その3
ミュンヘン
いやあ、これは来たタイミングが良かった。今見たい絵画が驚くほどまとめて見ることができたので、絵描きとしてはドクメンタよりも直接的な勉強になった。
ハウスデアクンスト、展示は渋めだったがインストール中のサラジーが細かい映像も使ってたりで良さげ。
展示とは関係なくショップで売ってたケネスノーランドの画集がめちゃ良いので購入。ノーランド、あんま見たことない70年代以降の作品の方がよく見る初期よりずーっといいのね。どっかでステイニング系のグリッド作品を見たときあたりから怪しんではいたけれど、さらに額のニッチな使い方とか、シェイプトキャンバスの豊かな解釈に到達していて、ただのポストカラーフィールド画家ではない。
初訪問のレンバッハハウスは最高!!青騎士派の色彩とタッチは大好きです。ブリュッケよりブルーライダーさ。絵具によるイメージがモコモコしてる感じになんとも言えない可愛さがある。マルクとマッケの部屋や、ミュンターとヤウレンスキーと初期カンディンスキーのコンボ。
これはヨダレすぎるわ。
加えて現代エリアがまた贅沢な顔ぶれで、
例えばCharline von Heyl。
まとめて6枚も見たのは初めてなので構造の一貫性がよくわかった。
細部
物質的な厚みはなく、キャンバスの肌理が埋まってない程度にはガサガサしてる。なんでかって、どういう順に色を重ねたのか、どう塗ったか、描き始めから完成までのプロセスを意識的にかなり目で追えるようにわざと作ってあるからだと思う。目で追えるくらいの手数なのに複雑で、加えてイメージの出所は相変わらず全く読めず、その辺がとてもおもしろい。プロセスの提示の豊かさはドクメンタで見たホイットニーもそうなのだけど、あっちは色面のバランスの取り方など視覚的に納得ができるぶん、ヘイルの方がよりわけがわからないのだ。
素晴らしい。キャンバスに描く前までのプロセスを想像するのもまた一興。描き始める時点ですでにフォトショなどで完璧に手順を決めてかかっているのかもしれない。
Glosseも同じく、プロセスの複雑化をおもむろに見せていたり、それが大きな画面サイズの中で色彩の混ざり方や拡張する空間と絡み合って、インスタレーションの時とは違った、極めて絵画的なイリュージョンが発生している。そして実に装飾的な色彩感覚。
スプレーって相当うまく使わないと痕跡が凡庸になってすぐつまらなくなるのだが、ここまでできるんだねえ。僕も最近多用しているメタリック、パールカラーを巧みに使っていたので参考になった。
ケルンでも見たGuyton...は痕跡を追う鑑賞作業がほぼ無いのでまあ絵肌としてはつまらないのだが(けなす意味ではなく)、その軽さがカッコ良い。そのつまらなさはおそらくら当時のウォーホルや当時のリヒターの態度に直系的につながるんだと思う。
ブランドホルストはKERSTIN BRATSCH(撮影禁止)。グラデーションのブラシストロークは発明だな。あれ見ちゃうと、真似したくなるもん。それにしてもインスタレーションの組み合わせが大胆で読めない。絵画の展示の仕方も、大きな紙がベースのために、木枠キャンバスのようにそのまま壁にかけるような仕組みにはさせてくれない。そういう、見づらいひっかかりを多数掛け合わせて視覚表現にそのまま取り込んでしまうところがおもしろい。でも僕にとってはちょっと反骨精神が多すぎる印象。やや疲れてくる。
しかしこれら優れた00〜10年代の絵画に慣れてくると、クオリティの話とはまた別にもはや50年前のジョーンズやラウシェンバーグは以前にも増して重さ遅さの絵画として見えてくるし、ウォーホルでさえ真っ当な絵画としてハッキリと古典と認識できてくる。そのくらい、とり挙げた絵画は良い意味での軽さ速さが際立っていて同時代の感覚として納得できるんだよなあ。もちろん、それが全てだとも思わないけれど。
さらには立派な美術館に収まってる時点でこれらも過去のものになっていく。さて自分の作品はどうだ?
ピナコテークデアモデルネでもいつもヒットなローズマリートロッケルや
こちらでもヤウレンスキー
など。
他にもたくさんいいのがあって書ききれない。
ドイツからイタリアに電車移動中、風景眺めてたら日本人のナイスミドルガチ鉄オタ20年選手に遭遇、アルプスの鉄道の魅力をドバドバ語られて、オーストリアで降りていかれた。
アルプスを鉄道で移動するのは2回目、ずっと景色みれられる。
◯ベニス
アルセナーレ。序盤のMarcos Avila Foreroの映像、
複数人が川に入って水だけを打楽器にしてリズムを合わせていく作品が、共同作業のプロセスと創造性の美しさを明快に提示していて素晴らし。しかしあれ、その後の流れがなんとなく面白くない。。。なんだこの展示構成は。どうしたベニス!?と不安になる。大好きなオロツコまで若干スベってる印象。
いやCharles Atlas、Anri Sala、Alicja Kwade、日本からは松谷武判さん、THE PLAYなど、単体で見ると良い作品ももちろんあるのだけどなんでだろ。
サラの作品、壁に転写された模様と一箇所で回り続けてる転写機。
ビジュアルが美しく、それだけで終わらせてくれない意味深な関係、背景もわからないのに面白い。
屋外の菅さん作品は、ベニスでもあまりに溶け込んでいた。
客の悪ふざけだろうadidasのスニーカーが作品ゾーンに浮かんでいたが、それすら取り込んでいたのでさすがだった笑
ジャルディーニの方はなかなか面白くて少し安心、気になった作家メモ
Taus Makhacheva 高地にロープを張り、綱渡りで絵画を運ぶ映像。
どういうことなのか、ひたすら運んで映像は終わる。行為の背景は何も映像内では語られず、あまりに無意味に見えるが、どうも描かれてる絵画の内容に意味がありそうだ。でもやっぱりわからん。にも関わらず、不思議とずっと見ていられる良い作品なのだ。説明書きをカタコトで読めば、運ばれてるのはコーカサス戦争が画題になってる絵画らしい、と言われてもコーカサス戦争が全くしっくりこないのでウィキで調べたらロシアとイスラム勢力の戦争だったようだ。なるほど少しだけ腑に落ちた気がする。
Philippe Parreno ガラスケースに電気と蛍光灯でチカチカしながら音が鳴ってる作品、単純に全体的にカッコ良い。パレーノってこんな作家だったっけ。
Sung Hwan Kim 置かれているオブジェと映像の関係がいまいち良くわからなくて、なのにいちいち繊細な作業を感じるし美しい。
気になる。
国別パビリオンは、もともとあまり楽しめなくて、こんなん今更だけどパビリオン自体もそれぞれ規模が違い、クオリティも恐ろしくバラバラ。そんで結局安定感のある大きなパビリオンを優先的に見て、残りをダメ元で突撃して良かったらラッキーみたいな態度についなってしまいがちなのがなんか嫌。
そのため、体力があるうちにまず企画展示を見てからの後になっちゃうし、どうにもやる気が起きないのだがジャルディーニ周辺だけは押さえた。
話題のドイツ館Anne Imhofは、
最初の20分を外から見ることしかできなかったがめちゃ面白そうだった。
アメリカ館のマークブラッドフォードは元々好きな作家、
しかし今回は彼の作品スケールに対してパビリオンが小さすぎる気がした。
その他流し見、、、
ちなみに日本館は一部行列ができてたので並んで見たらそこだけ体験型になっており、その仕組みを知らなかったら強制的に鑑賞者が作品の一部にされてしまう構造だったのがちょっとなあ。
一方、ハーストの大規模個展はあまり期待してなかったが思いの他見応えがあった。
まるでドクメンタベニスで散々見て来たシリアス、リサーチ、世界問題真正面系の作品傾向をブン殴るようなウソ満々のドキュメント映像と海底から発見された設定の巨大オブジェというかフィギュアというか。ポストトゥルースという考え方の悪用? ものすごいお金かかってそうだし、現状に対するパンク精神は少しもブレてないんだなあと感心した。その態度は潔くてカッコいいわ。でも確かに1つ1つが俗悪モノとしてハイクオリティでよくできているが、斬新さは感じず、もし大金持ちになったとしても欲しいものは一個もないし笑、見てる時はニヤニヤして楽しいのだが1日経つと余韻が全くないのもいつも通りだ。
イタリアは食べ物が美味しいのでそっちで気力を回復させる。
ベニスでは立ち飲みバルをハシゴするのが楽しいのです。
◯ミラノ
アンブロジアーナ絵画館にて、カラバッジョの果物籠を初見。宝物状態で展示の1番奥に展示されてて撮影禁止。背景は黄色ではなく薄いベージュなんだ。たぶん果物籠の周りにもモチーフを描いてたのを最後に塗り潰しているような感じ。塗り跡は明らかに果物籠より背景が手前にあるのだ。その処理によって、シールを貼ったように果物籠からイリュージョンが削ぎ落とされている。ギリギリ、下の机から前にせり出した籠の部分及びその影のみが、空間を維持してる。右端の、画面からはみ出る枝と葉の描写は他部分と比べ簡略化されていて、かつ籠からも独立していた。なぜカラバッジョはこんな絵にしたかったんだろう。意図的に、奥行きの空間をペラーっと圧縮させながらその矛盾を堪能してたのではないかな。
ドゥーモ横の現代美術館は、見事なまでにイタリアのみの現代美術史の流れを見せていた。超ローカル!!未来派もモランディも如実にキリコ発で、キリコがいかに尊敬されてたかよくわかる上に、キリコからよくぞそういう風に枝分かれしたよなってとこが面白い。また未来派から、キネティック、発光系の仕掛け作品に発展するのもちょっと笑えた。マリオメルツなど
が出てくるまでの流れもこう見せられるとよくわかる。
ブレラ絵画館。
僕の苦手な、キリストの死連発とサロメ&生首な宗教画連発が来た!!さすがイタリア。この感覚がいつまで経ってもわからんのよね。要は残虐な死体の絵画をこれでもかと見せつけられるわけで、ここに信仰心や崇高さを重ねられないので、西洋画の学習のためには鑑賞は避けては通れないけれどめちゃくちゃ疲れるし具合悪くなる。
基本的に教会もすいませんお邪魔しますなんか雰囲気怖いっすここ、感は拭えないし、宗教画でなく現代美術を見てても、ちょいちょい同じ苦手な感覚の作品がある。Paul Thekとかまさにそれでまじ苦手。西洋に慣れられないところ。
おっと、話がズレた。
それを差し引いても、ここかなり好みの古典がたくさん。
ティツィアーノ、数多く見てきたライオン爺さん画の中でもこれはいいぞ。
ティツィアーノお得意の、絵画内の一人が絵画内で起きてる事柄を遮ってこっちを向いてくるという技。この絵ではついに、ガイコツがこっち見てる。
ルーベンス版の最後の晩餐は、おまわりさんコイツです!と指さされてドヤ顔のユダにちょっとウケた。
足元の犬は法の象徴なんだって。
筋肉描写をしていないかつ動きの要素が少ない画題におけるルーベンス、テンションが2割くらい落ちてみえる。
その他良いカラバッジョ、ピエロデラフランチェスカを見れた。
教科書でみた、マンテーニャのキリストも。
最後は郊外にあるPirelli Hangar Bicocca。
あまりにデカすぎるキーファー。前回の札幌国際芸術祭でキーファーのドキュメンタリーが上映されててその中で映ってた、建築積んだ作品と巨大絵画のインスタレーション。
デカい倉庫にデカい常設。デカけりゃいいというものでもないし、しかもキーファー自体は僕は全然好みじゃないのだが、ここまでデカくても変わらずボロボロで、デカいほど重いほど説得力と安定のキーファーになるので、思わず笑っちゃうわ。わざわざ来た甲斐はある。さらに別の企画展もあってそれで無料ってどういう仕組みなのか。
企画はRosa Barbaというフィルム作家のインスタレーションで激シブ。玉川で働くM君に見せたいやつ。会場がこれまたデカいので映像も大写しで機材とのバランスも良く、こんなインスタレーションされたらそりゃカッコ良いわ。
だいぶ端折りましたがひとまず終わり。