(前投稿の続き)
北の美大展(仮)をみてきた。
前投稿で触れた以上はなんか書いておくべきだよな、と思ったので、ざっくり感想を残します。
本郷新記念札幌彫刻美術館館長の吉崎元章さんが自ら名前を出し、なぜ美術館で今展をやるのかの意図を提示し責任を表明されていた。吉崎さんの専門研究内容(札幌美術史を編むスペシャリスト)から考えれば、そうなることの理解はできる。公募枠の貸館事業に対して、館の意向やキュレーションサポートがどのように働き相互作用が生まれたのかは、これだけではわからないことも多かったが、今展をきっかけに発生している吉崎さんとの交流は、彼らに時代を超えた視座を与えているはずだ。


掲げたテーマ(要約すれば、「美大」のある場と比べて不利な現状においても、環境を前に進めるための機会を創出する)については、展示で深入りしているわけではなく、他校合同の尖っていたり閉塞感を打破したいメンバーが集まった学生選抜型グループ展の要素がメインだった。それでも自発的に他校合同でこの規模のグループ展をやること自体が札幌ではあまり多くない動向なので意義を感じるし、美術表現に真摯に向きあい、同時代の美術への関心も強め、という特徴が際立っていた。
まずその中でひとつ、展示テーマと作品を直接リンクさせている作品があった。武藤遥香さんの作品。(この作品は撮影禁止だったのでキャプションのみ。全作家のキャプションには、マスキングテープでの仮止め演出あり))
自身が普段制作の中心に捉えている、食とキャラクターを掛け合わせた絵画シリーズの小さな作品ひとつが台座に置かれ、その後ろの壁には、自身の学生生活の中で発生した、自作に関する大学教授や同級生との対話をベースにして一部脚色し匿名性を持たせたエピソードテキストと、自身が授業で書いた裸婦デッサンが並んでいた。
書かれていた教授の指導内容は、端的に言えば表現の自由の否定であり、この現代においてなお、専門の美術教育現場でおぞましい指導が行われていることを認識できる内容だった。
言われたことに悩みながら、徐々に教授の発言なんて間に受けなくても問題ないことを自覚し、本当に自分が描きたい作品を描くことの覚悟を表明したストーリー仕立てのインスタレーションだ。
事実上、自身が受けた教育の告発にもなっている。他出展者と違って大学名を隠し、作品写真撮影を禁止にしていることからも、なるべく特定されたくない意図が漏れていた。でも、ここまで書くなら逆に堂々と見せててもよかったのではないか。
そしてこの作品が良い作品になっていたかと言われれば、体験の提示そのものが表現より前にでてきてる面もあり、またその体験は作者本人にとって今後もメインとなるテーマでもなさそうで、すでに乗り越えた問題でもあり、引っかかる部分はある。および、このような悪しき教育は一例であり、札幌全ての美術教育がこのレベルだとは思えない。悪印象に引っ張られすぎると、大学教育全般のみを仮想敵に設定しかねないので、そうではないはずだと注意もしつつ。小さな絵画作品は、イメージも筆致も繊細に作られており、このメインシリーズを単にもっと見たい。
けれど、本来展示したいものを抑えてまで、(おそらく)今企画趣旨のために構想した作品形式にしてたのは武藤さんだけだった。企画を咀嚼し、体験なんでも作品に取り込もうとする姿勢を感じられたし、ゆえに象徴的な存在になっていた。
その他、特に注目した作家の作品をいくつかピックアップすると、


平井柊哉さん(札幌大谷大学)は、札幌地下鉄の改札の写真と、札幌の地下鉄ホームにありそうな看板を、行先表示を消した上で再現し、縦に置き、最終電車が発車した後の「終了」の文字が点滅している作品。
聞いた話では彼の大学の卒展では、同じ作品をもっと広い空間の天井から吊るし、終了のブザーが繰り返しなっていたらしい。今回の作品は他作家と狭めの部屋を共有したためかスケールダウンした別バージョンとはいえ、しっかりした看板の造りから現れてくる都市の無慈悲と感情のミックスの巧さを感じた。
平井さんは同じテーマでもう一点大きめのシェイプトキャンバスの作品を出していたのだが、こちらは意図に対して造形の粗さが目立ったものの、意向の違った2作品を同時に展開する創作欲を強く感じた。


森山美桜さん(札幌大谷大学)は、老いて篭っていく母と子のコミュニケーションを表出させたインスタレーション。
近年美術で扱われることが増えた福祉、ケアの問題にも関わるテーマ設定だ。部屋を訪ねてきた娘がチャイムを鳴らし、母に呼びかけるが、部屋の母からの応答はない。ドアの覗き穴から、娘の姿が見える。すりガラスの窓の向こうにも。そして娘は帰っていく。
ドアと窓は別作品のようだが、娘の移動が両作品でリンクしていた。部屋に閉じこもっているはずの母の視点を鑑賞者は共有することができ、その部屋の側が会場空間に開かれているので、実際に閉じこもって見えるのは外でチャイムをならす娘の方に感じられるという倒錯の表現が面白い。
ドアと窓の箱っぽい物体感が強調されすぎていたり(台座がそれをさらに強調する)、作品が壁から離れていて中の機械類が見えてしまっていたり、演出の工夫はまだまだできそうだった。普段は絵画メインで制作しているようで、今回は特定のメディアから離れた表現の実験でもあるのだろう。


Rico Iwai×高須悠理さん(札幌市立大学)のサウンドインスタレーション。
コンセプトシート通り、特殊なスピーカーで可聴域外の水の音を水面に向け、振動による波を発生させ、その波にさらに光を当て壁に投射することで映像化させる作品。
ここでもまた部屋の制限がどうしてもあるせいなのか、水の波紋の見せ方をより美しく丁寧にすることで見応えが増幅しそうな内容だった。札幌でこのような傾向の作品が増えているように感じるのは、初回にカールステン・ニコライの作品があった札幌国際芸術祭からの影響も少なくなさそうだ。
いずれも設定した意図や欲求は明確で、現代社会の問題や、既存の芸術とのつながりを意識した上で、あらゆるメディアの可能性を試しながら、表現に挑戦していたように思う。全部は紹介できないが、皆そういうムードを共有していた。
(公式インスタアカウントがあるので、そのうち会場風景はここでみれるようになるのではないか。
https://www.instagram.com/nau.info?igsh=MTRscWltMmtsbXNn)
展示全体の印象を引っ張っていたこれら個々作家の表現に良い感触をもちつつも、 やはり打ち出したテーマを掘り下げた展開を、もっと見てみたかったのも事実だ。
特に、仮想敵として設定しているであろう「美大」への視座や、「北海道の美術教育やアーティスト養成について見つめる場(クラファンの文言より抜粋)」という点については、ほぼ言及されていなかった。
例えば、展示全体を国内「美大」卒制の総本山的展示である五美大展と比べたら、何が浮かび上がってくるのだろうか。僕自身、五美大展を実見していないのでハッキリとは比較できないが、幾人かの知り合い美大生の活動や作品を比較対象にすると、まだその経験値差が感じられることも否めない。
また、事前の話題の拡がり方に比べ、展示そのものはまだ「開いたけど狭い」印象が残った。それは都市成分と地方成分が混ざり合い、ここでのみ完結するコミュニティが作れてしまう札幌で陥りがちな傾向なので、今後なんとか回避してほしい部分だ。近場の問題を、近場の人たちで共有して、近場の人たちで鑑賞しているのみでは、挨拶文の中でも想定していたような、人材・人口の流出先である「美大」への意識は、宙吊りにされたままだ。
実際、メンバー全員による五美大選抜展の現地調査は行ったのだろうか。本来なら卒業の1,2年前に実見しておくのがベストだろう。
想定する「美大」で何がどう作られているかを実見することで、同じ作り手同じ世代の自分たちとの差異が認識できるはずだ。圧倒的な実力差に挫折嫉妬するかもしれないし、同じ道具でもこんな使い方があるのかとか、似たテーマでもこんな表現方法があるのかと発見があるかもしれない。逆に、すごいコンプレックス感じていたけど、見てみたらそんな大差無かった、なんて気づきができるかもしれない。
すでにみんなで見に行っているのかもしれないが、その反映が展示からも直接感じることができれば、企画テーマにさらなる踏み込みができたのではないか。
五美大展鑑賞に限らず、同世代の五美大でも金沢でも京都でも名古屋でも海外でもいいから、内に限らない交流の機会を増やすことでわかることもあるだろう。展示イベントでそういう枠を作っても良かったと思う。
「北の美大展(仮)」を立ち上げる切実さは「美大」周りの人たちには意識しづらい。そもそもそんなことを普段意識する必要すらない中で、彼らが外からどのように羨望の眼差しで見られているかを知ることに、意味はある。
美大生にとっても「美大」を取り囲む権威や文脈に振り回される良し悪しもあるだろうし、違う視点を獲得できる有効性はどこも変わらないはずだ。
僕の思う札幌のいいところのひとつは、都会と地方の狭間、オリジナルとコピーの狭間で、自動的な俯瞰目線とプラグマティックな態度で、国内の状況を咀嚼できるところだ。そういう視点が「美大生」を批評的に捉え得る。
「北海道の美術教育やアーティスト養成について見つめる場」についても触れれば、
高校から大学に上がり、大抵は美術のことなどわからないままで、仮に最悪のケースとして先に取り上げた武藤さんの事例のような教育のみが与えられてしまったとしたら、手探りで自己流の方法論すら認められず、自分の信念を乗せた表現方法や主張に辿り着くための道筋を見出すのは困難だ。
それとは別に、特に現代領域の、絵画、彫刻、インスタレーション領域の学習のためには、実物をたくさんみる体験がどうしても必要になってくるし、皆で言及・共有しやすく、優れているとされる実物作品は、遠く飛行機に乗った先にある。ものベースのファインアートを学ぶ上で、物理的な距離のハードルは構造問題でもある。 北海道にだって、いいものたくさんあるでしょう!?という意見もあるかもしれないが、それを内から気づくには、一度でも外目線を自身に課すことでようやく成り立ったりするものだ。
飛躍的に効率や認識や経験値を上げるためのジャンプの機会は、「美大」に比べて地方にいくほど限られる。どんな環境だろうと、自分自身でそこを超えていける能力や勘や運を持つ人もいるだろうが、そんなに多くはない。
「北の美大展(仮)」メンバーが受けてきた美術教育は、そんなジャンプの機会を与えてくれる場としては機能していなかったのだろうか?展示されていた作品からは、上世代からの影響を感じるものもあったが、それが教育機関由来なのか判別は難しい。
ただ確かに札幌周辺の大学主導で、開かれた美術の場を創出しようとする動きは、以前から大きくは感じない。もともと、札幌の土地柄として他者(他校)に関わっていく「おせっかい心」が全体的に弱いようにも思う。
一方で、SNS等では目立たなくても水面下で、機会の創出を意識して教育を行っている教授陣は少なからずいるだろう。僕自身がここで受けた教育でも体感してきた。
しかし結局展示内容からは、武藤さんの作品以外に実際の教育現場の多様な事例を知ることはできなかった。
教員にだって、財政難や人口減少の影響や、国の方針など、抗えない縛りと向き合いながら工夫を凝らさなければならない実状があるはずだが、怒るにしろ弁明するにしろ表に出てくる教員も今のところ見かけないので、よくわからない、というのが正直なところだ。その辺りが展示で可視化されていれば、問題がより明確になっただろう。
展覧会クレジットの協力欄には、多くの教育機関の名前が並んでいるし、教員の多くは「美大」を卒業している。後援には札幌市・教育委員会も入っている。まとめて関係者を引っ張り出して、対話の機会を作っても良かったのではないか。
とはいえ。
それこそ学生のうちから、上記のようなことをあらかじめ意識し、実行するのはかなり難しいことも承知している。そもそも彼らは、多感な大学初年度あたりにコロナ禍にぶつかり、縦横の関係が断絶された世代であることも考慮すべきだろう。
なので、当然だが僕のすべての放言は、メンバーの今後の活動も見据えた上でのただの感想に過ぎない、と付け加えておく。
ジャンプの機会を与えてくれる仲間や場に出会いやすくする場や仕組みが増えるほど、あらゆる可能性もまた開かれる。「美大」との格差の意識を縮められるような仕組み、あるいは差なんて関係なく独自の体系を作りどこよりも面白いことが生まれるような仕組みを、大学内外でも、自分たちでも実装しようとするならば、そこには希望がある。
今展もすでに、その最初のきっかけの場として機能している。
僕も同じ札幌、道教大修了生なので彼らの先輩にあたるのだが、学生時代はジャンプの機会を与えてくれる先生、先輩、組織に比較的恵まれていたと思う。アメリカと行き来しながらフルタイムアーティストとして活動してるアーティストの大井敏恭さんの大学の集中講義でチュートリアルを受けたりスタジオビジットに行けたり。道外の同世代の学生作家(当時造形大の先生だったアーティストのO JUNさんが札幌のFree Space PRAHAに持ち込んだ学生バトル展企画「アウトレンジ」に参加し、学生時代の梅津庸一さんや大田黒衣美さんとも一緒に展示できたりしてた。あれは衝撃的な経験だった)との交流もあった。学生として最も参照できるかつ情報が少ない例としては、「あけぼの美術企画」も挙げられる。卒業すぐの若い作家や学芸員が共に展示・企画・イベントを行い、若いアーティストの展示に限らず、野口里佳さんのアーティストトーク、高木正勝さんのライブイベントや小山登美夫さんのレクチャーまで行っていたのが印象に残っている。
北の美大展(仮)をみてきた。
前投稿で触れた以上はなんか書いておくべきだよな、と思ったので、ざっくり感想を残します。
本郷新記念札幌彫刻美術館館長の吉崎元章さんが自ら名前を出し、なぜ美術館で今展をやるのかの意図を提示し責任を表明されていた。吉崎さんの専門研究内容(札幌美術史を編むスペシャリスト)から考えれば、そうなることの理解はできる。公募枠の貸館事業に対して、館の意向やキュレーションサポートがどのように働き相互作用が生まれたのかは、これだけではわからないことも多かったが、今展をきっかけに発生している吉崎さんとの交流は、彼らに時代を超えた視座を与えているはずだ。


掲げたテーマ(要約すれば、「美大」のある場と比べて不利な現状においても、環境を前に進めるための機会を創出する)については、展示で深入りしているわけではなく、他校合同の尖っていたり閉塞感を打破したいメンバーが集まった学生選抜型グループ展の要素がメインだった。それでも自発的に他校合同でこの規模のグループ展をやること自体が札幌ではあまり多くない動向なので意義を感じるし、美術表現に真摯に向きあい、同時代の美術への関心も強め、という特徴が際立っていた。
まずその中でひとつ、展示テーマと作品を直接リンクさせている作品があった。武藤遥香さんの作品。(この作品は撮影禁止だったのでキャプションのみ。全作家のキャプションには、マスキングテープでの仮止め演出あり))

自身が普段制作の中心に捉えている、食とキャラクターを掛け合わせた絵画シリーズの小さな作品ひとつが台座に置かれ、その後ろの壁には、自身の学生生活の中で発生した、自作に関する大学教授や同級生との対話をベースにして一部脚色し匿名性を持たせたエピソードテキストと、自身が授業で書いた裸婦デッサンが並んでいた。
書かれていた教授の指導内容は、端的に言えば表現の自由の否定であり、この現代においてなお、専門の美術教育現場でおぞましい指導が行われていることを認識できる内容だった。
言われたことに悩みながら、徐々に教授の発言なんて間に受けなくても問題ないことを自覚し、本当に自分が描きたい作品を描くことの覚悟を表明したストーリー仕立てのインスタレーションだ。
事実上、自身が受けた教育の告発にもなっている。他出展者と違って大学名を隠し、作品写真撮影を禁止にしていることからも、なるべく特定されたくない意図が漏れていた。でも、ここまで書くなら逆に堂々と見せててもよかったのではないか。
そしてこの作品が良い作品になっていたかと言われれば、体験の提示そのものが表現より前にでてきてる面もあり、またその体験は作者本人にとって今後もメインとなるテーマでもなさそうで、すでに乗り越えた問題でもあり、引っかかる部分はある。および、このような悪しき教育は一例であり、札幌全ての美術教育がこのレベルだとは思えない。悪印象に引っ張られすぎると、大学教育全般のみを仮想敵に設定しかねないので、そうではないはずだと注意もしつつ。小さな絵画作品は、イメージも筆致も繊細に作られており、このメインシリーズを単にもっと見たい。
けれど、本来展示したいものを抑えてまで、(おそらく)今企画趣旨のために構想した作品形式にしてたのは武藤さんだけだった。企画を咀嚼し、体験なんでも作品に取り込もうとする姿勢を感じられたし、ゆえに象徴的な存在になっていた。
その他、特に注目した作家の作品をいくつかピックアップすると、


平井柊哉さん(札幌大谷大学)は、札幌地下鉄の改札の写真と、札幌の地下鉄ホームにありそうな看板を、行先表示を消した上で再現し、縦に置き、最終電車が発車した後の「終了」の文字が点滅している作品。
聞いた話では彼の大学の卒展では、同じ作品をもっと広い空間の天井から吊るし、終了のブザーが繰り返しなっていたらしい。今回の作品は他作家と狭めの部屋を共有したためかスケールダウンした別バージョンとはいえ、しっかりした看板の造りから現れてくる都市の無慈悲と感情のミックスの巧さを感じた。
平井さんは同じテーマでもう一点大きめのシェイプトキャンバスの作品を出していたのだが、こちらは意図に対して造形の粗さが目立ったものの、意向の違った2作品を同時に展開する創作欲を強く感じた。


森山美桜さん(札幌大谷大学)は、老いて篭っていく母と子のコミュニケーションを表出させたインスタレーション。
近年美術で扱われることが増えた福祉、ケアの問題にも関わるテーマ設定だ。部屋を訪ねてきた娘がチャイムを鳴らし、母に呼びかけるが、部屋の母からの応答はない。ドアの覗き穴から、娘の姿が見える。すりガラスの窓の向こうにも。そして娘は帰っていく。
ドアと窓は別作品のようだが、娘の移動が両作品でリンクしていた。部屋に閉じこもっているはずの母の視点を鑑賞者は共有することができ、その部屋の側が会場空間に開かれているので、実際に閉じこもって見えるのは外でチャイムをならす娘の方に感じられるという倒錯の表現が面白い。
ドアと窓の箱っぽい物体感が強調されすぎていたり(台座がそれをさらに強調する)、作品が壁から離れていて中の機械類が見えてしまっていたり、演出の工夫はまだまだできそうだった。普段は絵画メインで制作しているようで、今回は特定のメディアから離れた表現の実験でもあるのだろう。


Rico Iwai×高須悠理さん(札幌市立大学)のサウンドインスタレーション。
コンセプトシート通り、特殊なスピーカーで可聴域外の水の音を水面に向け、振動による波を発生させ、その波にさらに光を当て壁に投射することで映像化させる作品。
ここでもまた部屋の制限がどうしてもあるせいなのか、水の波紋の見せ方をより美しく丁寧にすることで見応えが増幅しそうな内容だった。札幌でこのような傾向の作品が増えているように感じるのは、初回にカールステン・ニコライの作品があった札幌国際芸術祭からの影響も少なくなさそうだ。
いずれも設定した意図や欲求は明確で、現代社会の問題や、既存の芸術とのつながりを意識した上で、あらゆるメディアの可能性を試しながら、表現に挑戦していたように思う。全部は紹介できないが、皆そういうムードを共有していた。
(公式インスタアカウントがあるので、そのうち会場風景はここでみれるようになるのではないか。
https://www.instagram.com/nau.info?igsh=MTRscWltMmtsbXNn)
展示全体の印象を引っ張っていたこれら個々作家の表現に良い感触をもちつつも、 やはり打ち出したテーマを掘り下げた展開を、もっと見てみたかったのも事実だ。
特に、仮想敵として設定しているであろう「美大」への視座や、「北海道の美術教育やアーティスト養成について見つめる場(クラファンの文言より抜粋)」という点については、ほぼ言及されていなかった。
例えば、展示全体を国内「美大」卒制の総本山的展示である五美大展と比べたら、何が浮かび上がってくるのだろうか。僕自身、五美大展を実見していないのでハッキリとは比較できないが、幾人かの知り合い美大生の活動や作品を比較対象にすると、まだその経験値差が感じられることも否めない。
また、事前の話題の拡がり方に比べ、展示そのものはまだ「開いたけど狭い」印象が残った。それは都市成分と地方成分が混ざり合い、ここでのみ完結するコミュニティが作れてしまう札幌で陥りがちな傾向なので、今後なんとか回避してほしい部分だ。近場の問題を、近場の人たちで共有して、近場の人たちで鑑賞しているのみでは、挨拶文の中でも想定していたような、人材・人口の流出先である「美大」への意識は、宙吊りにされたままだ。
実際、メンバー全員による五美大選抜展の現地調査は行ったのだろうか。本来なら卒業の1,2年前に実見しておくのがベストだろう。
想定する「美大」で何がどう作られているかを実見することで、同じ作り手同じ世代の自分たちとの差異が認識できるはずだ。圧倒的な実力差に挫折嫉妬するかもしれないし、同じ道具でもこんな使い方があるのかとか、似たテーマでもこんな表現方法があるのかと発見があるかもしれない。逆に、すごいコンプレックス感じていたけど、見てみたらそんな大差無かった、なんて気づきができるかもしれない。
すでにみんなで見に行っているのかもしれないが、その反映が展示からも直接感じることができれば、企画テーマにさらなる踏み込みができたのではないか。
五美大展鑑賞に限らず、同世代の五美大でも金沢でも京都でも名古屋でも海外でもいいから、内に限らない交流の機会を増やすことでわかることもあるだろう。展示イベントでそういう枠を作っても良かったと思う。
「北の美大展(仮)」を立ち上げる切実さは「美大」周りの人たちには意識しづらい。そもそもそんなことを普段意識する必要すらない中で、彼らが外からどのように羨望の眼差しで見られているかを知ることに、意味はある。
美大生にとっても「美大」を取り囲む権威や文脈に振り回される良し悪しもあるだろうし、違う視点を獲得できる有効性はどこも変わらないはずだ。
僕の思う札幌のいいところのひとつは、都会と地方の狭間、オリジナルとコピーの狭間で、自動的な俯瞰目線とプラグマティックな態度で、国内の状況を咀嚼できるところだ。そういう視点が「美大生」を批評的に捉え得る。
「北海道の美術教育やアーティスト養成について見つめる場」についても触れれば、
高校から大学に上がり、大抵は美術のことなどわからないままで、仮に最悪のケースとして先に取り上げた武藤さんの事例のような教育のみが与えられてしまったとしたら、手探りで自己流の方法論すら認められず、自分の信念を乗せた表現方法や主張に辿り着くための道筋を見出すのは困難だ。
それとは別に、特に現代領域の、絵画、彫刻、インスタレーション領域の学習のためには、実物をたくさんみる体験がどうしても必要になってくるし、皆で言及・共有しやすく、優れているとされる実物作品は、遠く飛行機に乗った先にある。ものベースのファインアートを学ぶ上で、物理的な距離のハードルは構造問題でもある。 北海道にだって、いいものたくさんあるでしょう!?という意見もあるかもしれないが、それを内から気づくには、一度でも外目線を自身に課すことでようやく成り立ったりするものだ。
飛躍的に効率や認識や経験値を上げるためのジャンプの機会は、「美大」に比べて地方にいくほど限られる。どんな環境だろうと、自分自身でそこを超えていける能力や勘や運を持つ人もいるだろうが、そんなに多くはない。
「北の美大展(仮)」メンバーが受けてきた美術教育は、そんなジャンプの機会を与えてくれる場としては機能していなかったのだろうか?展示されていた作品からは、上世代からの影響を感じるものもあったが、それが教育機関由来なのか判別は難しい。
ただ確かに札幌周辺の大学主導で、開かれた美術の場を創出しようとする動きは、以前から大きくは感じない。もともと、札幌の土地柄として他者(他校)に関わっていく「おせっかい心」が全体的に弱いようにも思う。
一方で、SNS等では目立たなくても水面下で、機会の創出を意識して教育を行っている教授陣は少なからずいるだろう。僕自身がここで受けた教育でも体感してきた。
しかし結局展示内容からは、武藤さんの作品以外に実際の教育現場の多様な事例を知ることはできなかった。
教員にだって、財政難や人口減少の影響や、国の方針など、抗えない縛りと向き合いながら工夫を凝らさなければならない実状があるはずだが、怒るにしろ弁明するにしろ表に出てくる教員も今のところ見かけないので、よくわからない、というのが正直なところだ。その辺りが展示で可視化されていれば、問題がより明確になっただろう。
展覧会クレジットの協力欄には、多くの教育機関の名前が並んでいるし、教員の多くは「美大」を卒業している。後援には札幌市・教育委員会も入っている。まとめて関係者を引っ張り出して、対話の機会を作っても良かったのではないか。
とはいえ。
それこそ学生のうちから、上記のようなことをあらかじめ意識し、実行するのはかなり難しいことも承知している。そもそも彼らは、多感な大学初年度あたりにコロナ禍にぶつかり、縦横の関係が断絶された世代であることも考慮すべきだろう。
なので、当然だが僕のすべての放言は、メンバーの今後の活動も見据えた上でのただの感想に過ぎない、と付け加えておく。
ジャンプの機会を与えてくれる仲間や場に出会いやすくする場や仕組みが増えるほど、あらゆる可能性もまた開かれる。「美大」との格差の意識を縮められるような仕組み、あるいは差なんて関係なく独自の体系を作りどこよりも面白いことが生まれるような仕組みを、大学内外でも、自分たちでも実装しようとするならば、そこには希望がある。
今展もすでに、その最初のきっかけの場として機能している。
僕も同じ札幌、道教大修了生なので彼らの先輩にあたるのだが、学生時代はジャンプの機会を与えてくれる先生、先輩、組織に比較的恵まれていたと思う。アメリカと行き来しながらフルタイムアーティストとして活動してるアーティストの大井敏恭さんの大学の集中講義でチュートリアルを受けたりスタジオビジットに行けたり。道外の同世代の学生作家(当時造形大の先生だったアーティストのO JUNさんが札幌のFree Space PRAHAに持ち込んだ学生バトル展企画「アウトレンジ」に参加し、学生時代の梅津庸一さんや大田黒衣美さんとも一緒に展示できたりしてた。あれは衝撃的な経験だった)との交流もあった。学生として最も参照できるかつ情報が少ない例としては、「あけぼの美術企画」も挙げられる。卒業すぐの若い作家や学芸員が共に展示・企画・イベントを行い、若いアーティストの展示に限らず、野口里佳さんのアーティストトーク、高木正勝さんのライブイベントや小山登美夫さんのレクチャーまで行っていたのが印象に残っている。
強烈なアーティストの姿や生きざまを直接みることで、人はここまでの境地にいけるのか、、みたいなこともわかる。ネット上では掴みきれないことだ。
前記事でも書いたように、挙げればキリがないほど、現在に至るまで、札幌では新たな草の根芸術運動が現れては、続いたり無くなったりが繰り返されている。
前記事でも書いたように、挙げればキリがないほど、現在に至るまで、札幌では新たな草の根芸術運動が現れては、続いたり無くなったりが繰り返されている。
しかし、多くの事例があるにも関わらず、具体的にどうやって企画を立ち上げ、メンバーを集め、予算を獲得し、ゲストを呼び、観客を集め、世間に理解を求め、政治に訴えかけ、その質を見極めてきたのか。そういったノウハウの共有、引き継ぎ意識は、まだまだ少ないと思う。また、失敗や反省の検証事例も少ない。
それらを怠ってきたのは、まさしく僕たち諸先輩方の責任が問われるところだと思う。
だから結局また繰り返しになるが、地方問題を前進させる方法論を皆で提示していくのがいいのだと思う。今回の展示を実現させた彼らだけでなく、この地で活動する皆の課題なのだ。
みんな仲良く、とまでは思わないが、あまりに不要な悪態と、それに便乗する若者という不毛さを、それなりに見てきた。派閥を飛び越えて活動してきた方々もたくさんいるのだろうが、そこに批評や質を保った関係が伴って続くのがベターだと思う。それぞれの立場は主張の違いはいいとしても、相手の現実的状況や考えを聞きもせずに、妄想レベルで攻撃批判するということはやめていきたい。そういう人に限ってファクトが大事とか言ったりもする。その自覚は難しい。自戒を込めて、せめて一旦、丁寧に状況把握した上で行動しようと思う。
最近はまさに、同時多発的に徐々にそういう動きがみられるし、良い感じの流れを感じるような気もしている。
そういう流れのエッジが「北の美大展(仮)」のメンバーなのだとすれば、彼らに伝えられることも、教わることも、たくさんあるのではないか。
卒業後の作家活動は、人によってはさらに長いものになる。今回集まったメンバーは今後もずっと問題意識を共有し、切磋琢磨が続く同士になっていくかもしれない。事実、僕も彼らと同じ頃に出会った地元作家との関係は今も続いている。そう考えれば、時間をかけて同じテーマをいくらでもアップデートしていける可能性を感じた。
途中からは僕自身にも向けた課題と主張になってしまったが、それを吐露させてくれた強いきっかけは、この「北の美大展(仮)」の一連の流れと、誰よりも愚直で詳細にレスポンスして問いをなげかけて拡散に一役買った美術家の佐藤拓実さんだ。若手作家が熱い地方、思わず中年作家も熱くなる。
それらを怠ってきたのは、まさしく僕たち諸先輩方の責任が問われるところだと思う。
だから結局また繰り返しになるが、地方問題を前進させる方法論を皆で提示していくのがいいのだと思う。今回の展示を実現させた彼らだけでなく、この地で活動する皆の課題なのだ。
みんな仲良く、とまでは思わないが、あまりに不要な悪態と、それに便乗する若者という不毛さを、それなりに見てきた。派閥を飛び越えて活動してきた方々もたくさんいるのだろうが、そこに批評や質を保った関係が伴って続くのがベターだと思う。それぞれの立場は主張の違いはいいとしても、相手の現実的状況や考えを聞きもせずに、妄想レベルで攻撃批判するということはやめていきたい。そういう人に限ってファクトが大事とか言ったりもする。その自覚は難しい。自戒を込めて、せめて一旦、丁寧に状況把握した上で行動しようと思う。
最近はまさに、同時多発的に徐々にそういう動きがみられるし、良い感じの流れを感じるような気もしている。
そういう流れのエッジが「北の美大展(仮)」のメンバーなのだとすれば、彼らに伝えられることも、教わることも、たくさんあるのではないか。
卒業後の作家活動は、人によってはさらに長いものになる。今回集まったメンバーは今後もずっと問題意識を共有し、切磋琢磨が続く同士になっていくかもしれない。事実、僕も彼らと同じ頃に出会った地元作家との関係は今も続いている。そう考えれば、時間をかけて同じテーマをいくらでもアップデートしていける可能性を感じた。
途中からは僕自身にも向けた課題と主張になってしまったが、それを吐露させてくれた強いきっかけは、この「北の美大展(仮)」の一連の流れと、誰よりも愚直で詳細にレスポンスして問いをなげかけて拡散に一役買った美術家の佐藤拓実さんだ。若手作家が熱い地方、思わず中年作家も熱くなる。
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