展のAKIRAに感じたように、
人の仕事という感覚を超えてしまう。超絶技法とわかっていても、
絵柄的にシールを貼ったように見える。
この辺の手仕事感の感触の在り方というのは難しいなと、思った。
同じ触感が、後の自画像シリーズでも感じられる。
自画像はしかし、鼻毛の描写等、ウッとなる。
あと、キャンバスの折り目を見ると、
これは描写をしてから枠に貼ってるようだ。
抽象画、構図や技巧のバリエーションはかなり好み。
芸術新潮の自作解説で、テリーウィンタースの絵画から
インスピレーションを得ているということが書かれていて
おもしろい。
画面内には様々なツヤが混在している。
ニスをスプレー仕上げしてる部分もあった。
側面のむき出し感もカッコ良い。
だけどこちらも描写の技巧がカッチリ決まってて、
版画よりな印象は受ける。
次の部屋はフラワーの和風バリエーション床に柄あり。
この部屋には和風で円形キャンバスの作品。画面の奥を向いてる花があったり。
フラワーにもいろんなバリエーションがあったけれど、
一番大きな部屋の金箔背景のフラワーが圧倒的に良かった。
一番大きな部屋には、五百羅漢やその他の大きな絵画、
巨大彫刻、カイカイバルーン、見世物小屋のようなテントの中には映像作品。
五百羅漢は度を超えたデカさで絵画というかなんというか、
他にあまり見た事がない異例の凄いモノだ。
絵画としては、ゲロタンが総合的に安定感ありで、好みでもあり、
しかしそういうレベルのものとは違うような…。
絵画と版画のちょうど中間のような感覚のする作品で、
表面をみるとまぎれも無く絵画的物質感。
ニスも厚めに塗ってあるけど、
背景の部分部分はむき出しになっていたり。
どこを見ても高密度でハイクオリティ。
技巧に関しては、今までのシリーズの技巧を
全部投入しているような総決算絵画。
先にボストン展で見た絵巻物にも近い。時間軸がある。
大渦の波があって、災厄があって、
宇宙があって、祈りがあって。
宇宙の部分の広いラメの部分は黒バックで、
特に繊細なニス塗りが施されていてピッカピカ。
羅漢一体一体に個性があって、動きも違うし、着てる服の柄まで色々。
100mを6往復くらいしたので600mは行ったり来たりしたけれど、
鑑賞しきれる情報量じゃなかった。
羅漢の肌の質感は、ナイフで塗ったようなちょっと複雑な塗りがたくさん見られたんだけど、あれを集団制作でどうやってやってるんだろうなあと不思議に思う。
しかしどの作品よりも、日本人っぽいというか西洋感覚の絵画から
離れた作品になっていたように見えたなあ。
村上さんの作品の流れからでてきた積み重ねのアレンジ、
主題の出所がいつもと少し違う、装飾感覚もより日本的、宗教的、など。
この作品だけで見たかったなあとも思う。
周りにテントや大きな彫刻もあったので。
あと、ところどころ明らかに不自然に照明が消えていた気も?
テントの中では、
もうこんなに作っていたのか、というアニメ作品や実写映画が上映されていたけど、
アニメを作って、表情とか動きとか時間軸の要素が絵画にもフィードバックされているのかなあと思った。
個人的には明確なストーリーがある作品より、
カニエウェストのPVぐらいがテンポも長さも丁度良かった。
手描き感満載のでかい龍の作品は、前日に曾我蕭白を予習して行ったのもあって、臨場感倍増。曾我蕭白のさくひんよりさらに龍の顔がでかくて、表情がイッちゃってるのがおもしろかった。キャンバス地も見えてるし生の線の感じでライブ感あるけど、しっかりニス掛けしていた。
広い部屋でだいぶ疲労して、
まだまだ自画像、ドクロ、達磨と続く。
ドクロシリーズもいろんなバリエーションがあり、
ニス厚塗り、ステイニング、獅子を入れた構成。
達磨シリーズは抽象画と質感が似ているのと
デジタル処理のギザギザを強調してる点が目立った作品だった。
最後の部屋は作りかけの大きな彫刻のメイキング的展示。
そこからゲロタンの部屋に戻れるので、グルッと周回したことになる。
一周してゲロタンに戻ると、また違って見えてくる。
で、何周かした。ははあ、展示構成がうまい。
全部で3時間くらいいたのかな。
立体作品については、絵画作品に比べるとキャラクターの実物化の欲なのかなと思ってたけれど、
ステンレスの大仏作品や制作途中の最後の作品はやっぱりデカイし、
それだけではないクセのある造形物だった。
というわけで、この10年間の村上さんのバトルを一挙に見ることができた。いつものクセで絵画の表面を特に注視して見てしまったけれど。
エロ要素は抜かれていたけれど、
作風をズラしてあの手この手を繰り出していろんな手札を作り出して行くような臨場感が演出されていた。
何を描くか、については、
いろんな暗喩を込めたり、
過去のイメージのリミックス絵柄を作り込んで、
現代的でコンピュータ描写土台のポップな絵柄にアレンジにするというやり方が基本的。
その辺はリキテンスタインとの共通性を感じる。
リキテンスタインはキャンバスむき出しで塗りもサッパリ風味な
画風は固定させて、主題を次々にアレンジしていったし、
抽象具象を絵画に落とし込むやり方も似ている。
龍の作品や五百羅漢はまた違う印象だけれど、
過去のイメージをリミックスしている点では一貫している。
どう描くか、については、
その大きさが必要だと思わせる巨大画面サイズとそれに合った構図や色バランスや描写密度。こういう絵作りの技術面は非常に優れている。
過去の戦後超有名作家の大作絵画作品て、意外に荒削りな出来映えでそれはそれで魅力的なのだけど、
それに対抗するような丁寧な技術押しマッチョ感。
アクリル絵具とニスを使ってる点も、カラッとした色彩や絵柄を、物質感を持たせて表現するのに最適に見えた。
文脈理解については、
芸術新潮や、今までの村上さんのいろんな説明からの話はわかるけれど、
それ以上の部分についてはまだまだなんとも言えないところだ。
でもシリーズ毎に、
その文脈読み取り重視のためのイメージに寄らせたり、
自作のアレンジのためのイメージになったり、
またそれらに関係なく思考を超えた何かすごいパワーが
宿ってしまったり。
そういう揺れがあるのはモノを目の前にして実感できた。
ゲロタンにはその変な何かが宿っているように感じたし、
それと相対的に五百羅漢が、
ぶっ飛んだ異例の作品として象徴的だった。
にしても…
そもそもこれらを自分の会社作ってシステムから全部
コントロールして相当なお金も動いて、
実現させているのがやっぱり信じられないレベル。
外は暗くなっていて2人してヘトヘト、
市場の再現観光地だったスークワキーフで食事して、
周辺を少しだけうろつく。
すでにこの食事スタイルに慣れ始めている東方くん。
ネコが食べ物狙ってる。
しかい暑いし疲れたのでビール買おうとしても、
なんとアルコール類がどこにもない。
そういうのは厳しいようだ。
代わりにレッドブルにして宿に戻ったら、
2人して電気つけっぱで一瞬で寝てました。
カタールの首都ドーハには早朝6時に到着。
とりあえず換金。通貨はカタールリヤル。なんかカッコ良いぞ。
2人して引っ越しで頭が一杯になっていたため、
ドーハ情報の下調べはほぼ無し。
よって、空港から市街地に出る方法もわからん!
まず空港の敷地内から出られない。
空港にwifiが来ていたので検索してみるも、
ドーハ情報ってサッカーの事以外あんまし出てこないの。
仕方が無いのでタクシーに乗る。運転がとても荒い。
空港を出たらあとは芸術新潮のドーハの地図だけが便り。
5分程度で村上隆展の会場とイスラム美術館が見えてくるけれど、
早朝なので開館してないし、まず大荷物をなんとかしたいので
ホテルの住所に近いらしいスークワキーフというところで降りる。
50カタールリヤル(約1000円)。これは適正価格と思いきや後から聞けばボラれていたようだ。
本当はその半額くらいみたい。
向こうにはデカい建物建設中。
スークワキーフがどういうところなのかもよくわかっていない。
市場のような場所みたいだけど早朝なのでひっそり。
そしてまだ地理感覚もさっぱりわからんので、
結局1km以上歩くハメに。
アスファルトの下は砂!
彷徨いながらもなんとかホテルに到着。
方向感覚が少しだけわかってきた。
どんどん気温が上がって猛烈に暑い。
部屋がカラフル。
そういえば朝9時くらいだったのにチェックインできました。
すばらしいサービスだ。
ロビーでwifiが使えたので助かる。
すでにもの凄く疲れたので、近所の食堂でご飯にする。
頼み方もよくわからんけど、勢いでカレーとかパタラに挑戦。
普通に美味しい!たらふく食って300円くらいだし。
周りのお客さんが右手で食べてるので、こちらも挑戦。
なかなか難しい…
腹ごしらえ後、郊外のカタラという場所にある
QMAギャラリーで
ルイーズブルジョア展をやってるので向かう事に。
これも行き方が解らないのでホテルのフロントに聞くも、
フロントのお兄ちゃんもよくわからなくて結局またタクシーを呼んでもらった。
10kmくらいを往復で3000円くらい…これもボラレてたようだが。
途中の市街地、ビル群が近未来都市すぎる。
変な形のビルがたくさん。
カタラはその市街地よりまだ向こうにある、
海辺の複合文化施設のようだった。
平日だからなのかあまり賑わっていない。青い海の向こうに遠景の変な建物。
砂の山の上にブルドーザーがガガガとやっていて、
まだまだ拡張していく様子。
ドーハは建設中風景だらけだ。
お!ブルジョアさんの蜘蛛がいた!
その奥の方にひっそりQMAギャラリーがあった。入場は無料。
残念ながら撮影はできず。
全然人がいないので、ゆったり見る事ができた。
クモのパブリック彫刻しか知らなかったけど、
初期の作品なんかもあって、堅実な造形作家なんだと知る。
作家のドキュメントチックな写真も並んでて、
ウォーホルと映ってたり、蜘蛛の作品を抱いたりしてそれがキュートな感じ。
作品とのギャップがおもしろい。
中期の、服を縦長に伸ばして型取りした作品が良かったなあ。
90年代には、同時代的なジェンダー&パーソナルチックな布や糸を使った作品も作ってて、
それも造形的に優れていて感動しました。
テーマとか主題はシンプルっぽいんだけど、良かったなあ。
満足してまたタクシーに乗り戻る。
運ちゃんが、暑いから俺にも飲み物くれよとか言って来て
仕方が無いから水を与えたら嬉しそうだった…
ナメられてるな…
宿に戻り小一時間昼寝したのち、いよいよメインの
MURAKAMI EGO展へ!
海辺のイスラム美術館の隣、ALRIWAQというところ。
ホテルから近いので歩いて行く。
風が熱風。気温は45度と言ってました。
歩くだけで疲れる。
この建物だけやたらカラフルなのでひと際異彩を放ってる。
鼻の穴の色が違うし鼻毛が…。
入り口はこの壁の反対側。
撮影可能なのはエントランスのみなので、
こんな感じで撮ってみた。
確かに体はバルーンっぽい。
毛は、バッチリ描写されている。
展示会場は撮影不可だけど、
MURAKAMI EGOでググったりすれば、
こういった高画質展示画像付きの
http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1330088005005/
http://sugohaya.lammfromm.jp/?p=535
公式現地レポが結構でてくるので、
実際もうこれを読めばいいんじゃないか
、て話ですが一応感想を…。
展示は部屋毎に区切られていて、
それぞれまとまった展示が展開されている感じ。
どの部屋も、抜きの作品がなかった。
絵画、立体、映像とどれも高密度の超絶技法でボリュームがあり、
圧倒的。
これだけのマッチョな仕事を日本人がやってること自体
信じられないので、絶賛するしか無い前提になる。
超絶技法でマッチョ、イコールすばらしい、
というわけでわないはずだけれど、
他の太刀打ちできる別価値を提示しないと、
何も言い様が無いくらいの気迫はある。
最初の部屋、
正面にいきなりゲロタンがでてくる。
この作品は画像の時点で好きだったけれど、
本物を目の前にするとまず考える間もなく、
「でけえ!!!」と。で次に、
「色きれい!!」て思います。
これは相当コントロールしてるバランスだと思った。
近寄ってみると思った以上に、「塗ってる」感覚が強い作品だったのが意外。キャンバスの目もほのかに残っている。描写自体は筆跡無しだけど、表面がツヤツヤで、そのニスが塗ってる感があったのだった。
でもそこに変な違和感はない。不思議とスケール感にわずかな手作業感がマッチしている。
また実物でなければ確認できない細部情報が多くて、小さいキャラに吹き出しがついてて喋ってたりもした。フラット空間の中にパースを効かせて広い世界観が高密度で表現されていた。
輪郭線はシルクで刷ってるぽい。線の太さもキャラによって様々。
これを最初に展示したのは確かパリでのぬりえ展。
パースペクティブを強めにして青空が背景で煽ってるカメラ視点の
ランドスケープ状なイメージになってるのは
ヨーロッパ絵画を意識してるのだろうか?
それに、巨大化したモンスターがゲロを吐いてるという絵は、
原発事故後に見ると関連性を考えてしまう。
事故も日本型資本主義経済の問題点が露になった象徴のようなものにも思えるし、
この絵はそういうことを1つの自画像として表現しちゃってると考えると
また深みもでてくる。
これは村上さんの作品を代表するマスターピースに間違いない。
そのマスターピースが今展いきなり始めに来る。
同じ部屋には90cmくらいの正方形作品が2つ、こちらはキャンバスの目止めがしてあって、ニスも塗ってなさそうな完全フラット作品。
おそらく輪郭線はシルクではなくて手描き。
僕が札幌で見たいくつかの作品の印象はこちらに近い。これも好きだ。
側面にも同じように描写が続いているので、
角の部分の線やヤスリ掛けなどはどうやって描いているのか不思議だ。
出来る限り側面を覗いたけれど、
どうやら裏までは描写はされていないようだ。
同部屋にはキノコ群の立体作品も。
この辺のキャラクター作品て、
ナムコのワギャンランド的世界観に少し通じるなと
思ったけれどそれは超個人的感覚なのでさておき。
ゲロタンにやられたのちの次の部屋は、
またデカいDOBシリーズとタイムボカンのキノコ雲シリーズの部屋。
DOB君シリーズは、2009年と新しめのシリーズでこれも意外だったのが、フラット、じゃない。
目とか歯とか背景とか顔の肌部分とかそれぞれに異なる技法を使ってて、場所によっては絵具の厚みが明らかに感じられる部分もある。
極端にボコボコなマチエールというわけではないけれど、
物質感はかなりある。
それに、厚めの側面は布地がむき出し。
絵具がしみ込んだりしてる。
DOB君も、キャラクターのイメージにパースが効いているので、その曲線に特殊な気持ち良さがあるし、見た目以上のスケール感が発生してる感じ。顔の部分など、広い色面の気持ち良さもあり、
鑑賞してて純粋に見応えのある絵画らしい作品だった。
キノコ雲の方は、構図はシンプル、背景と雲の質感が違う。
背景はニス掛けしてないようだ。
雲はツヤあり。ニスの塗りにもいろんなパターンがあるようで、
厚めに重ねて深いツヤを出している。
背景に迷彩柄があったりしてウォーホルを思い出す、
主題も、説明の記号化を全面に出してるように見える。
次の部屋は、カイカイとキキのキャラクター絵画。これもデカい。
だんだんこのサイズに慣れてくる。
フラワーバックの画面中にキャラクターの顔が配置されている。
たくさんありすぎて全部確認できないけれど、
すべて違う表情のようだ。
この絵画群は、ほぼ完全フラットだし、ツヤも一定のツヤ。
そうなると、大友展のAKIRAに感じたように、
人の仕事という感覚を超えてしまう。超絶技法とわかっていても、
絵柄的にシールを貼ったように見える。
この辺の手仕事感の感触の在り方というのは難しいなと、思った。
同じ触感が、後の自画像シリーズでも感じられる。
自画像はしかし、鼻毛の描写等、ウッとなる。
あと、キャンバスの折り目を見ると、
これは描写をしてから枠に貼ってるようだ。
抽象画、構図や技巧のバリエーションはかなり好み。
芸術新潮の自作解説で、テリーウィンタースの絵画から
インスピレーションを得ているということが書かれていて
おもしろい。
画面内には様々なツヤが混在している。
ニスをスプレー仕上げしてる部分もあった。
側面のむき出し感もカッコ良い。
だけどこちらも描写の技巧がカッチリ決まってて、
版画よりな印象は受ける。
次の部屋はフラワーの和風バリエーション床に柄あり。
この部屋には和風で円形キャンバスの作品。画面の奥を向いてる花があったり。
フラワーにもいろんなバリエーションがあったけれど、
一番大きな部屋の金箔背景のフラワーが圧倒的に良かった。
一番大きな部屋には、五百羅漢やその他の大きな絵画、
巨大彫刻、カイカイバルーン、見世物小屋のようなテントの中には映像作品。
五百羅漢は度を超えたデカさで絵画というかなんというか、
他にあまり見た事がない異例の凄いモノだ。
絵画としては、ゲロタンが総合的に安定感ありで、好みでもあり、
しかしそういうレベルのものとは違うような…。
絵画と版画のちょうど中間のような感覚のする作品で、
表面をみるとまぎれも無く絵画的物質感。
ニスも厚めに塗ってあるけど、
背景の部分部分はむき出しになっていたり。
どこを見ても高密度でハイクオリティ。
技巧に関しては、今までのシリーズの技巧を
全部投入しているような総決算絵画。
先にボストン展で見た絵巻物にも近い。時間軸がある。
大渦の波があって、災厄があって、
宇宙があって、祈りがあって。
宇宙の部分の広いラメの部分は黒バックで、
特に繊細なニス塗りが施されていてピッカピカ。
羅漢一体一体に個性があって、動きも違うし、着てる服の柄まで色々。
100mを6往復くらいしたので600mは行ったり来たりしたけれど、
鑑賞しきれる情報量じゃなかった。
羅漢の肌の質感は、ナイフで塗ったようなちょっと複雑な塗りがたくさん見られたんだけど、あれを集団制作でどうやってやってるんだろうなあと不思議に思う。
しかしどの作品よりも、日本人っぽいというか西洋感覚の絵画から
離れた作品になっていたように見えたなあ。
村上さんの作品の流れからでてきた積み重ねのアレンジ、
主題の出所がいつもと少し違う、装飾感覚もより日本的、宗教的、など。
この作品だけで見たかったなあとも思う。
周りにテントや大きな彫刻もあったので。
あと、ところどころ明らかに不自然に照明が消えていた気も?
テントの中では、
もうこんなに作っていたのか、というアニメ作品や実写映画が上映されていたけど、
アニメを作って、表情とか動きとか時間軸の要素が絵画にもフィードバックされているのかなあと思った。
個人的には明確なストーリーがある作品より、
カニエウェストのPVぐらいがテンポも長さも丁度良かった。
手描き感満載のでかい龍の作品は、前日に曾我蕭白を予習して行ったのもあって、臨場感倍増。曾我蕭白のさくひんよりさらに龍の顔がでかくて、表情がイッちゃってるのがおもしろかった。キャンバス地も見えてるし生の線の感じでライブ感あるけど、しっかりニス掛けしていた。
広い部屋でだいぶ疲労して、
まだまだ自画像、ドクロ、達磨と続く。
ドクロシリーズもいろんなバリエーションがあり、
ニス厚塗り、ステイニング、獅子を入れた構成。
達磨シリーズは抽象画と質感が似ているのと
デジタル処理のギザギザを強調してる点が目立った作品だった。
最後の部屋は作りかけの大きな彫刻のメイキング的展示。
そこからゲロタンの部屋に戻れるので、グルッと周回したことになる。
一周してゲロタンに戻ると、また違って見えてくる。
で、何周かした。ははあ、展示構成がうまい。
全部で3時間くらいいたのかな。
立体作品については、絵画作品に比べるとキャラクターの実物化の欲なのかなと思ってたけれど、
ステンレスの大仏作品や制作途中の最後の作品はやっぱりデカイし、
それだけではないクセのある造形物だった。
というわけで、この10年間の村上さんのバトルを一挙に見ることができた。いつものクセで絵画の表面を特に注視して見てしまったけれど。
エロ要素は抜かれていたけれど、
作風をズラしてあの手この手を繰り出していろんな手札を作り出して行くような臨場感が演出されていた。
何を描くか、については、
いろんな暗喩を込めたり、
過去のイメージのリミックス絵柄を作り込んで、
現代的でコンピュータ描写土台のポップな絵柄にアレンジにするというやり方が基本的。
その辺はリキテンスタインとの共通性を感じる。
リキテンスタインはキャンバスむき出しで塗りもサッパリ風味な
画風は固定させて、主題を次々にアレンジしていったし、
抽象具象を絵画に落とし込むやり方も似ている。
龍の作品や五百羅漢はまた違う印象だけれど、
過去のイメージをリミックスしている点では一貫している。
どう描くか、については、
その大きさが必要だと思わせる巨大画面サイズとそれに合った構図や色バランスや描写密度。こういう絵作りの技術面は非常に優れている。
過去の戦後超有名作家の大作絵画作品て、意外に荒削りな出来映えでそれはそれで魅力的なのだけど、
それに対抗するような丁寧な技術押しマッチョ感。
アクリル絵具とニスを使ってる点も、カラッとした色彩や絵柄を、物質感を持たせて表現するのに最適に見えた。
文脈理解については、
芸術新潮や、今までの村上さんのいろんな説明からの話はわかるけれど、
それ以上の部分についてはまだまだなんとも言えないところだ。
でもシリーズ毎に、
その文脈読み取り重視のためのイメージに寄らせたり、
自作のアレンジのためのイメージになったり、
またそれらに関係なく思考を超えた何かすごいパワーが
宿ってしまったり。
そういう揺れがあるのはモノを目の前にして実感できた。
ゲロタンにはその変な何かが宿っているように感じたし、
それと相対的に五百羅漢が、
ぶっ飛んだ異例の作品として象徴的だった。
にしても…
そもそもこれらを自分の会社作ってシステムから全部
コントロールして相当なお金も動いて、
実現させているのがやっぱり信じられないレベル。
外は暗くなっていて2人してヘトヘト、
市場の再現観光地だったスークワキーフで食事して、
周辺を少しだけうろつく。
すでにこの食事スタイルに慣れ始めている東方くん。
ネコが食べ物狙ってる。
しかい暑いし疲れたのでビール買おうとしても、
なんとアルコール類がどこにもない。
そういうのは厳しいようだ。
代わりにレッドブルにして宿に戻ったら、
2人して電気つけっぱで一瞬で寝てました。